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【ウマ娘ファン向け】ウマ娘に今後登場するかもしれない競走馬50選

2021年4月上旬に『ウマ娘 プリティーダービー』のアプリゲームを始めました。
元々競馬を見ていたこともあってか、時代小説や大河ドラマのような「歴史を題材にしたフィクション」として、アニメや漫画も含めたウマ娘関連コンテンツを楽しんでいます。

よくあるファン心理ですが「あの馬もこの馬もウマ娘に登場するといいのに」という思いから、過去の競走馬について調べ、「ウマ娘に今後登場するかもしれない競走馬たち」について、自分用にまとめておりました。

書いている最中に、似たテーマで詳しく広範囲に及ぶnoteがマツウラさんという方により公開されていることに気付きました。
下記記事です。

マツウラさん、読み応えありました。面識ありませんが、ありがとうございます。
特に「何故あの有名馬がウマ娘に出てこないのか」を考える方にとって、上記noteの前半部分は参考になると思います。

重なる内容の文章をちまちま書いていた過去の私には別れを告げ、上記のマツウラさんのまとめで紹介されていなかった「ウマ娘に今後登場するかもしれない競走馬たち」を、補遺的に紹介するのが本記事となります。

本記事に掲載した競走馬の、掲載の基準は以下の通りです。

(1)同馬主・同冠名の競走馬が、既にウマ娘に登場済み。
※途中で馬主が変わった競走馬も含む。
⇒今のところ「この馬名は使えませんでした」的な公式の発表はなく「馬主NGが出たことで登場しないウマ娘がいる」というのもユーザーの予想でしかないかもしれませんが、現在ウマ娘に登場している競走馬と同じ馬主もしくは同じ冠名の競走馬にしぼって記載しています。
引退後に海外に完全輸出されるなどした馬も含めています。

(2)G1級競走優勝馬。
※グレード制導入前、海外G1、地方ダートG1を含む。
⇒紹介数の際限がなくなるので、G1勝ちを一つの区切りとしました。
と言いつつ50頭中1頭だけG1勝利のない馬を記事中で紹介してしまいました。
なお、G1勝ちのない競走馬を元にしたウマ娘は既に多数登場していますし、今後も登場すると思います。

(3)マルゼンスキー(1974年生まれ)以降の世代の競走馬。
⇒現状ウマ娘に登場している史実馬名の中で、マルゼンスキーがいちばん上の世代です(名前だけ出てくるシラオキ除く)。
新規ウマ娘が追加される際、まずは既存ウマ娘とレースで一緒に走ったことがある馬が優先かと思い、便宜上マルゼンスキー以後としました。今後は、それ以前の世代の競走馬もウマ娘に登場するかもしれませんが。
トウショウボーイがウマ娘の世界観のなかに存在することは匂わされていますが、馬名は出てきていません。

追加:(4)上記のマツウラさんのnoteで紹介されていない。
⇒他にも今後のウマ娘登場馬を予想・紹介する記事やyoutubeの動画は複数ありましたが、全部チェックして除外するのも大変なので、ひとまずマツウラさんのnoteとは内容が重ならないようにしました。

※上記(1)~(4)を満たした競走馬を網羅しているわけではありません。抜け漏れがあります。

※必要以上に「既にウマ娘に登場している競走馬」と絡めて紹介しています。

・紹介順は五十音順です。
・馬名の後ろに付けたマークは、今後のウマ娘登場予想です。◎、○、▲、無印の順。
・記事末尾に、元となる競走馬の年代別馬名一覧も付けました。

では参ります。

冠名アグネス

馬主の娘さんがアグネス・チャンさんのファンだったことから名付けられたという冠名。

アグネスデジタルアグネスタキオンがウマ娘に登場済みなので、他のアグネス冠名の競走馬もウマ娘に登場するかもしれません。

01.アグネスフライト ◎

アグネスフライトは、ウマ娘に未登場の競走馬のなかでも、今後ウマ娘に登場する可能性が高い1頭だと思います。

アグネスタキオンと父母が同じで、タキオンの1歳上の全兄。

’00日本ダービーではエアシャカールに7cm差で勝利。アグネスフライトの存在により、皐月賞・菊花賞を制したエアシャカールは三冠を達成できませんでした。
テイエムオペラオーメイショウドトウとも対戦経験があります。

