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インターネットにはじかれたテニスボール 20240905

田舎に帰ったら年上のお姉さんにちょっとエッチなからかいをされてドギマギ……みたいなアレ、子供の頃正月の集まりで似たような体験をしたんですけど、野次を飛ばす親戚や反応に困る僕を含めて『和気藹々とした親戚の集まり』をやろうとしているのがなんとなく分かって、本当に嫌だった。

のっけから何の話をしてるんだ。シンエヴァのゲンドウ?

しかもこれは一度だけでなく、物心ついた頃から小学校を卒業するくらいまで盆と正月のたびに同じことをされ続け、またやらされ続けてきた。

こういう『集団の中で役割がパターン化しているコミュニケーション』が本当に苦手だ。上の例で言えば、最年少の僕が親戚に可愛がられる役、お姉さんが僕をドキドキさせる役、他の親戚がそれを囃し立てる役、みたいな。

これは親戚に限った話だけでなく、たとえば中学校の教室や、Twitterのタイムラインなどを見ても同様のことを考えていた。

まず最初に騒ぐ役、それにツッコミを入れる役、「いやツッコミ厳しすぎだろ!」と重ねてツッコミをする役、真顔で“ヤバい”ことを言って「お前ヤバいな……」と言われる役、一連の流れを総括してオチをつける役、など。

トピックが変わっても役割は変わらないまま、劇みたいにコミュニケーションを取っている人たちというのはどこにでもいて、自分がそこに組み込まれることも稀にある。

巻き込まないでくれ〜〜〜〜〜。

まっちゃの怒りに対する親戚の反応集


話を遮る人が苦手という、完全に共感目的の話をします。会話の主導権をボールにしてラグビーをやっている人たちのことです。

先の話とも少し繋がるが、僕の親戚には(基本的に酒の席でしか会わないからか)人の話を遮って話し始める人が多く、それも集まりが苦手な理由の一つだった。

話を聞き終わる前に自分の話を始めてしまう傾向は一人っ子によく見られると言うが、その伝でいくと僕は世にも珍しい、会話の主導権を握るのがヘタクソな一人っ子ということになる。

話を遮られて何が嫌かと言うと、今から話すつもりだった箇所について先んじて質問されてしまい、自分の話のテンポが崩れるのが嫌という部分が大きい。そういうことがあるたび、もう少し待てばその質問要らなかっただろ、と思っている。

この手の人たちがどうして話の一部を聞いただけでその話題における本質を見抜いたような気になれるのかが不思議だ。「つまりこういうことでしょ?」と話に割り込んでおきながらてんで的外れなことを言う、みたいな人が多すぎる。

思うに、これは会話において情報の交換と感情の交換のどちらを主な目的としているか、あるいはその比率の差に原因があるような気がした。

情報の交換に重きを置いている場合、相手の話を最後まで聞かずに回答するというのは第一段落だけを読んで英語の長文読解問題を解こうとするくらい無茶で、だから相手が話し終わるまで待つことを好む。

逆に感情の交換に重きを置いている場合、『あなたの話のこの部分で私はこう感じた』という意思表示を適宜やる方が相手に自分の感情を伝えやすく、話の途中で割り込むような形になりやすい。

これって合ってるんですか?それとも全然違うんですか?僕は今、自分の頭の中でエコーチェンバーが起きているのではないかという危惧に押しつぶされそうになっています。

もちろん単に堪え性が無いだけとか、周囲の人間がみんなそうだから自分もそうならざるを得なかったとか、最後まで話を聞くと自分の言いたいことを忘れてしまうから待てないとか、そういった可能性もある。

会話って難しすぎる。全部Twitterで完結させたい。


バイトも終わったので、帰って寝ます。

おやすみなさい。

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