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加害性ミリオンアーサー 20240828

おそらく除籍を回避できるぞ!!!!!ウオーーーーーッ!!!!!

除籍を回避したところで未解決の問題が山積している点に留意が必要です。

大学の事務室に泣きついてみたところ、診断書は後日郵送でもいいとのことだった。本当に、多方面に大きなご迷惑を、それはもう真砂の数ほどおかけしまくっている。

大学って思ってたよりずっと柔軟な対応してくれるんだな。てっきり「無理です」と軽くあしらわれて終わりかと思った。

軽くあしらわれるというと悪意が強すぎる。丁寧な口調でふんわり拒否されるだろうと踏んでいた、くらいの感覚です。

最近になってようやく「素直に助けを求めればわりかし応じてくれる人は多い」ということに気付き始めてきた。遅すぎる。中学生くらいで気付きたかったな。

ただ、これに味をしめて他人の善意をアテにすることを前提にして生きるのは絶対にやめた方がいい。本来ならしなくてもいいはずの仕事を増やしていることに変わりはないので。

どこからが他人に助けを求めてもいいくらいのラインなんだろうな。それが自分の中ではっきりしない限り、どうせ同じミスを幾度も繰り返し、ミスの十二単を纏って生きる羽目になる。

みんなこんな難しいことを自然にやってるのか。すごいな。

『みんな』って、誰のことだ……?(山田ライゾウ)

本当に誰のことなんだろう。僕は誰と戦ってるんだ。もしかして僕が想定している『みんな』って、ただの虚構なのか?

日和るな!!!!!

『みんな』とは、手続きの日程を勘違いして大学を除籍されかけたり、買いたい衝動を抑えきれなくてクレカを止められたり、定期的に精神科に通院して生命保険に入れなくなったり、せこせこ長文クネクネnoteを書いたりせず、自立した生活の最低ラインを超えている人間全てのことだ!!!!!

危なかった。諸問題の解決には一切寄与しない、フワっとした結論で自分の思考を片付けてしまうところだった。

片付けてしまった方が幸せだったのかもしれない。


自分を(どちらかといえば)傷つけるより傷つく方がいいという思考の人間だと決めてかかり、「自分の加害性に自覚的である」というだけの理由で優しさを獲得したような気になっていて、ここ最近の僕はいつにも増して醜い。

「自分の加害性に自覚的である」というのはすごい言葉で、自分の態度を何ひとつとして改めていなくても、これを聞くだけで少し優しい人間になったような気分になれる。

倫理の授業で『無知の知』を習ったばかりの高校生が「俺は自分が何も知らないということを知っているからお前より賢い‪w‪」とか言ってるのとほぼ同じ構図だ。これ言ってるのって別に高校生だけじゃないけど。

自分が誰かを傷つけている可能性に気づくことは確かに良いことかもしれないが、害を被る側からすればそんなことは関係ないわけで、ただ「自覚的」なだけに留まるのであればそれは自己満足でしかない。

「これ言うと傷ついちゃうかもしれないけど」とか前置きされてから罵倒されても嫌な気分になることに変わりはない、みたいなことだろうか。

強くなりたい。やさしくなりたい。

文章がまとまらなさそうな時に引用した語句で上手いことまとまったように見せるのって、やっぱり“弱さ”でしょうか。

加害性だけでなく弱さも自覚させてもろてます。

「これは冗談ですよ」という言い訳の引き出しにエセ関西弁しか入っていないのもまた、弱さなのかもしれない。


今からバイトに行きます。日記ってこんな時間に投稿していいのか?

厳密に言えば日記ではないし、いいか。


さようなら。

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