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やっぱり猫が好き

どうぶつ歳時記③
 
 やっぱり猫が好き
                    胡桃
  
 わたしは浜辺に立っている。木で組んだ大きなテラスのような塔に猫がびっしり座っている。「こんなに猫がいるならジャンがいるかもしれない」と思って、「ジャンジャン」と呼ぶ。しばらくして「フニァー」と枯れた鳴き声が聞こえて、縫いぐるみのようなフワフワした毛をゆすりながら、お上品な足取りで階段を下りてきて、わたしの足に頭をゴツンした。ジャンを抱き上げながら、「ランディもいるだろう」と思う。「たぶんランディ怒っているな」。
 そう思ったところで目が覚めた。夢である。
 覚めてから思った。あれは天国だったのだ。天国で猫たちが飼い主を待っている。猫たちが待っているのなら天国も悪くない、そう思った。
 ジャンは最後に飼った猫。ランディは夫が独身のときから飼っていた猫。ランディ・バースが活躍して阪神が優勝(一九八五年)した時にもらったのでランディとつけられた。長生きをして、阪神が久しぶりに活躍した二〇〇三年の優勝が決まる少し前に死んだ。
私たち夫婦が東京にいたときは、ランディは室内飼いの猫だった。遠野に移住し、外へ自由に放したとたん野生化して、モグラやヘビをとる狩猟家となった。獲物をとって自慢そうにわたしたちに見せる。でも、人見知りでよその人が来ると隠れる。近づくとフゥーと怒る。ただ、隣のばっちゃんは好きみたいで、土間に座って話していると、いつの間にかそばに来て香箱になって話を聞いていた。
ランディを亡くしてからは、夫が「ランディに匹敵する猫でないと飼わない」といので猫は飼わなかったが、ある日家のネズミ捕りに大きなネズミがかかっていた。いつもは小さな野ネズミである。野ネズミはぐりとぐらだと思って許せるが、クマネズミに家のなかを歩かれるのは嫌だ。
「猫を飼わなくちゃいけない」と猫の譲渡会をネットで探すと、日曜日に花巻であることがわかった。
さっそくでかけて見つけたのがジャンである。ふさふさの毛に大きな猫。ランディに似ている。この子なら夫も気に入るだろうともらうことにした。ショパンという名がついていたが、呼びづらい。「ノルウェージャン・フォレスト」という種類のようなので、ジャンとした。しかし、このジャンは上品すぎてスローで獲物を狩りするなんて趣味は持ち合わせていない猫だった。気が良すぎる。フゥーと怒ることも壁で爪とぎすることもなかった。すでに年寄りだったのかもしれない。ジャンは腎臓の病気があり、四年ぐらいで逝ってしまう。
 などと猫の思い出を語れば、いくらでも書けるのでやめておこう。
 猫の季語といえば、「猫の恋」である。うちのジャンもランディも去勢されていて、恋はなかった。それもかわいそうなことだったかもしれない。
 
 恋猫の体つめたくして帰る      鳥居三朗
 
 子どもの頃にも猫を飼っていた。春に猫は一週間くらいいなくなる。しばらくして少しやつれて、何気ない顔で帰ってくる。そんなことも懐かしい。
 まだ雪が残るのに、春を感じた山の家のまわりで野良猫たちが動き出す。ギャーギャーといつもとちがう鳴き声。野良猫たちは隣のおばちゃんが餌をあげている。優しい人なのだ。家猫もいるが、寄って来る野良猫も放りだすことはできない。少ない年金から「高いなあ」といいながら、キャットフードを買ってきてあげている。
「鞍馬天狗シリーズ」で有名な作家、大佛次郎は大の猫好きであった。『猫のいる日々』という本がある。生涯500匹の猫を世話したという。飼っている15匹の猫のご飯時には、15の茶碗が並ぶ。その猫好きは有名となり、大佛次郎の家に猫を捨てていく人も後を絶たなかった。パリに滞在中、近くの八百屋に白猫がいる。通行人にも動じず歩道で寝ている。大佛次郎は、その猫にたたみいわしをあげる。いつも寝てばかりの猫が、目を見開いてむさぼり食べはじめた。「こんないいものがある世界とはしらなかったろう、どうだ?」と猫に威張っている様子は笑ってしまう。 
 わたしも猫をもう一度飼いたいと思うが、飼えない。夫婦ともに老いてしまった。猫を最期まで飼いとおすことはできない可能性が高い。
 最後にあげた河原珠美さんも猫の句をたくさん作る俳人である。『どうぶつビスケット』という絵本のような句集がある。昨年、一緒に秩父の金子兜太の墓参りをした。そのときも今飼っている猫の話がつきなかった。
 
 ふとん干す猫まで干したおぼえない   河原珠美
 
 

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