ウマ娘化したら、特にタキオンシャカールとドラマが形成できそうです。

引退後は種牡馬入りしましたが、産駒に重賞勝ち馬は出ませんでした。

02.アグネスフローラ

アグネスフローラは、アグネスフライトアグネスタキオン兄弟の母。
メジロライアンメジロマックイーンアイネスフウジンなどと同世代。

’90桜花賞1番人気1着、’90オークス1番人気2着と、牝馬クラシックの中心でしたが、オークス後に骨折し、復帰を目指す途上で屈腱炎となり早期引退。’90最優秀4歳牝馬に選出されました。
なお、同期でウマ娘に登場しているイクノディクタスは、桜花賞11着、オークス9着です。

既存ウマ娘では、母子両方がウマ娘化している例はなく、タキオンが既にウマ娘にいるため、フローラがウマ娘に登場する可能性は低いかもしれません。

※エアグルーヴの母ダイナカール、エアグルーヴ産駒アドマイヤグルーヴやルーラーシップ、アドマイヤベガの母ベガなどはG1に勝っており既存ウマ娘との対戦経験もありますが、ウマ娘化していません。

03.アグネスレディー

アグネスレディーは、アグネスフローラの母。
マルゼンスキーより2つ下の世代。
’79オークスに優勝し、同年の’79最優秀4歳牝馬に選出されています。

レディー、その娘フローラ、その産駒にフライトタキオンと、3世代同じ冠名でクラシック競争を制覇している例は珍しいです。
※他にないか探しましたが見つかりませんでした。知っている方、ぜひ教えてください。

レディーの娘の娘の娘の…と牝系をつないでいくと子孫は現役馬にも存在しますし、タキオン産駒の子の世代がまだ現役ですし、アグネスレディーの名は血統表にまだまだ残り続けそうです。

世代的にかなり昔なので、アグネスフローラ以上にウマ娘化の可能性は低そうです。

04.アグネスワールド(2代目) ○

同馬主がアグネスワールドと名付けた馬は2頭いるため、便宜上2代目としました。

アメリカ生まれの日本調教馬で、ヒシアケボノの3歳下の半弟(母が同じ)。
ヒシアケボノと同じく、短距離・マイルのレースにのみ出走を続けました。

スペシャルウィークたちと同じ’98クラシック世代で、海外短距離G1を2勝しています(仏:アベイ・ド・ロンシャン賞、英:ジュライカップ)。

グラスワンダーが勝った’97朝日杯で3番人気4着、キングヘイローが勝った’00高松宮記念で2番人気3着だったほか、’99、’00とスプリンターズSに2年連続2着(2年とも1番人気)するなどしましたが、JRAのG1を勝つことはできませんでした。
ほかにはシーキングザパールシンコウウインディなどとも対戦経験あり。

既存ウマ娘との関係は多いので、ウマ娘化した際に物語は作りやすそうです。
アプリゲーム上では、まだ海外レースが実装されていないのが難点ですが、短距離ウマ娘はまだまだ少ないので、ウマ娘に登場してほしい1頭です。

冠名アドマイヤ

アドマイヤベガがウマ娘に登場しているので、他の冠名アドマイヤの競走馬もウマ娘に登場する可能性があると思います。

冒頭にリンクを記したマツウラさんのnoteではアドマイヤドンアドマイヤコジーンアドマイヤグルーヴアドマイヤマーズが独立して紹介されているほか、アドマイヤムーンのウマ娘化が難しそうな件に触れられているので、それ以外の冠名アドマイヤの有力馬について記します。

05.アドマイヤジュピタ

アドマイヤジュピタの父フレンチデピュティクロフネなど多数のG1馬を輩出。
母父リアルシャダイの産駒にはライスシャワーなどがいます。

’06クラシック世代となる同期でウマ娘に登場しているのは、牝馬2冠カワカミプリンセスのみ。ウオッカ・ダイワスカーレットの1つ上の世代です。
他の同世代は、クラシック二冠+天皇賞春秋を制したメイショウサムソン、’07年度代表馬アドマイヤムーン、中山巧者マツリダゴッホなど。

