月隈朱莉

佐賀のSSW。歌を歌ったり、物を書いたり。

月隈朱莉

佐賀のSSW。歌を歌ったり、物を書いたり。

最近の記事

書き出し祭りについてつらつらと。②

こんばんは。月隈朱莉です。 と言うわけで、前回の続き。 5.書き出し祭りに参加してみてと言う感じで、期待はせずに作品を載せてみた結果、思っていた以上の方が反応していただいてすごくびっくりしました。 ほとんどスルーされるかと思っていたのですが、なんと言うか冷静な目から見てもらっていたと言うか、 「タイトルで読み飛ばす人結構いるだろうなぁ」と思っていただけにすごく嬉しかったです。 平均的なビューも1日10回はみていただいていて、かなりいろんな方に気にしていただいてるのもわ

    • 書き出し祭りについてつらつら①

      初めての方は初めまして。 知り合いの方はお久しぶりです。 佐賀を中心に活動しておりますシンガーソングライターの月隈朱莉と申します。 ということで、かなりいろんな方に物議を醸した拙作「猫の殺し方」、この書き出し祭りに出すに至った経緯や諸々についてお話しようと思います。 1.参加の経緯もともとこの「書き出し祭り」に関しては、知人が作品を出していたことを知っていたので存在は知っていたし、「参加してみたら面白そうだなぁ。とはいえこのかんじだと転生系とかだよな…書けるかな俺…」

      • たばこの話〜5本目、モダンタイムス〜

         MVが300回再生をいただきましたので、裏話的なものを綴ろうという今回のシリーズ。 と言う名目で始めたシリーズでしたが。 なんと先日、400回再生を突破。本当に聞いてくださる方がいてこそ、曲も命を持つものです。 本当にありがとうございます。 というわけで、改めて今回は、映像中に出てくるとある映画について。 モダン・タイムス 1936年発表。主演・監督はチャールズ(チャーリー)=チャップリン。 当時の産業革命により生まれた経済格差と、徐々に現れる資本主義社会の闇を

        • 初めて買ったCD

          スイミングの送り迎えで父親の車でかかっていたのは、 柴咲コウや小田和正。 そういう歌を聴いて育ってきた中で、 自分からCDを買いに行こうなんて思ったことはなかった。 そういうのは大人になってから買う物で、 水泳しかしていない河童小学生だった僕には、 それにお金を使うことの意味がよくわからなかった。 高校生になったころ。 相変わらずの河童だった僕は、たまに九州大会に出るくらいの飛魚にはなっていた。 そんな中で繰り返しルーティンしていたのは、 レンタルビデオ店で

        書き出し祭りについてつらつらと。②

          たばこの話〜4本目、映像とお話編〜

          1ヶ月空いてしまいました。もともとこういうエッセイを書くのは苦手です。 たまに書きます。開くこともあります。どうかお許しください。  MVが300回再生をいただきましたので、裏話的なものを綴ろうという今回のシリーズ。 と言いつつ、実はもう400回再生いただく勢いなのですが。ありがたいことです。 今回は映像について。 今回の映像制作は、佐賀のクリエイター「猫舌だけど知覚過敏。」氏にお願いしました。 ユニークな視点と演出家的な視点からのアドバイスは、今回のMVにおいて存

          たばこの話〜4本目、映像とお話編〜

          たばこの話〜3本目、役者〜

          https://youtu.be/7a_Kz_U4dcQ  MVが300回再生をいただきましたので、裏話的なものを綴ろうという今回のシリーズ。  今回は、配役した2人について。  今回のMVにおいては、演じて欲しい役者は決まっていました。  まずは主人公役、内田智大。  彼は僕が知る若手俳優の中で、  最も「普通」を知る俳優です。  纏う空気というものは役者それぞれの武器で、それに応じて役が振り分けられるもの  僕はそう信じているのだけれど、  彼は佐賀の若手

          たばこの話〜3本目、役者〜

          たばこの話〜2本目、撮影〜

          https://youtu.be/7a_Kz_U4dcQ たばこのMVが300回 再生をいただいたということで、 色々と話してみようというこのシリーズ。 今回は撮影の話をば。 ロケ地は大まかに4つ。 ・嘉瀬川河川敷 今年は中止になってしまいましたが、佐賀インターナショナルバルーンフェスタの会場です。 個人的には、おそらく佐賀で3番目に夕日が美しく見えるところ。 1位と2位は別の機会に。 ・某所森林公園 川近くにある広い公園。並木道も多く、遊歩道としては最高の

