見出し画像

【交換日記36日目】自慢話かと思いきやただの回想録になった(面白くない)

どうもまっちゃんです🐻

こうやって回ってくると“書かなきゃなぁ”という気持ちはもちろん湧きますが、と同時に“何を書こうかなぁ”という思いが頭を駆け巡り、なかなかデスクに向かうことができないことがあります。

昔からですが、真っ新なキャンバスを渡されて「では何か好きなことを書いてみてください。自由に。」と言われると、すぐに筆は走らず、腕を組み、どうしようかなぁと斜め上の天井のほうを向き、目は焦点を合わす対象物も定まらないまま力なく泳ぎ、そんな中、頭を巡らせ、まとまらず、いつの間にかクラスメイト達はすでに机に伏すようにして黙々とキャンバスと向き合ってさらさらと書き進めているところを、俯瞰的に捉えるシーンが多々ありました。

高校入試の際に自由作文のような課題があってお題は「好きな言葉」。そのときも上に書いたような状況になりましたが、制限時間50分の中、最初の10分は主題決めに使いました。

ちなみにその時の主題は「一発逆転」。終わりよければすべてよしという考えでなく、計画を練りながら物事を進めていき、序盤~終盤は劣って(負けて)いても最終的に大きなチャンスを掴んで勝つことができればOKじゃない?的な書きっぷりだったかなと思います。(めちゃくちゃ良いように書いてますが)
幸い受験は成功して、こうやってミナミノツドイのメンバーとしても活動できています。

何事もいろーーーーんなことを考えてから行動に移すクセはありますが、最近はまずはやってみようの精神で様々なことに取り組んでいて、ここ何年かで一番生活が充実しているかもしれません。

常に頭を動かすことは大事ですが、みなさんもあまり考えすぎて動けないことが最悪ですからね。


前回のKCくんの日記について軽く触れていくと、お馬鹿な言動をとれるのはある程度のシチュエーション(場所や人)が揃ったときでないと不可能ですね。もうおじさんなので。

そういった意味で、インターネット上で、かつ気の知れた仲間という条件が揃っているこの活動はお馬鹿が生まれやすい状況なのですね。

何かを演じたお馬鹿でなく、ピュアなお馬鹿になれる場があるのは幸せなもんですよ。


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
【KCからまっちゃんへの質問】
これはちょっと人に自慢できることはありますか?(出来事でもなんでも)ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


あまり自慢できるようなことはありません。

(いい声と言われたり、歩きながら1歩ずつおならできたり、ハワイでスカイダイビングしたことがあったり、ステーキ450gぺろりと食べれたり、海底摸月で四暗刻和了ったことがあったり、変顔で赤ちゃんをだいたい号泣させることができたり、ディズニーのアブーズ・バザールの玉転がしで2回でばっちりミッキーとミニ―ちゃん人形を取ることができたことなんて、、、
何の自慢にもなりませんよね。^^;)

強いてあげるのであれば、、、自慢できることといえば、裁判員制度において裁判員として選任され、一通り裁判に参加できたことはとても貴重な体験でした。

裁判員制度に関する最高裁判所ウエブサイト
https://www.saibanin.courts.go.jp/index.html

画像1

これは終了後に参加者にありがとうの気持ちを込めてもらえるバッジです。検察官とか弁護士がつけているようなアレです。いや、最初にくれよとは思いましたが、裁かれたくなかったので大人しくしていました。

裁判員制度では一般人が複数人選ばれ、本物の裁判官たちとともに被告人の有罪、無罪、果ては有罪とされた被告人の量刑まで決めるものです。裁判員と補充裁判員(補欠みたいな、でも最後まで一緒に活動。欠席以外では法廷にでれない。)が存在しますが、しっかり裁判員として選任されました。

ちなみに簡単にネット記事でみると選任確率は以下のようです。

1年間で裁判員(と補充裁判員)に選ばれる確率は約1万1000分の1~1万3500分の1。これはゴルフでホールインワンが出る確率と同程度だ。
https://www.jprime.jp/articles/-/16304

かなりレアですよね。(ここまでは自慢。ここから重くて長い、回想モードになります。)


当時の選任メンバーは裁判員4名、補充裁判員2名だったと思います。老若男女バラエティ豊か、という感じでしたね。
大きな声では言えませんが、裁判員候補者として一度会場に80人くらい集められ、一次抽選、二次抽選のように絞られていきますが、“明らかにヤバそうなやつ”は除外していたように思います。まぁあくまで抽選です。裁かないでください。

僕は選任メンバーの中では一番の若手でした。覚えているのは40歳くらいの会社事務員の女性、60代くらいのふつうのおじさん、もっとも記憶に残っているのが、補充裁判員であった30代の大手ハウスメーカー勤務の高そうなメガネとスーツ着用の及〇光博さん風のすておじ。本当に素敵な方で補充裁判員という立場ながら、若くして裁判員として選任されてあたふたしていた僕を積極的にサポートしてくれました。裁判のことも、社会人生活のことも優しく諭すように話を聞いてくれて、ことあるごとにとてもセクシーに「な~るほどっ」と受け止めてくれるのが印象的でした。(文字に起こすと変だけど実際は嫌味なくかっこよかった。)あなたのような社会人になりたかったけど、僕はいまだに元気にゲームして叫んでいます。子供とミナツドみてるかな。