ジュピタは3歳春に故障してクラシック戦は全休。
1年半後に復帰してG2を2勝し、’08天皇賞(春)でG1初挑戦。
既にG1を4勝しており天皇賞(春)連覇を狙う同期のメイショウサムソンを退けて、G1制覇を成し遂げました。
なお、’08天皇賞(春)は出走馬14頭中4頭が冠名アドマイヤの馬でした。
その年の凱旋門賞に追加登録されましたが出走せず、秋に1戦したものの屈腱炎を発症して引退。

引退後は種牡馬になりますが受胎率がふるわなかったこともあり、種牡馬は一年で引退。
去勢されて乗馬になり、その後は馬術大会にも出場しています。

06.アドマイヤマックス ▲

アドマイヤマックスは、’02クラシック世代のサンデーサイレンス産駒です。

’02クラシック世代は、ウマ娘登場馬だとファインモーション、ウマ娘未登場馬だと、2年連続年度代表馬シンボリクリスエス、アドマイヤベガの弟で芝・ダートG1制覇のアドマイヤドン、いずれも人気薄でG1を3勝したヒシミラクル、ウオッカの父のダービー馬タニノギムレットなどです。

アドマイヤマックスは、2歳から重賞を勝ち、クラシック候補とされましたが、故障で3歳春は全休。
復帰戦’02セントライト記念を1番人気2着と好走し、’02菊花賞に出走するも2番人気11着と大敗。
以降はマイル以下の距離の重賞戦線に長いこと顔を出し続ける競走生活を送ります。

アグネスデジタルが勝った’03安田記念で2着など、掲示板には載るものの、なかなかG1勝利には至らず。
6歳となった’05高松宮記念でG1に初勝利。
長距離G1に出走経験があり、重賞戦線に長くいるけどG1勝利はなく、遂に短距離G1を制す戦歴が、ちょっとキングヘイローっぽい気がします。

’05年末で引退して種牡馬になると、複数の重賞勝ち馬を輩出しました。
代表産駒のケイティブレイブは帝王賞、川崎記念、JBCクラシックを制しています。
ケイティブレイブは2022年現在も9歳で現役を続行しており、’22フェブラリーステークスにも出走しています。

07.アドマイヤラクティ

アドマイヤラクティジャスタウェイシュヴァルグランと同じハーツクライ産駒です。

同期となる’11クラシック世代の競走馬は、ウマ娘には登場していません。
三冠馬オルフェーヴルの世代です。の世代です。

ハーツクライ産駒らしく遅咲きタイプ。4歳末から重賞に出走するようになりました。
4歳末以降は2400m以上のG1・G2にしか出走していないステイヤーで、’13天皇賞(春)4着、’13ジャパンカップ4着、ゴールドシップが勝った’14阪神大賞典2着など、長距離戦線では存在感を示していました。
トーセンジョーダンエイシンフラッシュとも対戦経験があります。

’14年は、天皇賞(春)を13着と大敗したあと、秋にオーストラリアに遠征することになります。
豪州初戦のコーフィールドカップ(G1)に勝利しG1初制覇。

続いてオーストラリアで最も歴史と権威のあるG1メルボルンカップに、1番人気で出走。
3コーナーまでは先行集団で走っていたもののズルズルと交代し、最下位に。
レース後に馬房に戻ってから倒れ、心臓麻痺で亡くなってしまいました。

08.アドマイヤリード

アドマイヤリードは’16クラシック世代の、ステイゴールド産駒。
サトノダイヤモンドと同世代です。

’15阪神JF9着、’16桜花賞5着、’16オークス15着のほか、G2・G3でもなかなか勝ちには届きませんでした。

一度下級条件に落ちた後は好走を続け、武豊騎手の弟・武幸四郎騎手を背に’17飛鳥ステークスを制してオープンに返り咲きました。
なお、武幸四郎騎手は引退前最後の勝利がアドマイヤリードによる同レースでした。

