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92歳と58歳の成人の日

[1820文字]
本日は成人の日、新成人の皆さんおめでとうございます。
令和3年の成人式は特殊なものになってしまいましたが、まあこれも思い出のひとつとしてアリということで。

朝食食いつつ点けていたテレビが早速例年と違う成人式の様子をやってましたら、今年92歳になろうという老父が「僕らん時ゃそんなもんなかったわい!」となんだか禍々しく言うので早速調べてみました。

恐らく1946年昭和21年に埼玉県蕨市で行われた「青年祭」が成人式の発端だろうとGoogle先生は仰います。それから各地で同様の催事が行われるようになり、1949年の1月15日に「成人の日」が正式に制定されたとの事。武士の元服絡みのもっと古いしきたりかと思いきや、案外新しい制度の様ですね。

老父は1929年昭和4年4月生まれですので、成人式が制定2年目の1950年という事になります。ほら見ろ、あったじゃないか!と印籠を眼前に突き出しても何一つ良い事は起こりませんので、老人に向かってその様な無益な正論は申しません。では本人が何故「そんなもんなかったわい!」と言い放ったか、推測できる理由は以下の通り。

・新しい制度過ぎてたまたま父が居た自治体ではまだ催事自体やっていなかった。
・新しい制度過ぎてたまたま父が成人式という催事を知らなかった。
・戦後間もない頃でそんな事を祝っていられるような空気ではなかった。
・成人式があるのは知っていたが新しいものが苦手な父は知らなかった事にした。
・実際は成人式へは行ったが今時の若者と一緒にされたくない一心で嘘をついた。
・実際は成人式へは行ったが行った事自体を忘れてた。

別に老父の成人式にまつわる事実を知りたいわけではなかったので、父の「僕らん時ゃそんなもんなかったわい!」に対し僕の返答は「っそ、僕も成人式出てないけどね」という、会話として成り立つか成り立たないかギリギリのやり取りで適当にかわしたつもりでした。
この老父は歳の割には元気な方で世間で言う所の老々介護には未だ至らずに済んでいます。しかし耳が遠いお陰で老々会話は年を追うごとその闇も深くなりつつ…。
「何で出なかったんじゃ」という老父の問いに対しても「何でだろうね」とごく手短且つ簡潔且つあいまいにあしらい、本当の長くなりそうな答えはしません。耳が遠いから互いに長話は労を要するのです。しかし今朝の父はそれを良しとせず食い下がります。「何でだろうって、自分の事じゃろうに」と何故かくどく言うので説明申し上げました。要点は以下の通り。

・僕は早生まれである。
・広島県福山市出身だが成人当時は東京都中野区民であった。
・中野区から成人式のお誘いがったが知らん人だらけの所に行く気はなかった。
・それから1年後、何故か福山市と広島県府中市から成人式のお誘いがあった。
・上記は恐らく高校が福山市、その当時住居が府中市だからだろう。
・上記1年後というのは早生まれだからか??
・なので地元であっても下級生らと成人式を迎える気は皆無だった。
・当時酷い貧乏をしていてスーツなど買える状況ではなかった。
・そもそも当時の僕には成人式の意図や意義がつかめていなかった。
・成人式当日は銀座資生堂パーラーにて他人の成人式パーティーでの皿洗いバイトで忙しかった。

こういった事を説明しましたが分かってるのか分かってないのか「中野に居ったんじゃったかのぉ」とだけ言って、他の理由については全く触れず仕舞いでこの会話は終わりです。だから簡潔に「何でだろうね」で済ませたというのに、ったく!

来年の2022年から成人年齢が20歳から18歳に下げられるらしいですね。僕的にはそんな事はどっちでもいいかなと。世間一般的に若者の精神年齢は幼くなっていると言われている様ですが、昔っから20歳前後なんてどうしたって幼い部分は幼いし、しっかりしてる部分は大人なんて太刀打ちできないほどしっかりしているものです。個人差もあるし一辺倒に押しなべて、ハイ!今日から大人!とかしないのが一番いいようにも思えるんですけど、どうでしょう。
大人になったらなったでちょっとでも若く見られようとあがいたり、仕事では都合のいい時に若者の様な柔軟さを、また別の時には経験豊富で老練な大人の判断を求められたりするのです。若いからいいとか、年寄りだからダメとかない様に思いますけどね。そう思いたいです。

成人式の日に成人について、年齢について、92歳と58歳の親子の会話から思う事でした。