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あったかい冬の過ごし方〜ネタ曲投稿祭編〜

はじめに

どうもどうも、まつせです!

だんだんと寒くなり、空から何やら白い物体が...と、これは雪ですね。雪です。

そう!もうこんな時期になってしまったのです!

!!!!!

といえばクリスマス!!

クリスマスといえば!!

といえば、


...


ということで急に言葉が詰まり、凍えるそこの諸君。


今日は「あったかい冬の過ごし方」を教授するぞ!!!

"おいおいまつせ〜ネタ曲投稿祭要素はどこなんだ〜"と怒ってるそこの童貞・陰キャ・チー牛の皆さん!ちょっとしばしお待ちください!ちゃんと繋げるので!

※構造主義、記号論の考え方が含まれますが、条件や前提をはちゃめちゃにして悪用している不健全なnoteです。ご了承ください



「あったかい」とは

さて!ここでいう「あったかい」の話でもしましょう!

例えば、マッチ売りの少女で考えてみましょう。

マッチを売らないと家に入れない女の子。祖母の夢を見ながらマッチの「あたたかさ」を前に...というお話ですが、ここでいう「あたたかさ」というのは「祖母」無しには生まれないものです。簡単に結末を表すと

やべ、寒すぎ。マッチ若干あったけ〜!祖母、祖母が見えるでやんす!!!!!アー!!

という感じですが、あえてここで祖母の下りを消してしまいましょう。

やべ、寒すぎ。マッチ若干あったけ〜!死ぬ〜

はい。

これらから祖母が死の情景描写の役割を担うとともに、彼女自身の死への恐怖の緩衝材の役割を担っています。タイですね。祖母はタイです。

ここでいうキーワードは「死」へと転換されており、祖母はあたたかさそのものとしての象徴を全うしているわけですね。


で、祖母がいない場合、あたたかさはどこへいくのか。なのですが、それは「マッチ」に含意されます

さて、上記を踏まえて「あたたかさ」を考えた場合、「あたたかさはどこにでもある」ということと、センテンスによる個人解釈から生まれる「概念を新たに生み出している(またはその概念と同一化している)」ということになります。

なるべく学問的な言葉は使わずに説明をしているのですが、「ん??よくわからないぞ?」と思ってる人は必ずいると思うので、さらに簡単に言うと「あたたかさ」はメタモンです。というのは何にでも変身できるように、どこにでも、何にでもあたたかさと言えるということ。また、他のポケモンとメタモンを育て屋に預けたらそのポケモンのタマゴができるように、センテンスにあるたびにその文脈から新たな概念を生み出しては、結局はその文脈に帰結しているということです。

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参考:メタモンさん

まとめ:あたたかさはメタモン



「あったかい」と「冬」

さて、あたたかさは何にでもなれると考えたところで、冬の個人解釈を載せたn文に組み込まれ「あったかい冬」の一般的解釈が定着しません。

そこで、無理矢理条件を埋め込みます。


冒頭に話した話題に則り、「あったかい」はクリぼっちの寂しさを解消する1要素と考えましょう。

勿論先ほど述べた通りこれであったかいは「クリスマス」の概念へと変身します。

あたたかい=寂しさを解消する物=本来のクリスマス


つまり、本来我々の個人解釈の中にあるクリスマスがなんなのかによってあたたかさというものが変わっていきます。

では次は、クリスマスと言えば、ですよね!!

全会一致で、クリスマスといえば恋人と過ごす日!!ですよね!!!ね!!!!!!!

ね!!!


しかし、その恋人という新たな概念は文脈上を支配してしまいます。というのは、ここでいう恋人も「メタモン」だからです!!

