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感情線 20240913

『メガネキャラのメガネを外す奴は死刑』とか『百合に挟まる男を許すな』みたいなやつ、もうそろそろうんざりしてきた。

これではかなり語弊があるのでより詳細に言うと、「自分の『嫌い』という感情はある規範に則った正しいものである」と声高に喧伝する行為に辟易としてきた、くらいだろうか。

さらに予防線を張るが、僕は「メガネを愛してやまないキャラが嬉々としてメガネを外す」とか「同性愛者だと明言されているキャラが異性に恋愛感情を抱く」みたいな、設定や描写の上での矛盾を指摘する行為に唾を吐いているわけではない。

また「『嫌い』という感情は良くないものなので表に出すべきでない」ということを言いたいわけでもない。予防線ゾーン終わり。

そもそも僕は感情に良い・悪いとか正しい・正しくないみたいな基準を持ち込むのが好きではなく、「『在る』な〜」とだけ思うようにしている。

僕だって嫌いなものはあるし、当然見たくもない。この世から消えてなくなったらとても嬉しい。が、この『嫌い』という感情が正しいとも間違っているとも思わない。「在る」だけ。

嫌いなら嫌いだと言えば済む話を、それだけだと角が立ちそうだからとそれっぽい理屈で飾り立てているのが嫌なのかもしれない。

少し前に「ネガティブな人は自己中心的だから嫌い」という旨のツイートがバズっていた時にも似たようなことを考えた。大元のツイートではなく、それを中心としたムーブメントに対して。

この時かなり見受けられたのが「ネガティブで自己中心的な人はこちらに気遣いを強いて来るが、ポジティブで自己中心的な人はそうではない」という主張だった。

これを文字通りに受け取るのなら、この人は気遣いを強いられるのが嫌なだけであって、相手がポジティブな性格なのかネガティブな性格なのかは問題の本質ではないということになる。

にもかかわらずこの主張は、性根は暗いが人前では明るく取り繕っている人の存在を無視して「ネガティブな人は自己中だから嫌い」という結論に着地している。

思うに、これは「根暗な人が嫌い」という感情を、できる限り正しいものとして出力した結果ではなかろうか。それに比べれば「根暗な人を見てるとイライラする」とハッキリ言う人の方が、まだ自分の感情と誠実に向き合っているのではないかと思った。

それはそれとしてそういうことを言っている人はブロックした。見たくないものは見えないようにするに限るので。


実在する男性を「可愛い」と評する人を見ると、自分は全然関係ないのに一瞬身構えてしまう。これが今流行りの『自他境界』ってやつか?

地域性なのかどこでもそうなのかは知らないが、僕の地元ではある程度成長した男に「可愛い」という言葉を使う時、その中に嘲笑や侮蔑のニュアンスが含まれていた。というか、今でも多分そうだ。

これはおそらく僕が育った環境が「男らしくない男」に対して異様に薄情だったことと関係している。少なくとも、中学時代まではそういう環境に身を置いていた。

こういう場所で男に対して「可愛い」という言葉を使うことは男らしさを否定することと同義であり、ひいては相手を舐め腐っているという意思表示でもある。

それとこれは男性に限った話でもないだろうが、僕は子供の頃に親戚からヤジのように飛ばされる「可愛い」も大嫌いだった。また親戚の話してる……。

この場合における「可愛い」は、犬や猫に向けるそれと似たようなものだ。僕が何を考えているかなどどうでもよく、ただ自分が満足する反応を引き出したいという思考が根底にある。

さすがに被害妄想が過ぎるか。

ただ僕を喜ばせたくて言った言葉ではなかっただろう、というのは容易に想像がつく。何度嫌がっても「嫌がってるのも可愛い〜」みたいな対応しかされなかったので。

とはいえ、高校に入ったあたりからはそういう経験をすることも滅多になくなった。単に地元がカスだったのか、そういう時代の流れなのか、あるいは運が良かっただけなのかは知らない。


ここまで書いてふと思ったが、これは日記ではないのでは?

日記要素を足しておきます。

・バイトに行った
・親子丼を食べた
・電車に乗った


おやすみなさい。

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