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Jpanese 音楽業界

[3495文字]
世間の曲には
「いい曲」と「ヒット曲」
それからごく稀に「ヒットしたいい曲」
大多数の「それ以外の曲」
この4種類があります
この4種類はそれぞれ独立した
全く別物です

なので
「いい曲」がヒットするとは限りません
また多くの人に
いい曲だと知られていない場合が多いです
いい曲の尺度は個人に由来するものです

「ヒット曲」はいい曲とは限りません
多くの人に広く知られている場合に限ります
ヒット曲の尺度はセールス数に由来するものです

「ヒットしたいい曲」は大変いい曲でなお且つ
多くの人に知られている曲の事です
大多数の個人がいい曲だと認め
なお且つセールスを伸ばした曲の事です

「それ以外の曲」はヒットとは縁がなかった曲です
大衆が聴く機会がない曲なので
いいかどうかの選別にも上らない曲です
またここは駄楽曲の掃き溜めでもあり
埋もれた「いい曲」「ヒット曲」の宝庫でもあります

世間の多くの人は「ヒット曲」=「いい曲」
という図式を信じて疑いません
これはつまり世の中には
「ヒットしたいい曲」と「それ以外の曲」
その2種類しかないと思っている節があるという事です
その要因に昭和に築き上げられたビジネスモデルの後遺症
というのがあるように思うのです

昔々のその昔
曲にお金をかければ高確率でヒットが出せた頃がありました
これは昭和的音楽業界のビジネスモデルです
繰り返し聴かせれば人は覚えます
多くの人に聴き覚えのある曲は
「ヒット曲」と言われます
もちろんセールスも上がります
レコードやCDは仕組んだ人たちの思うつぼに売れました

何故そんな単純な操作が可能だったかというと
昭和の頃のメディアが
主にテレビとラジオだけで占められていたのが要因です
この2つにヒットさせたい曲をどんどん投入していけば
まあまず間違いなくヒットしたものです
聴者の脳に刷り込んでいくのです
この時期以前に政府や企業で確立された
プロパガンダやサブリミナル技術の応用と言っていいでしょう
この手段は未だに日本の音楽業界で主流だと言えます
当然初期投資はかかりますが
ヒットさえすれば十分な利益を上げる事が出来ました
しかしプロパガンダやサブリミナルの被害者は放置されて
ヒット曲はいい曲だと信じ込まされた忠実な消費者の彼らは
自覚症状のない後遺症の犠牲者のままなのです

昔よく耳にした様な楽曲はもちろんヒット曲です
ああ懐かしいな とは思いますが
それがいい曲とは限りませんね
ただ個人の古い記憶を司る脳のある部位に
何十年かぶりに火が入って活性し
呼び起こされる周辺の記憶と共に
その刺激を楽しんでいるに過ぎないのです

こういった商業ベースの音楽業界がいけないとも思いません
これがあるおかげでメガヒットが生まれ
社会に大きな経済効果を生み出します
スポンサーは商品がドカスカ売れ潤い
会社のイメージアップやブランディングも
同時に獲得する事が出来ます
爆財を生む作曲家や作詞家は先生と呼ばれ
潤った業界の雇用や社会保障は担保され
それに関わる人の家族は安定的生活が保障されます
その子供らは学校や公園でそのヒット曲を口ずさみ
数十年後には美しい思い出として取り出され
ひとり薄暗い部屋の中で涙しながら
殺人的社会から一瞬解放されるたりするのです

残念なのはヒットを生む手段がもうさすがに古い
日本の最近の業界はどうした事でしょう
世界を見ても未だに売上の7割をCDに頼ってる国なんて
本当にもう日本しかありません
世界は当たり前にサブスクなのです
サブスクと言ってピンとこない人は
あなたも古い業界の被害者だと言っていいかもしれません

とある大学で何のメディアで音楽を聴いてるか?
というアンケートをしたそうです
3年前はやはりCDがダントツで
サブスクは1~2割程度でした
ところが2020年にもう一度同じアンケートを取ったところ
サブスクが約6割でCDはほぼ壊滅的でした
この先ほぼ100%になるのは時間の問題です

驚くのはこうした動きを
日本の音楽業界がリードして来た訳ではないという事です
業界は未だに昭和のCDセールスと
ライブエンタメにこだわってます
ライブエンタメと言ってもいわゆるライブではありません
センター争奪選挙とか握手券とか
どの業界もグローバルを意識して久しいこの時代に
未だ国内需要だけにしか影響しない
しかもその中のほんの一部の人種にしか刺さらない
小さな小さなエンタメにこだわって来たせいで
日本の音楽は今や風前の灯火状態です