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参考:メタモン(恋人の姿)


多分、みんな「は?」ってなってると思いますが、ここのセンテンスの中の恋人というものは「寂しさを解消するもの」であって、上記を踏まえると

あたたかい=寂しさを解消する物=本来のクリスマス=恋人

となるのです。


これは当然で前項で唱えたように「センテンスにあるたびにその文脈から新たな概念を生み出しては、結局はその文脈に帰結している」ことなのです。

まとめ:「あったかい」と「冬」を同一化してみた



無限メタモンの矛盾


前項末部で「センテンスにあるたびにその文脈から新たな概念を生み出しては、結局はその文脈に帰結している」ことについて深く考えていきましょう。

実は当文章を例えを交えて連続的に考えた時、

「目の前に1匹の蝿と1匹のメタモンがいる。メタモンは蠅に変身し、もう1匹と交尾をした。それで1匹の蝿が生まれた。しかし、メタモン⇨蝿という概念が生じたことによりもともと存在した1匹の蝿はメタモンの可能性が出てきた(メタモンが蠅に完全に変身できることがわかったため)。すると生まれた蠅は果たして本当に蠅なのかという疑問が出てくる。生まれた蠅は我々の解釈によってはメタモンとなる。そして蠅⇨メタモンという概念が生じて...」

になるんですよね。

これを私は「無限メタモンの矛盾」と呼んでいます(今から呼びます)。

この無限メタモンの矛盾の話を、そのまま「あたたかさ」とイコールで結ばれるものに置き換えてみましょう。

「目の前に1人の恋人と1つのクリスマスがある。クリスマスは恋人に変身し、もう1人と交尾をした(百合?)。それで1人の恋人が生まれた。しかし、クリスマス=恋人という概念が生じたことによりもともと存在した1人の恋人はクリスマスの可能性が出てきた(クリスマスが恋人に完全に変身できることがわかったため)。すると生まれた恋人は果たして本当に恋人なのかという疑問が出てくる。生まれた恋人は我々の解釈によってはクリスマスとなる。そして恋人=クリスマスという概念が生じて...」

もう意味わからないよ。

になりますが、記号としてクリスマスを解釈した場合、元いた恋人は恋人ではない可能性が出てくるのです(すると生まれた恋人は果たして本当に恋人なのかという疑問が出てくる より)。

ここで無限メタモンの矛盾の大きな穴があります。それは前提に「センテンス」を必要とするところなのです。そりゃメタモン=あたたかさである理由から当然のことですよね。

つまり、もう一つの概念と結びつける場合の媒体としてセンテンスが必要になるため、いわゆる二次元的である必要があるのです!

では、「一次元的に物事を表した時、無限メタモンの矛盾が適応されなくなるので、あたたかさとしての恋人、クリスマスは存在しなくなるか」と言われれば答えはNOです。

それは「あたたかさ」の説明であり、単体で見た時にイコールという符号が一時的に消え去るということに過ぎないのです!

まとめ:無限メタモンの矛盾を利用した恋人排斥が可能!



【番外編】クリスマスを破壊しよう!

ちょっと固い話ばかりで疲れてきたと思うのでここはいっちょクリスマスを破壊してみましょう!

今回はクリスマスの起源を考察して破壊方法を模索していきます!

クリスマスとは

クリスマス(英語: Christmas)は、大多数のキリスト教教派が行う、イエス・キリストの降誕を記念する祭。キリスト降誕祭(単に降誕祭とも)、降誕日、聖誕祭、ノエル(仏: Noël)などとも呼ばれる。「クリスマス」という英語は「キリスト(Christ)のミサ(Mass)」という意味に由来する。ほとんどの教派で、教会暦上の12月25日に祝われる。あくまでキリストの降誕を記念する日であり、イエス・キリストの誕生日というわけではない。(Wikipediaより)

なるほど。例え無宗派と言えど、誰かが大切にする日を容易に破壊してはなりません。

つまり、クリスマスは破壊できません!

そんなんだからおまいらいつまで経っても彼女できねえんだぞ!!

まとめ:破壊しようとかしてるからおまいらは...



虚数空間的「恋人」

さて、無限メタモンの矛盾から次元を変えて考えると恋人という存在がなくせそう!みたいな話になってきましたね!

