マタタビの小説(6)

さっそく本編です。


麗良の返信


「こんにちは。この度はご連絡ありがとうございました。Y助さんの投稿もよく見させてもらってます。そちらの病院は楽しそうでいいなあ、といつも思ってます。私もこれまでこの感染症にはおかしな点がいくつかあり、Y助さんの考えにも合うことが多いです。うちの病院は頭の堅い人ばかりで、私の話も聞いてくれませんしね(笑)。そんな職場にはちょっとうんざりしています。だから、今回のお話はとても興味があります。
 ですけど、忙しいながらも今の職場には満足しています。大好きな英語も活きる職場環境なんです。だからすぐに辞めるというのは今は考えにくくて。折角のお誘いではあるのですが、今回は控えさせていただきます。お誘いありがとうございました。」

 Y助は、豊のハンドルネームである。SNS上でのやり取りは実名ではない。だから、思ったことが素直に伝えられるのも、魅力のひとつでもある。
 ただ、麗良は真面目な性格のため、断りのメッセージひとつ送ることにも、相手に最大限の配慮をしたのだ。なるべく相手を傷つけないように。しかし時としてその本意は、文面という形では伝わらないこともある。汚い言葉を使えばそれなりの意思を出せるが、麗良にはそれはできなかった。かつて職場で接遇委員を務めたこともあったため、自然と言葉遣いは意識していたためであろう。母親のしつけが厳しかったことも関係していた。

ピコン♩

 豊のスマホの通知音が鳴った。休日の夕方、彼はうたた寝をしていた。とっさに目を覚まし、SNSを開いた。いくつも返信が届いていたが、豊が確認したかったのはダイレクトメッセージ(DM)だ。転職の誘いを行っていたため、結果を待っていたのは事実だった。医師も、看護師も、事務職においても。事務職はそれなりの手ごたえを感じていたが、実働スタッフについてはなかなか良い返事はなかった。

医師2名、看護師3名は断りの内容だった。最後が麗良のメッセージだった。読書が好きな豊かにとっては、一瞬で内容が理解できた。良い返事ではないことはすぐに分かった。今日も、SNSでは収穫はなかった。折角の休日でもあるのに気分はすぐれない。豊はいつも通り、酒を飲むことにした。いつもはビールが晩酌の常であったが、今日に限っては日本酒を飲むことにした。仕事を意識して普段は軽めの晩酌に抑えてはいたが、今日の結果は彼にとっても辛い現実だったこともあり、酒に浸りたい気分になったのだ。

 少し酔いが回ってきたころ、豊はSNSを再度確認していた。麗良の返信を何度も読み返していた。

(この人なら、気持ちが変わってくれるかもしれないな…)

 豊は麗良のメッセージに返信した。



志保との再会


 拓望が来ていたファミレスは、少しずつ客が減り、店内は徐々に静かになってきていた。志保の指定の時間から2時間半が経過していた。隣のオフ会のメンバーは程なくカラオケに向かったようだった。

 コーヒーを4杯、いや5杯は飲んだであろうか。スマホを扱い慣れていない拓望にとっての時間潰しは、それなりの苦痛でありストレスとなった。明日の勤務を考えれば、そろそろ家に帰りたい気分であった。

バタン……

 入り口のドアが大きな音を立てて開いた。静かな店内にはその音が大きく響き渡った。拓望も少し驚いて目線を送ると、そこにいたのは志保であった。
 志保はかなり動揺した様子で、辺りを見回した。そして拓望を見つけた。

「先生!! まだいらしたんですね。こんな時間になってしまい、本当にすいません…」

 志保は拓望の目の前で深々と頭を下げた。
しかし、頭を下げた志保が、小刻みに震えていることを拓望は見逃さなかった。長く垂れ下がったその髪は、昼間の勤務の時にアップにしていた巻き癖が残ったままだった。少なくとも、身なりを整える時間も無いままここに来たことが拓望にはすぐに分かった。

『いやいや、遅かったね。結構待ったけど、来てくれてよかった。そろそろ帰ろうかと思ってたところさ。あしたも仕事だしね。』

 拓望がそういうと、志保の目から大粒の涙が溢れた。

「昼に無理矢理先生の連絡先を聞いておけば、こんなことにはならなかったですね。でも、教えてもらえなかったし。もちろん、言い訳をするつもりもないですけど……  本当にすいませんでした。」

「まあ、生きてればいろいろあるさ。人間だもの。夜遅くなったし、今日はどうしようか。榊原さんも明日仕事だろ。」

「いえ、そういうわけには。先生、スマホをお借りしますね。」

そう言うと、志保は拓望のスマホを手に取り、Toitterのダウンロードを始めた。アカウント作成画面を開くと、拓望に返した。

「先生は、SNSでどんな名前にしたいですか?ハンドルネームって言うんです。ニックネームとも言いますかね。」

個人を特定されない、SNSの世界における自分の名前。拓望はしばらく考え込んだ。今の仕事に関連するもの、実家に関係するもの、趣味のこと……

「ハンドルネームだけに、車に関係することにしようかな。ドライブが好きだからなあ。」

「車の運転がお好きなんですね。それじゃあ、うーんと……

ドライブ命、っていうのはどうですか?」

それまで涙を流していた志保は、少し微笑んだ。

「命、は大袈裟かな。好きなのは好きだけど。ちょっと柔らかくして、ドライブを楽しむ……、でも、これじゃ、名前にはならないかもね。」

「ドライブ大好き、ドライブ放題……これも違いますね。ドライブ教徒、ドライブ…………」

志保がいくつか候補を挙げるも、何かしっくりとしない。以外にも、名前を考えるのは難しいものだ。

静かな店内に、有線の放送が流れてきた。よくあるファミレスのメニュー紹介であった。

【今月は、苺メニューが豊富です。パルフェ、ケーキ、タルトなど、期間限定でお楽しみいただけます。是非あなたもこの機会に、いちごまみれなひとときを過ごしてみてはいかがでしょうか。】

「あ……」
「これか……」

拓望と志保は、お互いの顔を見合わせた。2人とも同じことを思いついた様子であった。拓望のハンドルネームが決まった瞬間だった。


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