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「風と共に去りぬ」('39米)

映画史上に「2度と製作不可能」と呼ばれる作品が何作かありますが、この「風と共に去りぬ」もその一本です。

インフレ率を考慮に入れた歴代の映画興行収入では「風と共に去りぬ」がいまだにベスト1だそうです。つまり、あの「タイタニック」より当たった映画ということになります。

マーガレット・ミッチェルによる原作小説は1936年6月に出版され、翌7月に映画製作者デヴィッド・O・セルズニックが映画化権を獲得。3年の歳月と400万ドルの巨費をかけて3時間42分の大長篇映画になりました。

実写映画としては最も初期のテクニカラー映画です。同じ年にやはりテクニカラーの「オズの魔法使い」が作られていますが、最初のテクニカラー映画は1932年公開のディズニー「花と木」でした。それからしばらく、感度の低いカラーフィルムによる色彩映画はアニメーションの独壇場だったのです。アニメはセル画のブツ撮りなので、フィルム感度の低さは関係なかったからです。

さて「風と共に去りぬ」ですが、製作は困難の連続で、1000ページを超える原作を映画脚本にまとめるのに何人ものライターが挫折しています。その中にはスコット・フィッツジェラルドもいましたが、セルズニックは気に入らず、最後は自分で脚本を完成させます。

キャスティングも難航を極め、スカーレット・オハラ役には全米の女優のほぼ全員が応募してきたそうですが、最終的にイギリス女優のヴィヴィアン・リーに決まりました。リーは原作に惚れ込んでおり、所属会社が違うにも関わらず猛烈な売り込みを開始。

クランクインは主演女優が決まらぬうちにアトランタの弾薬庫炎上シーンから始まりましたが、そこにヴィヴィアン・リーが現れ、燃え盛る炎に照らされた彼女の顔を見るなり、「君がスカーレットだ!」とセルズニックは叫びました。

映画は監督も3回交代して完成。ここから分かる通り、これは監督の映画ではなくプロデューサーの映画です。セルズニックは戦前ハリウッドに何人か居た映画製作における絶対的な権力者「タイクーン」の1人なのです。これは日本語の「大君」に由来します。

まだ珍しかった総天然色映画であり、南北戦争を背景に豪華絢爛な南部の大富豪の生活と、戦争による没落、その中で逞しく生きるスカーレット・オハラの姿を力強く描きます。

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↑プライム・ビデオ「風と共に去りぬ・後編」



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