本当の澱みない音
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「澱み(よどみ)のない音」とはどんな音を想像しますか。
アタックがなく高音質でリバーブやディレイ効果を加味し透明感を表現したような音を想像する人は多いと思います。
音の「澱み」とは何か。
それがないとはどういう感じなのか。
水で表せばわかりやすいかも知れません。
「澱みのない水」とは、不純物の含まない水の事です。
泥や葉っぱ、塩分や硫黄分なんかもない水です。
浄化水なんかはそれに限りなく近いかも知れませんね。
そして水は浄化すればするほど味や香りがなくなります。
音にも倍音や歪(ひずみ)などの不純物があります。
それらを取り除いていくとパルス音(パルス波)というごく単純な音だけが残りますが、
これは皆さんが思う「澱みがない音」のイメージとは少し違って聞こえるかもしれません。
どんな音かと言うと時報の プッ、プッ、プッ、ポーン!のポーン!の音辺りは近いです。
このパルス音はシンセサイザーで簡単に出せる音ですが、
この音でメロディーを弾いてもなんというか、
浄化水同様味がないのです。
決して透明感のある感じになどなりません。
一昔前にありがちだった電話の保留音で、
「エリーゼのために」などを想像してもらえればいいと思います。
ましてパルス波ばかりを使って1曲をアレンジすると、
恐ろしく耳障りというか耳に痛くて抑揚のない、
居心地の悪いものになるのです。
ファミコン時代のゲーム音楽はこれに近いでしょう。
面白い事にこのパルス波でどんなに音を重ねても、
ある程度まで行くと決して分厚い音にはならないのです。
浄化水同志をどんなに混ぜ合わせても変わらないのと同じです。
皆さんが想像する透き通るような透明感のある「澱みのない音」とは、
実は案外「澱み」がなくては成り立たない音なのかも知れませんね。
音には倍音がないと深みが出来ません。
どんなに高価なバイオリンでもピアノでも、
倍音が美しく響く楽器こそが名器とされています。
響くのは実音の事ではなく倍音の方です。
そしてあり得ないと思うかもしれませんが歪の成分も必要なのです。
歪む楽器と言えばエレキギターですね。
あんな音がストラディヴァリウスから出てるもんかと思うでしょ?
あまり聞く機会はないかも知れませんが、
ド素人がストラディヴァリウスを弾けば一発で分かるはずですよ。
それらの歪や倍音を上手にコントロールするからこそ名器であり、
名手なのです。
あとやはりその名手が弾いた音にリバーブやディレイをかけたいですね。
そうすると一段と音に透明感が増します。
この効果は演者の技術では無理ですから、
洞窟やトンネルに連れて行きましょう。
皆さんもやったことがあると思います。
トンネルや地下通路、吹き抜けの非常階段などで、
わっ!とかアー!とか手を叩いてみたり。
硬質の壁に囲まれた比較的広い空間で音を出すと、
音の複数乱反射によるディレイ効果や、
リバーブ効果を生み出します。
例えばパルス音の様な単調な音でもトンネルで聴けば、
少しは透き通った感じになります。
それは自身の音が反射して遅れて聞こえる音と重なり合って、
倍音効果に近い状況になるからです。
ましてこのトンネルで名手がストラディヴァリウスを弾けば、
そりゃもう飛び切り幻想的な世界にいざなってくれることでしょう。
ではディレイやリバーブ効果はかければかけるほど良いかと言うとそうではありません。
夜のカラオケスナックで聴くようなワンワンと唸るエコーもディレイの一種ですが、
あんな感じでかけすぎると耳障りになります。
しかしカラオケスナックの場合かけなくても耳障りなんでしょうけどね。
そのバランスの良し悪しがレコーディングエンジニアやプロデューサーの腕です。
サックスという楽器があります。
楽器をしない人に「ひとつだけプロ級の腕を与えられるなら何の楽器?」
という問いで一番人気の楽器です。
あの唸るようなむせび泣くような音にしびれるという訳です。
しかしあのサックスという楽器、
他の楽器と比べてもかなりの倍音と歪音が混ざっています。
