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「配慮」を考える

”全体"を相手にする時に限っては、配慮をしようとしている時点で、「行動に移した時にはだれかを傷つけるかもしれない」と思った方が良いのかもしれない。

行動の出発点に「目の前のこの人」という『誰か』が浮かぶ時には、配慮がコミュニケーションに変わるのではないかと思う。相手を想ってした行動になる。

「これならみんな傷つかない」

傷つけたくないなら、目の前にいる人に干渉をしなきゃいいだけだと自分は思う。なにもしなきゃいいだけ。喋らなきゃいいし手を出さなきゃいい。
だから、「絶対誰も傷つかない」は無いんじゃないんだろうか。

無いというよりかは、
やってみるまで分からない。

だから、いろんなパターンを考える。
どれがベターなのかを考えて実行する。
それで良いのだと思う。

目の前にいる「〇〇さん」。
この人を傷つけてしまうかもしれないと思ったら、自分は行動に移せない。でも、「かもしれない」が付き纏う中でのベターなら行動に移すと思う。

こんなことを考えていたけれど、
自分は本当にできるのだろうか。

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