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低AMHとわかって~離婚を考えた私が体外に挑むまで~

こんばんは、増蔵です!



今回は、私が低AMHと分かった頃のことと

するつもりのなかった体外受精に
チャレンジするきっかけを
採卵前のこのタイミングで
書き残しておきたいと思い、書いています


AMHとは、自分の卵巣にある
卵子の残りを表す数値で
3ngくらいあれば影響がなく
1ngを下回ると卵子の取れ高が
低くなるようです
(不妊治療を考えたら読む本参照)

AMHはあくまで卵子の残数であり
妊娠率には関わらないと言われています

ただ、卵子の残りが少ないというのは
妊活にチャレンジできる期間が短く
高度生殖医療では
採卵できる数が一般的な数値の人よりも
少ない傾向にある為
治療をするにあたり不利になる点も多いのです


私の場合は低AMHの中でも「超低AMH」
と言われるくらい数値が低く
検査の時点の32歳で45歳くらいの平均数値

実年齢より10歳以上も上の数値で
早期閉経の可能性があるほど低く

奇しくも検査結果が出たのは
私の33歳の誕生日

改善することの出来ない自身の体質と
残された妊活期間の短さに
愕然としたことを覚えています



検査当初、自力の排卵もあり
少しだけ高めだった
プロラクチンというホルモンも
薬で押えれば自然妊娠の可能性は
充分ある、と主治医に言われ

絶対妊娠してやる!
という気持ちでクリニックに通っていました


しかし薬を飲みタイミング法を試しても
AIH(人工授精)をしても妊娠することはなく

ついにはストレスで
生理周期自体が乱れ始めました


私に突きつけられた現実は
不妊治療をしている中では若い方、
という安心感でも

妊娠した、という結果でもなく


「原因を取り除いても妊娠しない自分」
「残された時間が人より限りなく少ない自分」
でした


その頃医師から言われたのは
恐らく「ピックアップ障害ではないか」
という事で

自力の排卵があり、ホルモンを整え
卵管も通っているのに妊娠しない

それはそもそも卵子が何らかの理由で
卵管の方に運ばれていないから
受精が出来ないのではないか、という事です

そうなると、タイミングやAIHでは意味がなく
体外受精をするしかない、という事になります


私は当時、日本に蔓延する
「自然妊娠」という言葉に
振り回されていた時期だったので

医師からピックアップ障害の疑いを
告げられたことで混乱、悲観し


これまで好きでやっていた
編み物とおしゃべりをするYouTubeの動画も

妊活自体も、投げ出してしまいました




その頃からはもう、毎日が辛くて

赤ちゃんが欲しいのに
よその子供を見るのも嫌

妊娠報告のインスタや孫が産まれました!
というTwitterも
見る度にスマホを叩き割りたくなるくらい
心が深い深い闇に沈んでいきました



ついには、このまま結婚していても
私は夫を幸せに出来ないのではないか

今離婚すれば、夫は
若く新しい奥さんと出会って
欲しかった子供を作って
幸せな家庭を築けるのでは無いか
と考えるようになりました

そして実際
「こんな妊娠出来ない身体の私と離婚して
他の人と赤ちゃんを作って欲しい」

夫に泣きながら話したこともありました




それでも体外受精に踏み出そうと思ったのは

夫の「誰でもいい訳じゃない。
増蔵との子供が欲しい思ったんだ」

という言葉があったからです



そう言われて過去を振り返ると

夫は結婚当初、さほど子供を作ることに
こだわりはなかったように思いました


「(子供が)出来なかったら、沢山旅行にいこう」
よくそんな会話をするほどで


それがまる一年共に暮らし
結婚式を終えたあたりから

「さぁ!子作りをするぞ!」という具合に
夫の気持ちも変化していました

それは、「私と」生活してみて
この人となら子育てをしてみたい
そう思ったのだと言うことがわかりました



私はその言葉に感謝し
体外受精の事について勉強を始めましたが
どうしても自身の「低AMH」が頭をよぎり

ステップアップしても
卵子自体採れないかもしれない

大金を無駄にしてしまうかもしれない、と
二の足を踏む日々が続きました



転機がきたのは年が明けてすぐの

2020年2月

助成金の事を細かく調べ、1回だけなら
体外にチャレンジ出来るかもしれないと

雪解けの頃に合わせての通院再開を
ぼんやり考えていた頃



長くガンを患っていた父の様態が急変した
という知らせが届き

時を同じくして新型の感染症が
北海道で猛威を振るい始めたというニュースが
連日のようにテレビで流れていました



私の家庭は複雑で
父とはしばらく疎遠

折り合いが良くない親族と
連絡を取り合うストレスフルな日々


そんな中日本生殖医学会からは
新型の感染症の影響を危惧し
不妊治療を延期するよう検討を促す
声明が出ました



その時、改めて自分に残された
僅かな時間の事

自分の身体のことだけでなく
身内を含めた環境、世の中の動き

どれかひとつバランスが崩れただけでも
治療にチャレンジ出来なくなるのだ
ということに気づきました


その後、父の四十九日も終わり
落ち着いた頃には緊急事態宣言も解除され

不妊治療延期を促す声明に関しても
感染防止に務めた上で順次再開をという新たな文書が発表されました



そして出来そうなことは願掛けも含めて
全部やろう、と

夫が「ここではお願いが全部叶った」
というお寺へ二人で子宝祈願へ行き

その後、通院を再開しました




これから数日後、私は採卵に挑みます


でも、結果は誰にも分かりません


卵子が取れても受精しなかったり

受精しても上手く育たなかったり

受精卵が出来ても妊娠しないこともあります


妊娠が奇跡だと言うのは
そのステップが全て上手くいき

その後の成長過程も順調で初めて
人が産まれてくるからなのだと妊活を通して
「奇跡の意味」を痛感しています


そして、その奇跡を後押ししよう!と
医師や看護師、培養士の皆さんが
日々手を尽くしてくれる

不妊治療という技術がある事に
感謝してもしきれません

自分の気持ちの整理のために
これを書き始めましたが


私のように30代前半でも
妊活期間の限られる人がいること

不妊治療は早期受診が大切であること

なかなか治療に踏み切れない方へ
チャンスは常に「今」だということが
届けば幸いです




最後まで読んで頂き
ありがとうございます💛


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