いわばこの境地での、クリスマスにおける恋人というものは虚数空間的存在なのです。

恋人を人として単一化できず、概念として漂うことになります。

脱線します。

一応説明しておきますと、そもそも「虚数空間は単に存在しないという意味を含みません」からね。というのは虚数があると仮定した時に考えられる概念で、その考え自体がある限り存在するものとして考えることになります。また、ここで扱うのは量子学やら数学やらの話でなくあくまでも虚数空間「的」の話です。虚数空間の内容を指した的ではなく、その存在自体を指した「的」です。

話を戻します。

クリスマスにおける恋人という存在が二次元的思考と一次元的思考を介することで擬似的に「虚数空間の存在の成り立ち」と同様になっていくのです。

恋人は、本当に恋人でしょうか...

それは、「ない」から生み出してしまった「概念」ではありませんか...


ということで、これをうまく使っていきましょう

まとめ:「恋人」は存在しない



あったかい冬の過ごし方

さて、今までの話したことを踏まえてあったかい冬を過ごしていきましょう。

まず、「恋人」は存在しません。なので、「恋人と過ごすクリスマス」も存在しません。そうして、寂しさの元凶である恋人がいる人への羨望も意味のないものへと変わります。そして「あたたかくない」要因の「寂しさ」がなくなります。無理矢理条件として冬=クリスマスとしてので


そして、寂しさが消えた今...

とてもあったかい冬となりました!

𝓗𝓐𝓟𝓟𝓨 𝓔𝓝𝓓......

皆さんもこれであったかい冬が過ごせますね


おわりに


おいまて、おいまて、ネタ曲投稿祭について繋げ忘れてた

おわらない

無理矢理繋げます。

無理です。

なので、前回のネタ曲投稿祭の推し曲を少しだけ紹介します!!!!!!!!!!!!!

【ほんへ】第一回ネタ曲投稿祭個人的推しの紹介

1.出オチじゃないよ!/セリフ

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なんだよこれ...みたいな作品。ミク花で展開されるショートコントや(ネタバレ防止)や、あのキラーフレーズの(ネタバレ防止)なんかがこう、なんだよこれ...みたいな作品。

可愛いさも相まって「意味わからなさ」が際立ってかなりシュール。「ネタ曲」の究極形とも言っても過言ではない。

なぜ最善を尽くしたのか。とも言いたくなる。

ちなみにセリフさんはネタ曲投稿祭参加作品の他にも沢山面白いネタ曲を投稿していらっしゃるのでチェック不可避

2.甘いものが食べたい/kamoshakeh.

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じゃあ是非食べてくれ。

ただひたすら甘いものを求めるというだけで攻めてくるジャルジャルコント感や、歌唱ライブラリに謡子を選んだことが大いに「ネタ曲」すぎる。何故この歌詞をこの美声で聴かせ続けられるのだろうか...と困惑するリスナーに君もなってみよう。

また、同氏の作品「すれちがい」なども大変面白いのでチェックせざるを得ない。


3.手ぇ ごしごし ソング/豆腐と盾

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てぃ!じゃないんだよ。

ただひたすらに手をごしごしする曲。手ぇごしさんのてぃ!がだんだんとじわじわ来てしまうこと間違いなし。

心配しながらも動画を盛り上げるニコニコのコメント共に見るのが大変楽しい。

そして、なんといっても、あり得ないくらい耳に残る。マジでつい最近も大学の講義中頭ん中でずっと流れててやばかった。てぃ!のところでてぃ!って言いそうになったもん。


4.うちのボカロが音痴なんだが・・・/はろぅP

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テーマ、内容、話の展開、セリフ全てにおいてネタである上に的確でスムーズ。きっと聴いてる最中は誰しもが「ニヤニヤ」が止まらない。歌わせるのは下手調声なのに喋らせるのは神調声という完全に実力の無駄遣いを堪能しないともったいない!!

そして、1番の見どころは「曲あってのPV」!絵の可愛さがすごい!可愛いのに面白すぎる!それって罪では...??

はろぅPのかっこいいギターソロにも注目!!


と、こんなもんですかね!

ということで、ネタ曲投稿祭2021秋も楽しんでいきましょう!!!


おわり

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