見出し画像

きゃあつぐろ

[2329文字]
「きゃあつぐろ」と言って分かる人は少ない。時代が関係するのか、単に知名度が低いだけなのかは知らないが、恐らく九州地方以外で知る人は少ない。
資料サイト:http://nihondorei.shop-pro.jp/?pid=144702431

きゃあつぐろは民芸品のおもちゃである。何かの丸木を一刀彫にして彩色し、鳥を模した10cm程度のものだ。足が車輪になっているのも特徴であろう。その形状や彩色もあったのだろうが、木の皮の部分を残した風合いがこの玩具の奥行きを作っているようにも感じる。

僕は小学校の時このきゃあつぐろをひとつ持っていた。こういったものにまるで興味がなかった僕が何故その時これを持っていたのかは不明で、どう考えても自ら望んで買った訳ではないのだ。おそらく誰かの土産物として与えられたのだろうが、当時僕の周りでそれをもたらし得る大人が果たしてどれほど居ただろうか。

きゃあつぐろは佐賀県の民芸品である。1970年代初頭に東京から長崎に行く用事があった大人がお土産としてもたらしたか、それとも長崎から都内へ引っ越してきた者が持ち込んだか。

あの頃は確かに国内旅行がたいへん盛んであり、同じ九州の宮崎県などは新婚旅行の聖地とまで言われていた程だ。今なら少し足を伸ばして唐津くんちや有明のムツゴロウでも見て、更に長崎の浦上天主堂からハウステンボスへでも行ってみるかとも考えられるが、当時は宮崎県から佐賀県へはそう簡単においそれと行ける交通手段はなかった筈である。

僕はその木製の小さな民芸玩具が好きだった。
まずはその名前である。知らなければ「きゃあつぐろ」とはいったい何であるか全く想像もつかない。しかしその語感はなんともいえず人懐っこさを覚える。

次にその顔だ。短いくちばしの付いた頭のほとんどを占める黒い目玉が、これまた愛嬌があってかわいらしい。

そして足元の車輪。なぜ足が車輪なのかが未だ僕には不思議でしょうがない。その車輪は丸木をそのまま輪切りにしただけのもので、軽快に板張り廊下やテーブルの上を疾走出来るような機能性は全くなかった。

後日お隣の熊本県には「きじ馬」という民芸玩具がある事を知ったが、一刀彫と言い彩色と言い足元の車輪と言い、これがきゃあつぐろによく似ている。さらに調べてみるときじ馬と呼ばれる民芸玩具は九州一円に存在していたことが分かった。基本はやはり丸木の一刀彫に車輪の足である。九州地方独特のおもちゃで世界唯一だそうだ。
※資料サイト:http://museum.city.fukuoka.jp/archives/leaflet/316/index.html

きゃあつぐろはこのきじ馬からヒントを得たのだろう。web文献によれば戦後、佐賀県杵島山界隈できゃあつぐろは誕生したとされている。とすれば歴史は案外浅いにも関わらず現在は既に作る者もなく、残念ながら廃ってしまっているということなのか。

さてその不思議で憎めない語感を持ったきゃあつぐろであるが、何の鳥を模しているのか調べてみて分かった。日本のどこにでもいる「カイツブリ」という淡水に生息する野鳥だが、警戒心が大変強く人影を見るとたちまち水中へツブリと潜ってしまうらしい。「かい」とはたちまちという意味があり、そこからカイツブリという名前になったという嘘のような本当の話。

どう回り回ったのかこのカイツブリを九州地方の人は「きゃあつぐろ」と発声するようになった。ところが九州の老人たちは水辺の鳥なら鴨でもオシドリでも一切合切をきゃあつぐろと呼ぶのだとも聞いた。もしそこに僕が居たら水面に木製の玩具を探してしまうだろう。

確かに朱色に彩色されたきゃあつぐろは、鳥である事は分かるのだが決してカイツブリに似ているとは言い難い。実際のカイツブリは尾羽らしいものが見えず丸いお尻が特徴であるが、きゃあつぐろにはしっかりと上へと跳ね上がった尾羽が付いている。
カイツブリには確かに顎から頬、喉元へと褐色の羽毛があるが、きゃあつぐろは頭全体と胸、背中とを朱に塗られていて本家と似た模様でもない。もしかするとやはりこれを考案して作っていた人も水鳥全般をきゃあつぐろと言っていたのがその理由かも知れない。

調べるうちにきゃあつぐろの姉妹商品的に「カチカチ車」という色違いの様なおもちゃが頻繁に登場してくる。きゃあつぐろより少しスマートで尾羽も少し長い。何よりも彩色が朱色ではなくカチカチ車のそれは墨色である事だ。
※資料サイト:https://www.picuki.com/tag/%E3%82%AB%E3%83%81%E3%82%AB%E3%83%81%E8%BB%8A

これは何かと調べたらカラスの仲間で九州地方に多く生息するカササギという鳥を模したものだそうだ。こちらは白黒の模様がシャープなカササギによく似ていると言っていい。カササギがカシャカシャとかカチカチと鳴く事からカチカチ車と言うらしい。前出のきじ馬も場所や人によってはきじ車と言うらしいので、むしろ名前に馬も車も付かないきゃあつぐろの方が亜流なのかもしれない。それにしてもきゃあつぐろの別物としてカチカチ車をわざわざ作ったのは、やはり水鳥との差別化であろうか。

今手元にはないきゃあつぐろなのであるが、この名称のお陰か半世紀も経ってふと思い出すに至った。擬音的なもの以外日本語で「きゃあ」から始まる単語がないというインパクトのある名称。僕は恐らくその民芸的魅力より語感的魅力により惹かれたのだと思う。亜流でもなんでもきじ馬やカチカチ車では、きっと僕の触手は反応しなかったと思う。