イアン・ミッチェル回顧
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僕が中学校の時にビートルズを超えたという触れ込みで世界を席巻したバンドがあった。
そのベイシティローラーズは同級生のリエちゃんのハートを完全に鷲掴みにしたらしく、日々を追うごとにビートルズ派の僕と対立の溝を深めていた。
そんな年の熱い夏の日、
プールの授業が終わって僕は校庭の真ん中を横切る様に歩いて校舎に戻っていた。
そこへ背後遠くから、
「エスエーティーユーアール ディエーワーィ!ナイっ!」
という能天気な叫び声が何度も聞こえて来た。振り返るまでもない、リエちゃんだ。
ベイシティローラーズの大ヒット曲、サタデーナイトを歌いながら近づいて来ているのだ。
見ずともその顎を出した様な舐めたような歌い方は、僕に対する対抗心から歌ってるのが明白だった。
僕はあえて振り返らずに水着やタオルの入った大きな巾着袋を肩にからげ直して歩き続けた。
しばらくするとリエちゃんは歌いながら僕の真横を通り過ぎてこちらを振り返った。
「おい遼太郎!こんな最高な曲が他にあるか?古臭いビートルズなんかには無理だね、ガハハハ」
喧嘩を売っているらしい。
「ジョンやポールの比じゃないよ」
「こっちにはイアンがいる!」
「誰だそれ?」
「なんだと⁉︎」
リエちゃんはベイシティローラーズのファンというよりメンバーのイアンの大ファンなのだった。
「ブッサイクな顔しやがって」
「イアンの悪口言うなー」
売られた喧嘩は買わなきゃならないが、相手は女だし、なんだかもうめんどくさくなって来ていた。
「あっそ」
「私とイアンは一心同体なんだから」
「あっっそ!」
「疑うか?証拠を見せてやろうか」
「いいよ」
「うるさい、見せてやるよ」
と言いながらリエちゃんは僕が逃げないように巾着を掴むので、クルッと向き合う形になった。
「何すんだよ」
「いいからこっち見てろ」
そう言うとなんとリエちゃんは自分のスカートの裾を掴むと、バッと音を立てて顔まで持ち上げ、仁王立ちした真っ白い素足と真っ白いパンツを露出したのだった。
「お、おい!何やってんだお前⁉︎」
そこは男の子だ、僕は一次反射的にパンツを凝視してしまったが、そこはまだ中学生、二次反射的には校舎の方へ慌てて目を背けていた。
その時校舎二階の窓から数人がこの事件に気づいたらしく、こちらを見て騒いでいるのが見えた。
そんな事とは関係なくリエちゃんはスカートの向こうから怒鳴っている。
「見えるか!」
「見てねぇよ」
「なんで見ないんだ、ちゃんと見ろ!」
そう言われてまた見てしまい、再び校舎へ目を逸らすと校舎の騒ぎが目に入った。
「おーいお前ら変態だろー!」
「あれ誰だ?」
「キャーッどうしちゃったのあの子??」
ヤバイと思ってその場をとにかく離れようとして一歩踏み出そうとしたが、不意に後ろに引っ張られのけぞった。
エリちゃんがまだ巾着を握っていたのだ。
「逃がさないよ、ちゃんと見ろ」
「お前は何がしたいんだ」
慌ててテンパっている僕の精神は完全に逃げ道を失っていた。
「さっきから見ろと言ってるだろ!」
「わかったよ」
校舎からの声は人数を増して益々大きくなっていた。
「おいアレ遼太郎じゃねーか?」
「やるな遼太郎ー!」
「この変態野郎め!」
「で女は誰だ?」
「スカートで顔が見えねーな」
「その下はどうだ」
「うーん残念ながら遠すぎて詳細が見えんな」
あたふたとしている僕にリエちゃんも校舎の騒ぎに気付いたか少し慌てた声で、
「見たか!見たのか⁉︎」
なんなんだこいつと思う他ないが、そんなことよりとにかくこの冤罪を回避せねばならない。面も割れてこのままでは教室に戻れない。いや、もう手遅れのような気もする。しかしこれ以上状況を悪くしたくない。僕は慌ててリエちゃんに返事した。
「見た見た!見たからもういいだろ、離せよ」
「なんと書いてある」
「はっ⁉︎」
「なんて書いてあるか声を出して読め!」
「なんだよもう」
騒ぎを聞きつけたのか一階の下駄箱あたりから、体育の先生とその背後から女の英語の先生がこちらに向かって走って来るのが見えた。
それを見て僕はもう完全に終わったと思った。
そして言われるがままパンツを見た。白いパンツのど真ん中に青と赤で、
「LOVE Ian♡」
と書いてあった。その歪んだ文字からして既製品のプリント物ではなく、自分で縫った刺繍のようだった。他にも何か書いてあるようにも見えたが小さすぎて見えない上にタイムリミットだった。
背後からガシッと屈強な手で肩を押さえられた。
「佐々田遼太郎か!何やってんだお前は!」
「誤解です。いや、冤罪です」
後から走って来た女の先生はリエちゃんにとりつきスカートを下させ、顔が皆から見えなぬ様かばう形で校舎の方へ歩き出した。完全に被害者の歩き方である。
校舎の窓の全てに生徒たちが張り付きヤジを飛ばしているが、数が多すぎるせいかまたは僕の頭がフリーズしているせいか、もう彼らが何を言ってるのか聞き取れない。
完全に校庭に迷い込んだ手負いの野良犬状態となった僕は、先生に襟足を掴まれてとぼとぼと連行されて行ったのだった。
僕らは先生らになんとか理解を取り付けお咎めなしとなった。しかしその後の僕への世間の処遇は悲惨を極めた。しばらくは変態くんと呼ばれ、女子は僕を2m以上避けて通った。僕の周りには常にひそひそ声が聞こえた。
もちろんリエちゃんは最後まで面が割れず、先生らも当然ながら彼女を擁護したので結局リエちゃんだとは誰にも知られることはなかった。
「ずるいぞ」
僕はそっとリエちゃんの座ってる机を通り過ぎ様にポツリと言ってやった。
するとその日の下校時、下駄箱の靴の上に手紙が乗っていた。リエちゃんからだった。
内容は…、
分かったか。私はあのくらいイアンが大好きなのだ。一心同体というのもこれで身に染みて理解できたと思う。したがって今頃私同様イアンもこのことを喜んでいると思う。
ざっとこう言った内容がダラダラと書いてあり、まだこの後に及んでこの様なことを宣うかと思っていたが、最後に一言少し語調の違う一文が添えられていた。
「あの時読めたかどうか、あの騒ぎになって確認できないままになっている。」
あの下手刺繍のLOVE Ianの事かと思ったがちょっと違った。
「LOVE Ian、LOVE Ryotaro 私はイアンと同じくらいお前が好きだ。付き合え。返事を待つ。」
痛ましく悲惨で甘酸っぱい、大切な思い出です。
イアン・ミッチェルのご冥福を心よりお祈り申し上げます。