裁判員制度が適用され実施される裁判の約75%ほどは1~2日で終わるものでしたが、僕が参加したものは5-7日かかるレアケースでした。今だったら参加難しいかもですね。
※基本的に辞退はできませんが、参加により業務上多大な影響を及ぼす可能性がある場合、辞退することができます

5-7日かかる裁判とは、、、ずばり殺人事件の裁判でした。
80-90代の老夫婦で起こった事件。(苦手な人は死因読まないで)日常の何気ないことに腹を立てた旦那さんが奥さんを押し倒して首を絞め、、、というような悲惨な事件でした。



ともあれ裁判員に選任され、裁判官の説明を受けながら事件の概要から始まり、詳細まで把握していきます。そして始まる裁判。
ここからは法廷での裁判の進行と法廷裏にある個室での裁判官と裁判員の話し合いの繰り返しです。

法廷2

法廷では画像にある端から2番目、ここが僕の席でした。法廷には裁判官3名、裁判員4名、検察官/弁護士2名ずつ、警察?と被告人、傍聴人がぱらぱらと10-20人くらいでしょうか。

各席には10インチくらいのモニタが設置されており、裁判開始から数日目の医師による鑑定の結果などが写し出されました。これは公開裁判といえども裁判員側でしか見れません。また、本件では被害者の司法解剖による結果として、死因を裏付ける部位を強い力で圧迫したことによる骨折の画像が表示されました。もちろんモザイクなどないので生々しい画像です。上記の女性は耐性がないために画像をみることを拒否しました。全然OKです。僕はみました。なかなか見れるものでもないし。(実際にみても骨折がどうとかよくわからないのだけれど)

そんなこんなで裁判は進行していきます。事件の証拠を検察が提示、弁護側が意見を述べ、、、なんて淡々と進んでいきます。

画像3

その後に被告人質問というものがあります。
実際に被告人に対して裁判官ないし、裁判員からの質問を行えるというものです。これまでの被告人の供述では「あまり状況は覚えていない」など曖昧な発言が多かったです。だからなんとなく、どっちなんだろう?(やったのか否か)という雰囲気も少し漂っていました。高齢であったこと、気温が高い時期というものあり、しょうがないのかな、というような思いであったと記憶しています。

たくさんの人の目がある中、僕も質問してみようと思いました。若かくて場にも慣れておらず、めちゃくちゃ緊張して声震えていたと思います。大勢の中、目の前にいる高齢の被告人と若造が会話しようというのですからね。

「奥さんが倒れている中、あなたはそばにいたと思います。その時はどのような気持ちでしたか?」

今ではもうビジネス脳になってしまっているので法廷という場所において、状況証拠や物的証拠もないことを持ち出して判決に活かそうという考えにはなかなか至らないと思いますが、若さゆえの、ということで。

画像4


「やってしまったな、という気持ちです」

一瞬、場はシーンとしましたが、はっきりと自分がやってしまったということを被告人本人の口から発したため、決着したというか白黒はっきりしたというか、そんな空気になりました。有罪確定のムードになったということです。20そこそこの人間が80-90代のじいさんと対等に話をして、じいさんがへこむという。そういう回答がくるだろうな、とは思って質問したけれど、とても複雑な気持ちになって(本当に目の前のこの人がやったのだなという感じ)、その後はしめしめという感情が沸き起こった記憶があります。俺のおかげではっきりしたね?みたいな。若いですね。本来はこういった質問はどうなのだろう、、、と今でも思います。

そこからはまた検察/弁護士が意見陳述を行い、量刑の検討などを行います。裁判官と裁判員による話し合いのとき、僕のスタンスは一貫してあくまで公平、過去の判例などと照らし合わせながら、淡々と自分の意見を述べていました。
が、裁判員の中でも歳を取っている人からは、“このまま刑務所で亡くなってしまう”として刑は軽くするべきだと主張します。この傾向は年齢を重ねるごとに大きくなっていった印象です。当時は犯罪を起こしたことは自己責任、ましてやそこまでの高齢にもなって善悪の判断がつかないこともないだろう、とまで思っていました。周りからは捉え方は真っ当ではあるけど、冷たいヤツに映ったかもしれませんね。当時の担当の裁判員の方からは裁判官目指しなよと冗談めかしく言われてちょっと嬉しかったりしたけど。

結局は有罪、からの妥当な年数での量刑となりました。

ここに裁判員制度の本質があるのかもしれません。裁判を通して民意を反映させるような。(もちろん裁判官もいるので変な方向にはいかないですよ。)

今思えば、というよりも今の年齢まで生きてきて様々な経験をした後だと、量刑を軽くしてもよかったのかな、なんて思ったりもします。酸いも甘いも少しは経験し、余裕が出てきたのかなー。なんて。
本来の主旨としては、「裁判員それぞれの知識経験を生かしつつ一緒に判断することにより、より国民の理解しやすい裁判を実現することができるとの考えのもとに裁判員制度が提案された」とされています。
単に司法の世界を一般人に体験させて、、、というだけに留まらないのではないのかな。

この裁判員裁判については、いつかこういった場で、文章に書き残しておきたいという気持ちもあったのでつらつらと書き殴りました。こういった体験を一人で留めるのでなくて、共有したいなとは考えていて。

絶対にこんなことを書くような場ではないのだけれど。

お疲れさまでした。

まっちゃん

以上

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
【まっちゃんからズシシΔへの質問】

秋には何したい??

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?