重賞未勝利の状態から’17ヴィクトリアマイルに勝利。
冠名アドマイヤの馬としては’08天皇賞(春)アドマイヤジュピタ以来9年ぶりのJRA・G1制覇。

引退後は繁殖牝馬となりました。産駒はまだデビュー前です。

09.イーグルカフェ ○

イーグルカフェは、マンハッタンカフェと馬主さんが同じです。
エアシャカールアグネスデジタルなどと同じ’00クラシック世代。

アメリカ産馬で、ダート適性を見込まれてデビューはダートでしたが、芝の共同通信杯を勝って、’00NHKマイルカップにも勝ち、G1制覇。

その後は芝、ダートで1400~2400mの海外含む様々な重賞に挑戦し続けるも2年以上勝ち星なし。
’02七夕賞で久々に勝利すると、フランス遠征を挟んで帰国後初戦の’02ジャパンカップダートに勝利。芝・ダートG1制覇を成し遂げました。

生涯46戦出走、海外芝や地方ダート含む43戦連続重賞出走。
「無事是名馬」という言葉が似合う名馬。
出走数がこんなに多く、これだけ実績がありながら、1番人気になったのは3着に負けたデビュー戦のみという珍しい記録も持っています。

10.エイジアンウインズ ▲

エイジアンウインズは、ウイニングチケットの馬主さんの所有馬です。

馬名は宝塚歌劇団の公演名から。馬主さんの奥様が元タカラジェンヌでした。
ウオッカ・ダイワスカーレットと同世代で、フジキセキ産駒の牝馬。
ウマ娘のフジキセキのデザインが少し宝塚歌劇団っぽいのは、産駒にエイジアンウインズがいることも関係しているのでしょうか。

デビューから5戦は全てダートで2勝。
同期達のクラシックレースが終わった後に芝に転向して順調に勝ち上がり、阪神牝馬Sで重賞初制覇を果たすと、次走’08ヴィクトリアマイルで大本命だった同期のウオッカを破りました。

その後は海外遠征の予定でしたが白紙になって休養に入り、再発した脚元の不安からそのまま引退。

芝転向後は6戦4勝2着2回の安定感。
’08マイルCSを勝ったブルーメンブラットにも2戦2勝していますし、ヴィクトリアマイル後も無事で出走を続けていたなら、ウオッカダイワスカーレットのライバルとなっていたかもしれません。

冠名エイシン

エイシンフラッシュがウマ娘に登場しており、他の冠名エイシンの競走馬もウマ娘に登場する可能性があると思います。

11.エイシンアポロン

エイシンアポロンエイシンフラッシュと同馬主で同世代のアメリカ産馬。

’09朝日杯FS2番人気2着、’10弥生賞2番人気2着で、’10皐月賞時点ではエイシンフラッシュより人気でした。
皐月賞の結果はアポロンが4番人気11着、フラッシュが11番人気3着。

皐月賞後は負けが続き、途中1年の休養を挟みましたが、復帰後の’11マイルチャンピオンシップを制しました。

12.エイシンサニー

エイシンサニーメジロライアンなどと同じ、’90クラシック世代。
オグリキャップの引退戦となる’90有馬記念にも出走しています。
イナリワンと同じミルジョージ産駒です。

上の方で紹介したアグネスフローラが、母子制覇をかけて挑んだ’90オークスに勝利しました。

引退後の産駒から重賞勝ち馬は出ませんでした。
長生きしていましたが、2021年に34歳で亡くなりました。

13.エイシンチャンプ

エイシンチャンプはアメリカ生まれの’03クラシック世代。
ウマ娘に登場している同世代はゼンノロブロイです。

’02朝日杯FS、’03弥生賞を連勝しましたが、皐月賞、日本ダービー、マイルCSには敗れました。

マイルCS後はG1に出走することなく中央で20戦して未勝利。
地方に転厩し、地方で1勝を挙げています。

14.エイシンデピュティ

エイシンデピュティは、クロフネや、上の方で紹介したアドマイヤジュピタと同じフレンチデピュティ産駒。

’05クラシック世代で、同世代はウマ娘に登場していません。ディープインパクトの世代です。

重賞初挑戦まで19戦を要した遅咲きタイプで、下の世代のカワカミプリンセスダイワスカーレットウオッカなどと対戦経験があります。

マイル~中距離の重賞に出走を続けるなかで、’08宝塚記念を制しました。

15.エイシンヒカリ

エイシンヒカリは、上にリンクを貼った「最終直線で大斜行しつつも勝利したレース」が有名です。同世代馬はウマ娘には登場していません。
キタサンブラックの1つ上の’14クラシック世代。
同世代のディープインパクト産駒140頭のなかで唯一の芦毛。