そういう音に人は心を惹かれる実例でもあります。
歌声もそうです。
ボーカル志望の子のほとんどがハスキーな声に憧れるといいます。
徳永英明さん、桑田佳祐さん、スガシカオさん、森進一さん、柳ジョージさん、
皆さん特徴的なハスキーボイスです。
濁声なはずなのに聴いていてホッとするというか落ち着くというか。
実はこの人たちに限らずボーカリストのほとんどは、
一般の人と比べて多かれ少なかれ皆ハスキーボイスなんです。
楽曲の中で聴くので混ざったり協和したりして分かりにくいんですが、
オケを全部消して単独で聴くと皆さんそれなりのハスキーです。
つまり一般的にいい声と言われるのは濁声の事なんですね。
あのハスキーな声でバラードとかうたわれた日にゃもうね、
全身とろけちゃいますよね。
「澱みのない音」からちょっと外れるかもしれませんが、
リズムも似たようなものがあります。
この場合は音そのものの性質ではなく、
あくまでリズムの話です。
メトロノームで カッ、カッ、カッ、カッ、カッ、とさせておいて、
同じタイミングで何か音を鳴らしてみてください。
上手な人ならできると思いますが、
なんとメトロノームの音が消えるんです。
(※アプリのメトロノームでも出来ますよ)
指でデスクを叩いても良いでしょう。
決して大きな音である必要はありません。
メトロノームと同じ程度の音量なのに、
リズムがぴったりと合うと何故かメトロノームの音が消えます。
これはドラムなどの打楽器をやっている人なら皆経験している現象だと思いますが、
練習時に前回以上メトロノームの音を消続けられるのを目標にしたりもします。
ただし消えたとたんにガイドのリズムがなくなるので、
とても不安になり動揺してわざとずらしたりすることもあります。
やったことがある人なら分かると思いますが、
消えるととにかくとても不安なのです。
例の味のないパルス音を聴いているぐらいに不安になります。
打ち込みというアレンジ(編曲)手段が昨今では当たり前になっています。
打ち込みとは予めプログラムしたものをコンピュータに演奏させることです。
電子音楽は1970年代に勃興したクラフトワークやYMOといった人たちが、
テクノサウンドとして確立しました。
当時のリズムは電子的に計算されたビートで、
カチッカチッときっちり割り算されたリズムを電子的に刻んでいました。
当時は突如現れたそのロボット的なリズム感が新しかったのです。
その後の世界の技術革新は皆さんの知るところですが、
当然音楽の世界でもデジタルによる技術革新は目覚ましいものがありました。
と同時に音楽を1と0で表現する為に、
音楽とは何かという事も過去の音楽や演奏技術を随分研究され模倣されてきました。
私たちが何気に取っているリズムもテクノサウンドの様に単調ではありません。
多少の揺らぎやズレがあってこそ気持ちがいいのです。
ブルースとジャズとロック、ポップス、演歌、民謡。
もちろんジャンルによって音階や和音も違いますが、
リズムもそれぞれ揺れ方やズレ方が違い、
その違いの特徴がそれぞれのジャンルになっているのです。
それはこれまで名だたる演奏者によってだけ解釈され表現されていましたが、
デジタルの時代になりそういったヒューマニックな部分がかなり模倣できるようになり、
編曲者やプロデューサーにも解釈され表現できるようにだいぶなってきたのです。
澱みのない音とリズムというのは、
実は澱みがなくてはならないことが分かってもらえたでしょうか。
倍音や歪のある音で和音構成し、
倍音や歪のある音や声でメロディーを奏で、
ディレイやリバーブで奥行きを膨らませて、
揺れやズレのあるリズムでグルーブを作る。
そしてそれぞれの澱みやズレや奥行きや揺らぎが1曲の印象になるのです。
これはもう天文学的パターンがあり、
とても現代の打ち込み技術でも自動化などは出来ません。
ただきれいな音とか気持ちのいい曲とかノリのいいリズムとか、
私たち人間は全員に答えが分かっています。
聴いた途端に人間の耳や感情はその曲を判断できる能力があるのです。
「澱みのない音」はまだまだ奥が深く私たちを魅了し続けるのです。
(※なんかのダサいCMみたいになってしまいました)