7.タイソンとの乱打戦

 そもそもなぜ私はこんなにも窮地に陥っているのか。なぜ一方通行なのか。なぜ親や学校の先生は「いろはにほへと」には秘密の続きが隠されていることを私にひた隠しにしていたのか。世の中ってこんなにも情け容赦のないものなのか。
 20分ほどその場に留まったのち、タイソンに跨り号泣のうちに出発した。もし「はじめてのおつかい」が何かの間違いで私を隠し撮りしているのであれば、日本中が涙することであろう。
 
 またしばらく漕ぐと、遠くの方に駐車場が見えて来た。やっとついたと思い、タイソンの上で拳を掲げウイニングランをしながら歓喜のゴールを果たしたかと思いきや、そこはまだ中腹のロープウェイ乗り場だった。
 落胆に苛まれながら、アイスクリームを売っているおばちゃんに華厳の滝は自転車で後どれくらいか尋ねると、ママチャリでここまで来た人は初めて見た、ロードバイクも滅多にこない。との返答であった。

 やはりそうであったか、前人未到の挑戦である。私はこの山の山頂に着く頃には修行の成果が発揮され、天狗になっているかもしれない。私が天狗になった暁には本当に「カッカッカ」と笑うのであろうか。あの笑い声は天狗になってから身につくものなのか、いやはや、今のうち練習をしておかねばならないのか。まあ何にしても天狗は良い。
 機嫌よく再スタートをきると、先ほどまで50%あったタイソンの電力が30%になっている。40%をなぜ飛ばしたのか、タイソン。どうやらタイソンはおばちゃんにママチャリ呼ばわりされたのがそんなに気にくわないらしかった。
 
 タイソンはあとどれくらい持つのだろうか。あとどれくらいで華厳の滝に着くのだろうか。あのおばちゃん、あとどれくらいかかるか聞いたのに時間を教えてくれなかったではないか。どうなっているのか。天狗になれると浮かれていないで、もう一度時間を聞き返せばよかった。一方通行で戻れないのである。
 元来、私は電力など大っ嫌いなのだ。いざという時に頼りにならないし、そもそも倫理観を養っていないことからして初等教育から学びなおしてこいと思っている。やりきれない思いを抱いたままタイソンに鞭打ち走る。
 随分直線の道になり、トンネルに入った。トンネルもまた長いこと走り続け、出口に差し掛かると眩しさに目がくらんだ。明るさに慣れ、目を開けると目前には大都会の景色が広がっていたのである。

中禅寺温泉バスターミナル。
 何とも不思議な街だ。今まで散々何もない山道を上り続け、トンネルを抜けると真っ平ら。駅前みたいな街並み。自転車で来た私にしか分からない不思議さなのか、みんな平気な顔して歩いている。
 この不思議さと嬉しさを例えるのなら、謎の感染症で自分以外はみんなゾンビになり、世界には自分一人きり。と思ったら、ゾンビウイルスに対しての抗体を持つ人間だけで築かれた平和な集落を発見した感覚。のそれが一番近似していると思われる。

 外界から来た私とタイソンに不思議そうな表情を浮かべる内側の人たちを横目に、残電力が20%となったタイソンをターミナルに停めた。
 帰りも一山二山越えねばならない。私の秀でた予見能力から察するに、非常にまずい状況である。
 が、まあ、ひとまずは楽しまないと来た甲斐ないので、華厳の滝に向かった。徒歩3分くらいのところに華厳の滝はあり、遠目から見てもとてつもない大きさの滝だ。早速、華厳の滝の真正面に行けるエレベーターのチケットを購入し乗り込んだ。

華厳の滝
 【日光には四十八滝といわれるくらい滝が多い日光周辺で、最も有名とも言えるのが華厳ノ滝。中禅寺湖の水が、高さ97メートルの岸壁を一気に落下する壮大な滝で、自然が作り出す雄大さと、華麗な造形美の両方を楽しむことができます。エレベーターで行ける観爆台から間近で見る滝つぼは迫力満点。爆音とともに水しぶきが弾ける豪快な姿が見られます。】らしい。
 
 まあ、華厳の滝に関しての、私個人の感想は「めっちゃかっけえ」だけである。だけであるが、それが全てなのだ。私は心の底から湧き出るような「めっちゃかっけえ」を求めてはるばる来た訳で、華厳の滝の「めっちゃかけえ」は想像を絶するものであり、本当に来た価値があった。
(注)私の言っている「めっちゃかけえ」とは様々な感情が複合的に織り合わされており、仮面ライダーやウルトラマンのそれとはわけが違うのだ。私の「めっちゃかけえ」はもっと権威があって、一番偉い言われているほどだ。

 私は華厳の滝を充分全身に行き渡るまで感動した後、心ゆくまで愛しきブロンドヘアーを観察した。


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