デビューが遅く、クラシック戦線には参戦していませんが、逃げ戦法で勝ちまくり、9戦8勝で迎えたG1初挑戦の’15天皇賞(秋)では2番人気も9着。

2015年末は’15香港カップで優勝し、初G1制覇を海外で達成。
翌2016年は欧州遠征を敢行し、’16イスパーン賞(仏G1)で2着に8馬身差をつけて圧勝。
このときの圧倒的なパフォーマンスが評価され、日本馬としてはジャスタウェイ以来2頭目の世界ランク単独1位になりました。
ちなみに日本馬が日本以外の2カ国でG1を勝つのは、アグネスワールド以来2頭目。

以後は勝てませんでしたが年末に引退して種牡馬入り。
産駒のエイシンヒテン(’21秋華賞4着)は逃げて好成績を残し、最終直線で右にふらつく癖があり、遺伝を感じます。

16.エイシンプレストン ◎

エイシンプレストンはアメリカ生まれ。
同世代はエアシャカールアグネスデジタルなど。

’99朝日杯3歳Sを制したほか、香港の国際G1を3勝しています。
2001年12月には、ステイゴールドアグネスデジタルとともに、同日の香港G1を日本馬が三階級制覇しました。

同期のアグネスデジタルとは同じレースに7回も出走しており、日本で4勝2敗。香港で1勝0敗。
ただ、エイシンプレストンは芝ダート二刀流とはならず、(アグネスデジタルの出走していない)ダート競走に2回出走して、2回とも2桁着順でした。

デビューから引退までの全32レース全てに福永祐一騎手が騎乗しました。

17.オグリローマン

オグリローマンオグリキャップの半妹で、兄と同じく笠松出身。
兄と同じく安藤勝己が主戦騎手となり、地方で7戦6勝の好成績をおさめて中央に移籍しました。
ナリタブライアンヒシアマゾンなどと同じ’94クラシック世代です。

オグリキャップの走れなかったクラシックレースに挑戦し、’94桜花賞を3番人気1着。1番人気で臨んだオークスは12着でした。
同期のヒシアマゾンとは’94エリザベス女王杯で対戦経験があります。

18.オフサイドトラップ ▲

オフサイドトラップは、エルコンドルパサーと馬主さんが同じです。
ナリタブライアンと同じ’94クラシック世代で、皐月賞(7着)、日本ダービー(8着)にも出走しています。

屈腱炎になり、3度の休養期間を挟んで、7歳時に日本ダービー以来4年半ぶりのG1に挑戦。’98天皇賞(秋)に勝利しました。

’98天皇賞(秋)と言えば、サイレンススズカの悲劇。
ウマ娘アニメ第1期では、その天皇賞(秋)でオフサイドトラップの代わりにエルコンドルパサーが勝利していました。「同馬主だったから」と予想している方もいます。

7歳馬が天皇賞に勝ったのはオフサイドトラップが史上初。

その後の’98有馬記念では10着(1着グラスワンダー)。有馬記念を最後に、引退しました。

サクラ軍団

馬主さくらコマースのサクラ冠名の競走馬たちはサクラ軍団と呼ばれました。
さくらコマースは府中でパチンコ屋を経営するほか、焼肉のモランボンなどの会社です(現在モランボンは独立)。

サクラ冠名の競走馬はバクシンオーチヨノオーローレルがウマ娘登場済み。
ウマ娘内には「『サクラ』の名が『ヴィクトリー倶楽部』に自然と引き寄せられる」という台詞があり、世界観設定としてサクラ冠名のキャラクターがまだまだいるようなので、今後もサクラ冠名が増えることが予想されます。 

