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スーシーでもクーイーに

[3032 文字]
2020年が間もなく過ぎようとしています。厄介な年でしたがその話はまた別なところでしましょう。
子供の頃21世紀という言葉自体がSFで、夢見る未来の代名詞だったのですが、その21世紀もその2割、20年以上が経ちました。
パソコンやスマホ、ビデオゲームとかインターネットとか、以前には無かった未来の技術が主流の世の中です。大抵の事は何がどう変わっても変わった事を卑下する気は毛頭御座いませんですとも。大抵のほとんどの事はです。でも全部ではありませんから。

テレビ(受像機)もこの15~10年で大きく変わりましたよね。地デジ化したのが2011年ですから、その前はアナログテレビだった訳です。画面の広さ(縦横比)もその頃から変わっちゃって、何が違うってブラウン管だったんですよ昔は。
薄型になってしまいこの世から猫の居場所がひとつ消滅してしまいました。でもこれは仕方ないですね。猫さんたちには他をあたってもらいましょう。

輸入果物も昭和の頃は贅沢品でした。メロンは当然、バナナなんかも高級品でした。パッションフルーツとかライチはこの世に存在してません(嘘)。イチゴは今のように甘い果物の印象などなくて、酸っぱさを消すため牛乳にどっぷり浸し砂糖をドッサリかけてつぶしながら食ったものです(これホント)。

そして寿司です。
寿司なんかも時代と共に大きく変貌を遂げたものですよね。
僕が子供の頃の昭和40年代、寿司(にぎり)が食えることは年に何度もなく、特別なお客さんが訪問した時などに店屋物(てんやもん)として届けられる、というものでした。届けられたとしても子供らはその部屋にさえ入れてもらえず、お膳に燦然と輝く寿司桶を隣の部屋から指をくわえて見るだけなのです。何故大人たちは酢飯の香りも高い寿司を目前にしながら、つまらないよそ行き言葉をグダグダといつまでもやっているのか全く意味が分からなかったものです。
最悪の場合は全て大人たちに食い尽くされ、寿司は香りと映像の記憶だけ残し、とうとうありつけないという惨事だってあったのです。
家族だけの外食で寿司屋に赴くなんてのは本物のお金持ちだけであって、当時一般的には家族の外食リストに寿司屋は当然登らないのでした。少なくてもウチはそうでした。もっとも外食自体が家族全員一張羅を着込んで出向くという超贅沢大イベントという時代ですからね。
ともあれ寿司とは店屋物として「私はあなたをこんな贅沢な寿司を以てしてでも大歓し歓迎しているのですよ!」という大意を込める時か、何らかの大見栄を張らねばならない、または激しく謝罪を込めねばならない時のみしか、寿司と出会える機会はなかったものでした。

それから10年ほど経った二十歳頃。僕は中野ブロードウェー入り口付近のサンモール内にある栄寿司の前に立っています。そこは安いから安心して江戸前がシバけるぞ!という未確認情報を入手したのでした。貧乏していた頃ですから大抵の場合は聞き流す他ない情報だったですが、その時ちょうど今月のアルバイト料が入ったばかりで、これはきっと神様がワタクシにお下知くださった甘い試練なのだ、と思って生まれて初めて自力で寿司屋の暖簾をくぐったのです。暖簾に腕押しと言いますが、僕はこの暖簾をくぐるのにビビって店の前を3~4回素通りしました。確かに既成の寿司屋のイメージより安かったのですが、時価が当たり前のすし屋は噂通りどこにも値札はなく、食ってる間中オケツが浮いたような気分で味がほとんど分からなかったのでした。

そこからまた約10年後。
世の中はバブル景気に沸きあがって全員の頭から湯気が立ち登っていた頃です。僕は主に麻布や広尾、六本木界隈で仕事をしていまして、更に悪い事に年齢も人生で一番恥を知らない28~30歳ごろという不運。音楽業界で調子をこきまくり、仕事前から「んじゃとりあえずシースー(寿司)でオイイキ(勢い)付けちゃいますか!」とか頭が完全におかしかった頃でありました。この頃の寿司が一番高かったと思います。しかし何故か支払いをした覚えがほとんどなく、高価なシースーはダーター(タダ)だと思ってたシギフー(不思議)な時代でした。

そして更に時は流れ、世の中の景気は長い停滞期に入ります。いつの頃か寿司は基本的に回っているものに変貌を遂げていました。店内に入るとベルトコンベア横のボックス席には笑顔の家族が並びます。家族で安心して旨い寿司が食える時代になったのだなぁと目を細める反面、遠慮なく大トロだウニだエンガワだとガツガツ手当たり次第に皿をつかみ取るガキを見れば「今宵アニサキスの餌食となるが良い」とつぶやくダークサイドな自分も居たりするのです。我々の頃にはあり得ない光景につい幼気なお子に嫉妬など、大人気ないのは百も承知しております。

今どきの子の好きな物ランキングには必ず寿司が入ってるそうですが、我々の頃だって好きなものは寿司だ!と叫びたいのは山々だったですよ。でも、好きだー!と声を大にするほど寿司を食った事があるのかという自問に答えが出ないまま、時間切れでとうとう好きランキングから外れていたにすぎないのです。昔の子供だって寿司が嫌いなわけじゃなく、ただ少々奥ゆかしかっただけ、と、大人気ないのは百も承知しております。

そして「回らない寿司」という言葉が生まれて既に久しい昨今。寿司屋=回っているもの、という認識が益々確立された様に思います。こういうのを「レトロニム」というんだそうです。どういうことかというと、以前標準であったはずのものが時代と共に進化した時、過去の標準を示すために新たな名称が付く事、を言うらしいです。分かりにくいですね。
例えば、アコースティックという言葉もそうらしいです。そもそも楽器はアコースティックしかなかった訳で、わざわざアコースティックと言って区別する必要もなかったのですが、電気的な楽器が登場して来て以来区別する必要が出て来たという事ですね。
アコースティックギターとエレキギター、アコースティックピアノとエレクトロニックピアノなどです。

「紙の本」などの言い回しも今時らしいレトロニムですが、レトロニムな言葉は昔からあるんです。例えば白黒テレビ、ライブ(生演奏)、アナログ、自動車、マニュアルトランスミッション、在来線、サイレント映画、かけ流し、光学式、布おむつ、和菓子、肉眼・肉筆、手動、自然などなど。これらが区別されなくてはならなくなった原因を考えるだけでも、なんだか人類の進歩やテイタラクを垣間見るようでなかなか楽しいではありませんか。小皿を取りまくるガキにイライラするようなケツの穴の小さい事ではいけません。

そうそう寿司の話です。
最後に、回らない寿司世代としては回る寿司が当たり前のガキ、いや世代にモノ申しておきたい。
寿司は箸ではなく手で食うべし。
醤油はシャリではなくネタに付けるべし。
にぎりは食い千切ることなく一口で食すべし。
他にもアレコレあるけどせめてこの3点は忘れないで欲しいなあと。
これはある意味日本文化であり、フレンチにおける作法の様なものでもあり、アマゾン奥地の民族的儀式の様なものなのです。それだけ寿司という食い物には日本の様式美があり、子供の頃は羨望の的で食えもしないのに妄想にふけった世代なのだということを申し上げておきます。

というかつまり、蕎麦と寿司はカッコ良く食って欲しいんですよ。
では「蕎麦で説教」の回はまた後日。