ちょっとだけ話を変えます
カラオケという文化がありますね
昭和のスナック辺りで生まれ
次第に利用年齢が拡大し
以前は若者の娯楽の1位にもなりました
あっという間に世界にも進出し
地球規模でKARAOKEの言葉は定着しています
それから時代も進んでカラオケ自体も日常化し
今や大勢で楽しむものでもなく
音楽性の合う2~3人又は1人で行くのが普通だと言います

何故日本でカラオケが流行ったんだと思いますか
突然カラオケが流行ったわけではありません
もともとカラオケ発祥直前まで日本には
歌声喫茶やフォーク村という様な
大衆歌唱機会があったのです
そこに目を付けた誰かが
本格的且つ個人的にしたのがカラオケです

歌声喫茶やフォーク村からカラオケ
別に他国と比べて日本人が歌唱好きだった
という訳ではありません
どの国の人も歌って踊るのは大好きです
ではなぜ発祥が日本だったのかを推測するに
そこには当時の日本の音楽の幅広さがあったのですね
カラオケがスナックに登場し始めた昭和40年代
その頃には既に日本の音楽は成熟していました
ひと言で演歌と言っても何種類もあり
ロカビリーやサーフロックのグループサウンズも
この頃はもう下火で
フォークソングが流行の筆頭の頃です
もちろんジャズやブルース
ソシアルダンスミュージックなどもありましたが
でもなんといっても歌謡曲が業界を大きく育てました
今と違い作曲作詞編曲はそれぞれのプロが担当し
楽曲や演奏のクオリティーは
当時他国にも全く引けを取りませんでした
ニーズを支えるのに十分なコンテンツ量が既にあったのです
この国の音楽を支える広大な裾野は盤石だったわけです

それから20年ほどたった1990年代
お隣韓国にもカラオケ文化は飛び火しました
当時の韓国には日本の文化を輸入してはならない
という法律があったので
日本の音楽はかの国ではご法度でしたが
カラオケの仕組みだけは海を渡ります
当然韓国国内で歌われるカラオケは
韓国国民の大勢が知っている曲です
当時僕はこの韓国カラオケのオケ作りにちょっと関わりまして
お隣の国でヒットしている曲というのを何十曲か
楽器別に分析し譜面に起こし打ち込みして
スタジオ録音する一歩手前までの作業を
請け負っていたのでした

いまのK-Pop好きの人には
全く想像も出来ないと思いますが
その頃の韓国のヒット曲は日本と違い
もっと民謡チックで童謡っぽくて
何世代も唄い継がれてきたような
歴史を感じる古めかしい感じの曲ばかりでした
韓国の曲は古来伝統的に3拍子の短調が多く
どこかもの哀しい曲が多い印象です
かと思えばある曲ではコミカルで
どこまでも能天気な曲もありましたが
どれもとにかく古くさいのです
正直言って当時の僕には
韓国の音楽に未来は感じられませんでした

ところがそれからたった20数年
今や韓国の音楽はグラミー賞も狙える位置にあります
日本人が日本人の一部に向けて
握手券とか選挙とかやってるときに
韓国の音楽業界は世界の頂点を模索しているのです
当然動く金額も莫大です
韓国のプロデュサーが言っていたのは
「韓国で1枚売れるなら世界では100枚売れたのと同じ
音楽に国境はない
何故国内だけにとどまる必要がある?」
全くその通りです

中村八大さん作曲 永六輔さん作詞
歌 坂本九さんの「上を向いて歩こう」
この曲は確かに「ヒットしたいい曲」ですが
この「Sukiyaki」が米国ヒットチャートの1位になった事を
未だに自慢するような口調の日本のプロデューサーが
業界にまだ存在する様ではこの国もいよいよいけません
もう半世紀も前の事ですからね
韓国はNCTやEXOそしてBTSなど
既にここの所のビルボード上位を大いに賑わせています

考えてみれば「上を向いて歩こう」の頃に
カラオケは生まれたのです
日本の音楽業界の青春期と言っていいのでしょう

日本語には聞くと聴くがあります
英語にもHearとListneがありますが
韓国には聞くはひとつだそうです
また日本語で歌う 唄う 謳う 謡う 詠うは
全て「うたう」と読みますが
英語にはSingしかなく韓国も「うたう」はひとつです
この微妙なニュアンスを使い分けていた日本人
何か外国の人では気付けない何かを
もしまだ感じ取れる力が残っているなら
その辺に日本の音楽の未来があるのかも知れません