冒頭にリンクを貼ったマツウラさんのnoteでサクラショウリサクラスターオーサクラチトセオーサクラユタカオーが紹介されていたので、それ以外のサクラ軍団を記します。

19.サクラキャンドル

サクラキャンドルの父は、サクラバクシンオーと同じで、サクラユタカオー
兄のサクラヤマトオーサクラチトセオーが重賞戦線で活躍していたため、デビュー前から期待をかけられていました。
フジキセキマヤノトップガンマーベラスサンデーなどが同世代です。

新馬戦は単勝1倍台の1番人気で勝利。
ただ、2戦目からは7連敗して、なかなか重賞挑戦とまではいきません。

クラシック期の秋に2連勝して臨んだ初G1’95エリザベス女王杯を10番人気で制しました。
牝馬三冠3戦目としてのエリザベス女王杯、最後の回でした(翌96年に秋華賞が新設)。

ちなみに’95エリザベス女王杯の2週間前には2つ上の半兄サクラチトセオーが’95天皇賞(秋)に勝っています。
同一年に兄が天皇賞(秋)、妹がエリザベス女王杯に勝つのは、とても珍しそうですが3例目でした(1987年:兄ニッポーテイオー・妹タレンティドガール、1988年:兄タマモクロス・妹ミヤマポピー、1995年:兄サクラチトセオー・妹サクラキャンドル)。

20.サクラシンゲキ

サクラシンゲキは、マルゼンスキーの3つ下、ミスターシービーの3つ上の世代です。
サクラスマイルサクラスターオーの母)、サクラユタカオーサクラバクシンオーユキノビジンなどの父)の兄にあたります。

’81スプリンターズSに勝ち、’81最優秀スプリンターとして年度表彰も受けています。グレード制導入前ですが、これをG1級競走勝利とみなして記事に加えました。

短距離戦に強く、戦績を見る限り、適性はおそらく短距離だったと思われます。当時は短距離のレースが少なかったため、中長距離の日本ダービー、有馬記念、ジャパンカップ、宝塚記念などに出走して負けています。

「スタートしたら力尽きるまで逃げる」というレーススタイルは1981年の第1回ジャパンカップでも発揮され、1000m57秒8のハイペースで逃げましたが力尽きて9着。馬名とあいまって以降は「日の丸特攻隊」と称されるようになりました。

戦績やエピソードを調べるほど、「産まれた時代が違えば…」と思うのと、甥でもあるサクラバクシンオーっぽさを感じます。

21.サクラホクトオー ▲

サクラホクトオーは、サクラチヨノオーの1歳下の半弟で、トウショウボーイ産駒です。
同世代馬はウマ娘には登場していません。

デビュー年は’88朝日杯を含む3戦3勝。クラシック有力候補でした。
しかし、’89弥生賞1番人気11着、’89皐月賞1番人気19着と大敗。’89ダービーは5番人気9着。

秋に’89セントライト記念1着で盛り返すと、’89菊花賞は5着、’89有馬記念は3着に入りました。

’89有馬記念はイナリワン、スーパークリーク、オグリキャップ、ヤエノムテキとウマ娘に登場している競走馬が多数参戦していますし、他のレースではバンブーメモリー、イクノディクタス、ダイタクヘリオスなどとも対戦経験があり、サクラチヨノオーの弟。
既存ウマ娘との関係性は多く、今後登場しても不思議はないと思います。

冠名サトノ

セガサミーホールディングス会長・里見オーナーの所有馬です。
サトノダイヤモンドがウマ娘に登場しています。

22.サトノアラジン

サトノアラジンは、’14クラシック世代のディープインパクト産駒です。
同世代馬はウマ娘には登場していません。
キタサンブラックの1つ上の世代にあたります。

サトノアラジンに対しては現役当時「すぐにG1勝ちそうなのに、惜しいな。サトノ○○は、なかなかG1勝てないな」という印象を持ってました(個人の感想です)。

出るレースのほとんどで上位人気で、5着以内率が高く、安定感がありました。
クラシック戦終了後(菊花賞は6着)、マイル前後のレースに狙いを絞ると、そこから2年以上マイル重賞戦線の有力馬でした。
ただ、同期にはマイルG1を複数勝つモーリスや、ミッキーアイルなどがいたこともあり、G1で一番人気になることはあっても勝ち切れないことが続きます。

