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Torn 同窓会ー1

甘いものを見た子供のように、俺は手を伸ばしていた。受け取ることが当たり前だと思っていたのに、アキヨは笑って誤魔化した。
「この前、ナンパされた」
 カラカラと笑って、前かがみになって、俺の手を振り払って、そうして俺の反応を試しているつもりかもしれなかった。
「それで?」
「それでって?」
「だから、それでどうした?」
「どうしたと思う?」

「夜のプールがどんな感じなのか知りたい」とアキヨが言ったから、俺達は、フェンスをよじ登って侵入した。多分、テレビドラマの影響だと思う。そこは彼女が3月に卒業したばかりの学校だったけれど、俺は全く知らないプールだった。まっさらな感じの、塩素の臭いのするプールに裸足を突っ込んで、アキヨは、俺の隣に座っていた。

「ついていった」
 俺が何も言わなかったから、アキヨは自分で自分の質問に答えた。
「それで?」
「それでってそんな感じなの?」
「どうせ嘘だろ?」
「もういい」

 彼女もまた、受け取れると思っていたのかもしれなかった。
 俺達は、お互いに欲しいものを与えなかったのに、動かないままでいた。車の走る音や、正体のわからない虫の声、ただただ熱い個体のような空気。
 本当の夏というのは、8月に入る前の7月の事を言うのだろう。

「せっかくだから、プールに入る」
 俺はそう言って、服を脱いだ。シャツやジーンズだけでなく、下着も脱いで、わざと丸裸になった。それで、アキヨに自分の熱情を伝えようとしたのだと思う。
「アキヨも脱いだら?」
「はぁ?バカじゃないの?」
 そう言いながらも、少しだけ街灯の明かりが届くプールで、アキヨは俺の裸をしっかりと見ていた。
「何見てんの?」
「見てないし」
「見た事あんの?」
「ないし」
「ないの?」
「だから、ないって」
「ナンパされて、ついていったのに?」
「ついていってないし」
「ほら、やっぱり嘘だろ?」
 俺は一人で、プールに飛び込んだ。知らないプールは思ったよりも冷たかった。潜ると、ジーという音が、ポコポコと消えていく感じがした。それから、わざと背泳ぎしてみせた。
「泳がないの?」
「そんなつもりじゃなかったし」
「どんなつもりだったの?」
「別に」
「プールに来て泳がないなら、何しに来たの?」
 俺は意地悪だったと思う。アキヨが俺の事を嫌いになる事がないと知って、アキヨを困らせてみたかった。

「ねぇ、コウキって夢とかあんの?」

 急にアキヨが、くだらないやり取りは時間の無駄だというように、真顔になって俺に聞いてきた。それに対して、あてが外れた俺は面食らった顔をしたと思う。それから、俺はその後の会話をしたくないと思った。

 午前2時55分。俺は夢を見ていたようだった。
しょっぱい顔をしながら俺はスマートフォンで時間を確認した後、自分の年齢を数えた。もうすぐ40歳。決して高校生なんかではない。そして、なんでそんな夢を見たのかという事を思い出した。ニュースでアキヨが死んだことを知ったのだ。苗字が変わっていなかったから、ネットニュースに埋もれることなく、俺の頭に入ってきた。
 そんな事を考えるのをやめようと決め、俺は再び眠る努力をしてみた。昔の事よりも、明日の事の方が心配なのだ。具体的なことではない。眠れない事で、眠たい昼間を過ごしたくないと思ったのだった。
自分の細胞の一つ一つが、あの頃と比べて、スカスカになっているのかもしれない。いや、自分の事を正確に感知できるセンサーなど俺は持ち合わせていない。昔はぎっしり詰まっていて、はち切れそうだったと思うのは大袈裟だろう。昔の自分を、過剰に評価すること自体が、老化だという話を聞いたことがある。それでも、昔はよかったと俺は思っているのかもしれなかった。
 いや。もう寝よう。寝てしまいたかった。そう思いながら、さっきの夢の続きを俺は思い出した。
「あるよ。スッチー」
 昔はキャビンアテンダントなんて言っていなかった。スチュワーデスでスッチー。アキヨは「スッチーになりたい」そう言っていた。それで、俺は何も考えていなかった。夢などなかった。今もない。あいつは、スッチーになったのだろうか?なんで、あんな事になったのだろうか?
 行ってみるか。
 嫁が無言で、俺の机の上に置いていた同窓会の案内の事を思い出した。それで、アキヨの事を考えるのは終わりにして、俺は眠る努力をした。しかしながら結局、俺は朝まで何度もスマートフォンを見る事になった。タイムリミットが迫るたびに、あと何時間寝られるかという計算ばかり。実際には何度か寝ていたと思う。けれども、数十分寝ては起きての繰り返しだった。

一日延ばしは時の盗人、明日は明日…… あっ、ありがとうございます!