          たばこの話〜2本目、撮影〜

          たばこの裏話〜1本目、構想〜

          「たばこ」のMVが300回再生を超えたので、 せっかくならば裏話的な話を してみようってことで ここを使ってみます。 はじめは、このMVの構想について。 「たばこ」のMVを作りたいなぁ と思ったのは、まだ大学在学中、 2年前の夏ごろのことでした。 ちょうど舞台「大罪」が終わり、 音楽家としての日常に戻り始めていた頃。 当時ライブでは欠かさずと言っていいほど、 頻繁に歌っていた「たばこ」 これをもっと知ってもらうことが これからの活動を支えてくれるもの

          たばこの裏話〜1本目、構想〜

          夢のために生きる

          歌だけで生きていきたいと思った 歌だけでお金は稼げなかった だからせめて タレント的なことで食べていこうと思った でもそこに需要はなかった 需要は自分で作り出すもの わかっていた 片田舎でそれを仕事にするには 何もかも難しすぎることもわかった 集団とは難しいもので 協調性がなければすぐに人を 「いじられ役」というポジションに カテゴライズする それはその本人が秀でたものなく ただただ容姿や性格に欠陥を見つけ 人のなかで笑い物にし 集団の人間関

          夢のために生きる

          喜び

          自分の歌を別の人が カバーしてくれた時の喜びは なににも勝るものはない 喜びを言葉にして表現したいけれど それをすると相手の時間を多く奪ってしまう ゆえにそういった感情を押し込めて 「ありがとう」とか「うれしい」とか 一言で終わってしまうことが多い それは僕が言葉を より正確に伝えたいと願うが故の我儘なのだが 相手によってはそれを 僕がなんとも思っていないかのように思って 不機嫌になってしまうひともいる ちがうんだ そういう意味ではないんだ 本当

          宵闇

          死とは不思議なもので そこにいたものがそこになくなる 文学的に言えば文化的営為の終焉であり 生物学的に言えば生命活動の停止。 人はその営為にいつだって名前をつける それは、死に意味をつけるためだ 例えば橋の上から身を投げ出すこと 例えば自分の家族が病によって目を閉じること それら全ての瞬間を 人は自ら認識することはできない 僕は、その瞬間を知ってみたいという好奇心に 時々苛まれる それは自殺願望というより 人が知らぬ世界を知りたいという 究極の承認

          自意識過剰

          Twitterをやめて新しく始める人 それが知り合いだった時に 改めてフォローされたりしないと 「ああこの人は俺を外すために 新しくアカウント作ったんだな」 と思う 暗いとかそんなんじゃなく 普通に思う 世界は自分のためにあるんじゃない そんなふうにわかっていたとしても 自分から見える世界は全て 自分1人のものだ 自分の生き方は自分では決めれない 親、恋人、家族 それらに縛られて生きている それを守ることを選ぶことが 人間の本質なんだとしたら

          自意識過剰

          ともだち

          友達の作り方がわからない。 そもそもの人間関係を0か100かでしか 測ってこなかった僕にとって、 友だちというものは 存在するかしないかもわからなかった 高校時代、 文芸誌に書いた作品をめぐって 友だちだと思っていた男が 実は自分をそんなふうには 思っていなかったことだってある 誰かにそばにいてほしいときだって 誰もいない ずっと1人だ 大学時代、それは少しだけ変わった 高校から浪人時代の予備校を経て 大学まで連れ立った友人がいる。 誰よりも広

          拡散力

          劇団なんかでやったあとだと 個人の拡散力がいかに小さいものか実感する 個人の拡散力は 量と手数によって得られる場合が多い これをTwitterなんかでやると、 無言フォローを仕返してもらう ということになるのだろうけど 特にSNSの複数利用の場合には それがどこまで意味をなすかわからないため 難しいなぁと思う 結局はプライドが邪魔をしてるのかもしれない お金よりプライドをとっている時点で プロ失格なのではないかとも思ったりする

          企画書

          YouTubeのための 企画書を少し書いていた 僕ができる様々なエンターテイメント それらをどんなふうに配信するか なんとなく考えていた いろいろと考えて 「できた」とほっとして 筆を置き、そしてすっと苦しくなる 目の前の企画はすべて 僕1人が考え 僕1人で演出し 僕1人で創りあげるものだった そこに手助けはない そこに他の誰かはいない 需要があるかもわからないまま 駆け出すしかない闇が目の前にある 周りの人間たちが 仲間内で楽しくやってる

          YouTubeという媒体は

          YouTube始めてみました。 もともと構想はあったんです。 弾き語りをあげたり、MVを出したり。 だけど、これに関しては中途半端に手を出すと 絶対に中途半端で終わりそうで。 なんで、手を出さずにいました。 ただ、今回のコロナウイルスによる 自粛祭の開催で、 僕の表役としての仕事が なくなってしまいました。 佐賀城での「弘道館の先輩」役も、 おそらく終息宣言までは期待できません。 由々しき事態です。 ですが、ある意味チャンスでもある。 それまで表に

          YouTubeという媒体は