6才になりだいぶ人気を落とし、安田記念を7番人気で制したときは「遂に勝ったか」と感じました。

1才上の全姉ラキシスは’14エリザベス女王杯を制しているため、兄弟G1馬でもあります。

23.サトノアレス

サトノアレスは、’17クラシック世代のディープインパクト産駒。
同期はスワーヴリチャードリスグラシューレイデオロキセキなど。

「サトノ冠名はG1になかなか勝てない」という印象が「最近サトノめっちゃG1勝つじゃん」に変わった時期の1頭。

サトノダイヤモンドが菊花賞を制してから1年以内に、アレスが朝日杯FS、ダイヤモンドが有馬記念、クラウンが香港Vと宝塚記念、アラジンが安田記念と「どうした急に」という勢いで、この頃サトノがG1を勝ちまくっていました。

サトノアレスは、朝日杯勝利後に重賞勝利はありませんでした。

24.シスタートウショウ ▲

シスタートウショウは、トウカイテイオーと同じ’91世代の桜花賞馬です。
ミスターシービーなどと同じトウショウボーイ産駒。
馬主トウショウ産業の所有馬は、スイープトウショウが既にウマ娘に登場しています。

桜花賞の前哨戦’91チューリップ賞で、既に重賞を2勝していたスカーレットブーケダイワスカーレットの母)に勝利し、続けて’91桜花賞も制しました。

’91オークスは1番人気2着。
レース後に屈腱炎を発症し1年半の休養を挟むも、再び重賞戦線に復帰し、好走しました。

ツインターボが勝った’93オールカマーで2番人気5着だったほか、ヤマニンゼファーニシノフラワーイクノディクタスなどと対戦経験があります。

冠名シンコウ

シンコウウインディがウマ娘に登場しています。

25.シンコウキング

シンコウキングの父フェアリーキングはアイルランドで未勝利のまま引退しましたが、1歳上の全兄がサドラーズウェルズ(英・愛・仏で計17回リーディングサイアー)だったため種牡馬入り。
フェアリーキング産駒からは、次々に父を超える成績の馬たちが登場しました。
日本馬で例えるとディープインパクトの全兄ブラックタイドが種牡馬に入り、キタサンブラックが出た、みたいな話でしょうか。

シンコウキングはアイルランド産なので、当時はクラシック出走不可でした。
という事情が関係ないくらいデビューが遅く、同期の’94日本ダービー(1着ナリタブライアン)も終わった7月に1戦目。
重賞初挑戦までには、そこから2年以上を要しました。

7歳時の’97高松宮杯を制覇。
同年末に香港遠征後、引退しました。

短距離・マイル路線だったため、ビコーペガサス(同世代)、ヒシアケボノ(1つ下)、タイキシャトル(3つ下)、サイレンススズカ(3つ下)などと対戦経験があります。

種牡馬になった初年度からニュージーランドでも種付けが行われ、現地で大人気となり、後にニュージーランドに輸出されました。
ニュージーランドで産まれた産駒からは、ニュージーランド、オーストラリア、香港などのG1馬が出ています。

シンコウキングの全妹ローズオブスズカが、後述するスズカフェニックスを産んでいます。

26.シンコウフォレスト

シンコウキングの2つ下の世代で、同じくアイルランド出身ですが、シンコウキングシンコウフォレストに血縁はありません。

G1初挑戦の’97高松宮杯で3着に入るも、その後の重賞では6着以下の負けが続きました。

翌年の’98高松宮記念を制覇し、「シンコウ」が2年連続「高松宮」を制しました。

短距離・マイル路線だったため、ビコーペガサス(2つ上)、ヒシアケボノ(1つ上)、タイキシャトル(1つ下)、シーキングザパール(1つ下)、キングヘイロー(2つ下)などと対戦経験があります。

引退後は生まれ故郷のアイルランドに戻って種牡馬となりました。

27.シンボリインディ

シンボリインディは、アメリカ出身で、テイエムオペラオーたちと同じ’99クラシック世代。

デビュー2戦目以降1600mを4連勝、’99NHKマイルカップを制覇。
シンボリの馬がG1を勝つのはシンボリルドルフの’85有馬記念以来14年ぶりでした。

アメリカ遠征が計画されますが怪我で断念し、年末の’99有馬記念に出走。
「最強の2頭」と称されたグラスワンダースペシャルウィークが競り合うレースで、距離の壁があったのか14頭中14着でした。

