ひとりぼっちの楽しみ① 映画が好き
ロシア映画みてきて冬のにんじん太し 古沢 太穂
子どものころからの趣味は映画である。いまでも月に一回は映画館に行き、休みの日はインターネットで映画を観ている(家事もしないで日に三本観ることも)。
映画を観はじめたきっかけは、アンナ・パブロワというロシアのバレリーナだ。小学生のわたしは、テレビでアンナ・パブロワの「瀕死の白鳥」を見て、こんなに美しいものがあるのかと感動した。そのことを学級日誌に書いたりして、先生に「お友達と遊びなさい」と心配されていた子だった。
そんなある日、「チャイコフスキー」の映画ポスターを目にした。ポスターの一部にバレエダンサーたちの写真があった。家にはクラシック全集のレコードがあったので、チャイコフスキーがバレエ曲を作曲していると知っていたのかもしれない。すっかりバレエの映画だと思いこんだわたしは、観たくて仕方がない。母子家庭だったので、母親は忙しい。近所に仲良くしていた大学生のお姉さんがいて、お姉さんに連れて行って欲しいと頼んだ。そして、はじめて映画館に踏み込んだ。
しかし、チャイコフスキーの映画はバレエ映画ではなかった。バレエのシーンもあったと思うが、映画はチャイコフスキーの晩年の物語だった(今調べると、チャイコフスキーが自殺したり、離婚したり辛い時代の話だったみたい)。今でも覚えているのは、雪の並木道を馬車で走るシーンである。ロシアの大地は白と黒であった。すこしがっかりしたが、わたしの映画趣向を決める要因になった。
その頃の映画館は二本立てだった。もう一本はアラン・ドロンの『太陽がいっぱい』。ラブシーンに目を背けなくてはいけなくて、同行のお姉さんも困っていたが、アラン・ドロンは強く印象に残った。イケメンという存在をはじめて知って、華やかな映画という世界にはまっていった。「日曜洋画劇場」「金曜ロードショウ」を必ず見ていた。淀川長治さんの「さようなら、さようなら、さようなら」と番組のテーマ音楽が記憶にこびりついている。
その中で夢中になったのは、ロシア映画の『戦争と平和』である。長い映画だが、再放送もあったから人気だったのだろう。わたしは、テレビの前にカセットデッキを置き、テレビの音を録音した。その間は家族が音を立てると怒った。まだまだビデオなどというものはなかった。その録音テープを寝ながら聞くのだ。ナターシャがはじめて登場する場面、ピエールがナポレオンとの戦場、ボロジノの戦いの現場に赴き、両軍の犠牲の悲惨な現実に愕然とする。カメラは天に向かい神の視点で戦場を見る。「神はいるのか」。そんな吹き替えを何度も聞いて映画を脳内再生していた。
その頃はロシア映画というのがひとつのジャンルで、映画史に残る作品が多かった。昔のインテリ若者はロシア映画を見ていたのではないだろうか。先にあげた古沢太穂は大学でロシア語を専攻した人だ。ロシア映画に憧れがあったのだろう。冬の人参は、もしかしたら、映画のなかのロシアの貧しい家の床に転がっていたのかもしれない。帰れば、自分の家にも冬人参が置かれていた。その頃は、ロシアも日本も貧しくても庶民のたくましい暮らしがあった。
ロシア映画は、いまもがんばっているはずである。しかし、すっかりハリウッド映画に押されているようにみえる。新作が地方の館にかからない。いちばん最近観たロシア映画は、2014年公開の『草原の実験』。
旧ソ連時代、カザフスタンの草原に美しい娘が父親と住んでいる。娘のことが好きな二人の青年との三角関係。父親はどこかに仕事へ行っているが、だんだん具合が悪くなる。セリフもなく美しい映像がつづく。そしてラストを迎える。衝撃だ。ボロジノの戦いで、ピエールは戦争を呪ったが、それどころではない。怖い。実際に草原で行われていた実験なのである。
少し前まで映画はレンタルビデオ屋で借りるものだった。いまでは、ネット配信でなんでも見られる。便利な時代である。でも、映画館にひとり座る時間が私は好きである。映画はひとりで見に行くにかぎる。できるだけ前の席を取る。座席指定の映画館では毎回、チケットを売る人に「スクリーンに近すぎますが」と言われるが、「大丈夫です」と答える。映画の世界に没入したいのだ。映画が終わった後に夜の街を歩く。渋谷で新宿で池袋でそうしていたように、盛岡の街を歩いて、ひとりで余韻に浸るのが好きだ。
そうそう、やっとシニア割引が使える歳になった。どんなにうれしいことか。わたしにとって映画は憧れであり、スリルとサスペンスの癒しであり、人生の教師である。
古沢太穂の句に、次の句もある。どうやら映画ファンの俳人だったようである。
寒夜しまい湯に湯気と口笛“太陽がいっぱい”
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