見出し画像

5分で読める、変化しないと生き残れないIP消費の話【都合よく、変化しよう】

祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらはす。奢れる人も久からず、ただ春の夜の夢のごとし。猛き者も遂にはほろびぬ、偏ひとへに風の前の塵におなじ。
(『平家物語』第一巻「祇園精舎」より)
【現代語訳】
祇園精舎の鐘の音は、「諸行無常」、つまりこの世のすべては絶えず変化していくものだという響きが含まれている。沙羅双樹の花の色は、どんなに勢い盛んな者も必ず衰えるという道理を示している。世に栄えて得意になっている者がいても、その栄華は長く続くものではなく、まるで覚めやすい春の夜の夢のようだ。勢いが盛んな者も結局は滅亡してしまうような、風の前の塵と同じである。

上の文章は、ご存知の通り、平家物語の有名な一文である。
鎌倉時代にできた文書ではあるが、どんな人や物事も永久に続くものはない。今の世の、ビジネスでも何事でも変化は止まらない。

1、絶えず変化することのみが、変化しない世の中の真実

昔から感じていた違和感がある。

高校生の頃、部活やテスト、大会などの目標のために努力をしていた。
毎日を必死にスポーツに打ち込んでいた。

大学生になり、同じ努力をすることは求められなくなり、また新たに自分で目標を定めなければいけなくなった。
今までやっていたこととは、まったく環境が変わった。価値観が変わった。評価が変わった。
英語が喋れることのプライオリティが上がったり、スタートアップでのインターンに行くことや就活が上手くなることが評価の基準となり、それに向けて努力をするようになった。

社会人になり、目標は会社が定める売り上げや数字となった。
またしても、求められる基準は変わり、それに向けた努力をするようになった。

環境やステージ、タイミングで求められるものは違う。
評価される基準も違う。それによって、目標が定められるのだ。

目標は常に変化し続ける。それが、変化しないこの世のただ一つの真実なのだ。

でも、目標ってそんなんだったっけ?

人から求められるがままに、変わっていく。
そんなんでいいのかい。

2、われ思うゆえにわれあり

デカルトの有名な言葉

「われ思うゆえにわれあり」

詳細な説明は省くが、物事を存在すると証明することは出来ないが、その物事を存在すると証明しようと思考する自分のことは証明できる。という話だ。

自分の目標が何かなんて、証明できない。日々変化することもあるだろう。ただ、目標を定めて努力をしていく自分がいる。

その自分がいることはきっと変わらない事象なんだと思ってもいいじゃないか。

3、変化し続ける自分

きっと、人間は誰しもが変わり続けていくのだ。

今の世の中なんて、お笑い芸人もキャラクターもすべてが短期間に消費・消化されている。

例えば、今はテレビでふなっしーなんて見なくなってしまった。
絞りつくせるだけ絞り、変わりゆくお客様についていけなくなったら捨てていく。テレビなんてそんなもんじゃないか。

ただ、見なくなったふなっしーやお笑い芸人たちも、きっと自分の時間を歩んでいる。自分の目線では、もう終わった存在だとしても、彼らの目線では彼らの目標がある。自分が変わるのと同時に周りも変わっていくんだ。

自分が変わっていこうとすればするほど、今ある環境や目標なんて、古いものになるし、どんどんおいていくことになる。
走れば走るほど、重りになりうる思い出やしがらみははがれていくんだ。

4、この変わらない変わる世界で生き残る方法

きっと、この世の中を生きるのはすごい大変なんだろう。

昭和の価値観、平成の価値観と、これからの令和の価値観は違う。

この世界で生き残るためには変化し続けないといけないのだ。

上のCMの中で、

「大人はさ、もう何でもかんでも思い出にしようとすると抱えきれなくなるわけ。無理無理無理無理って、だからさ忘れるって技を身につけちゃうわけ。」

なんてセリフがある。

変化し続けるには、何かにとらわれて止まっていては進めない。忘れちゃうことは非常に大切なスキルなんだと思う。

誰だって、今までの人生、テストに落ちたこと、大会のレギュラーで出れなかったこと、恋人に振られたこと、あきらめたこととか、つらいことは沢山ある。

そんなこんなを、忘れちゃって、都合よく、自分の為に生きていく。

そんな感じでいいんじゃないかなあと。

都合よく、変化しよう。自分が生き残るために。

適当に思ったことを綴っているだけのNoteになってしまったが。

願わくば、何かで悩んでいる人や、しがらみにとらわれた人が変化をすることの後押しになれば嬉しい。





いつもありがとうございます。少しでも皆様の為になることを願っております