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洋服論 20240818

ユニクロでシャツとズボンを買った。バイトに必要なので。

ズボンは試着してちょうどいいサイズのものを選んだはずが、家に帰って履いてみたら裾がとんでもなく長くて驚いた。帰宅するまでの間に勝手に伸びたとしか思えない。

服屋に行くとどっと疲れるあれ、なんなんだ。店員さんに話しかけられるのが嫌で緊張するというのもあるが、それだけが理由ではない気がする。

服の匂いがダメなのか、あるいは情報量の多さが原因かもしれない。

服屋には服の色や形、サイズや値段など、とにかく意味が多すぎる。そしてそれらの大半は無視できないがゆえに、恐ろしい速度で脳が疲労するのではなかろうか。

もう買うものを完全に決め打ちして店に行った方がいいのかもしれない。ウィンドウショッピング適性G(ジー)です。

あとは試着。服を脱いだり着たりするのが本当にしんどい。一回脱いだら五分くらいそのままで休憩したくなる。

あんな短時間に何度も肌と布が擦れて不快極まりないだろうに、どうしてみんな発狂せずにいられるんだ。昔からずっと謎だ。

そもそも僕は体に布がまとわりついている状態があまり好きではない。そのせいでオーバーサイズの服ばかり着ている。ダボダボダサ服オタクはこうやって生まれる。

服がダサいのはシンプルにセンスが悪いだけでした。

親から服屋へ連れて行かれるたびに『正解』を当てさせられるのが怖くて気が重かったことを思い出した。

僕が選ぶ服は軒並みセンスが壊滅しているようで、いつも好きな服を持って行っては「それはダサい」「こっちにした方がいい」と突っぱねられていた。

そうしている間にもどんどん具合は悪くなるし、具合が悪いと言うと親が不機嫌になるので、ある時を境に親が喜びそうな服だけを選んでさっさと服屋を出るようになった。

すると今度は親が乗り気になって次から次に服を試着させるものだから、僕はもうすっかり嫌になり、服屋そのものを憎むようになった。

髪型についても似たようなもので、僕のファッションやお洒落に対する忌避感と憎悪は、無数のそういう体験から形成されている。

すごい、まるでエッセイみたいな文だ。なんか嫌だな。

ダサいダボダボの服を着てボサボサの髪のまま出かけるのが一番落ち着く。植物に水をやりすぎると枯れます。


繊細そうな線で美少女に露悪的な発言(現実の生活を腐すものや創作に対する態度を揶揄するもの、フィクションに耽溺することを嘲笑するメタなものなど)をさせるイラストがたくさん流れてくる。最悪のタイムラインだ。

大体ハンドルネームが変な苗字+平仮名の名前だったり、アイコンが初期設定だったり、文章(というかツイート)を添えずにイラスト単体でアップしているアカウントのイメージがある。あと水色とピンクを多用しているイメージもある。

あの手のイラストでおじさんやおばさんが描かれているものを見たことがない。現実に則して考えるなら、そういう人の方がそういうことを言いそうなのに。

まあ現実に則していないからウケるんだろうな。たとえばTwitterの1ユーザーが「教養深くてすごいね(笑)」とツイートしていたらムカつくが、手首に包帯を巻いている痣だらけの美少女が「教養深くてすごいね(笑)」と発言しているイラストは好き、みたいな人間は多そう。

ああいうのって今流行りの冷笑とどう違うんだ?

他人の言行に元も子もないことを言って茶化すという行為が美少女のイラストを一枚挟むことによって創作物に様変わりする、という事実には、快不快よりも面白さが先立つ。

僕もほっそい線で描いた美少女に嫌なこと言わせてバズろうかな。

ほっそい線で描いた美少女「ほっそい線で描いた美少女に言わせれば『冷笑』でも評価を得られると思ったんですか?(笑)」

冷笑はもう古い、今は冷笑を冷笑する時代。

「冷笑を冷笑する」ことさえもうアホほど擦られていて、おしまいです。


明日はバイト初出勤です。

嫌すぎる。

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