翌2000年はマイル重賞を中心に出走し、負けが続きますが、京成杯を制覇し重賞2勝目。

年が明け、出走した’01ダービー卿チャレンジトロフィーにおいて、ゲート内で暴れ、ゲートを自らくぐった際に開放骨折して脚を地面に着くことができなくなり、予後不良と診断されました。

冠名シンボリの馬は、シンボリルドルフシリウスシンボリがウマ娘に登場済み。
冒頭にリンクを記したマツウラさんのnoteではスピードシンボリシンボリクリスエスが紹介されていました。

28.スズカコバン

スズカコバンマルゼンスキー産駒で、ミスターシービーと同世代です。

間違いなく世代の強豪ではあり、重賞で善戦(惜敗)を続ける存在でした。

同期のミスターシービーカツラギエースが引退したあとも走り続け、シンボリルドルフが直前で出走を取りやめた’85宝塚記念を制しました。

スズカコバンの馬主は、サイレンススズカの馬主の父親。
後にサイレンススズカが宝塚記念を勝ったことで、馬主として宝塚記念親子制覇を達成しています。

29.スズカフェニックス

スズカフェニックスは、サイレンススズカと馬主が同じで、サンデーサイレンス産駒のため父も同じですが追い込み馬です。
ローズオブスズカの全兄に上述のシンコウキングがいます。
同世代のウマ娘はおらず、同世代のディープインパクトとは対戦経験がありません。

重賞に挑戦するようになったころから、戦法は追い込み。
G1初挑戦となった5歳時の’07高松宮記念を制してG1馬となり、以降は短距離・マイル重賞に挑戦を続けました。
アストンマーチャンウオッカと対戦経験があります。

種牡馬としては’13NHKマイルCを制したマイネルホウオウなどを輩出しています。

2022年3月現在、「うらかわ優駿ビレッジAERU」で生活する様子が、Twitterなどで報告されています。

30.スズカマンボ

ダンスパートナーダンスインザダークダンスインザムードのG1馬三兄弟の母ダンシングキイの1歳下の全妹にキーフライヤーがいて、その娘の娘がスズカマンボです。
ウマ娘だとスイープトウショウと同じ’04クラシック世代。

’03朝日杯FS13着、’04皐月賞17着、’04ダービー5着、’04菊花賞6着と世代上位の力は見せつつ、勝ち切れませんでした。
翌年の’05天皇賞(春)を13番人気で勝利してG1馬となります。
以降は勝ちから遠ざかりました。

種牡馬成績が素晴らしく、2022年現在JRAダートG1に唯一勝利している牝馬サンビスタ、牝馬二冠+エリ女に勝ったメイショウマンボ、中山大障害に勝ったメイショウダッサイなどを輩出しています。

産駒がJRAの芝・ダート・障害のG1を勝った種牡馬は、2022年現在までにティンバーカントリーとスズカマンボのみです。

31.セイウンコウセイ

セイウンコウセイは、父アドマイヤムーンで、サトノダイヤモンドと同じ’16クラシック世代です。

勝利した’17高松宮記念を含め、短距離・マイル重賞に29戦出走しました。

冠名セイウン、ニシノを使用する西山オーナーの所有馬。
ちなみに’08朝日杯FSを制したセイウンワンダーは馬主が違う方ですが、西山オーナーの馬だと勘違いした方がおり、勝つたびに西山オーナーの元にお祝いが送られてきたそうです。

32.ゼンノエルシド

ゼンノエルシドはアイルランド出身で、同世代にはエアシャカールアグネスデジタルなどがいます。

デビュー戦でパドックから馬っ気を出し、そのままレースで1着になったことで一部ファンに有名になりましたが、クラシックレースのある2000年は勝ちきれず、条件戦を戦っているうちに終わってしまいました。

翌2001年、前走のレコード勝ちから、G1初挑戦の’01スプリンターズSは1番人気となるも10着。
4番人気となった次走’01マイルチャンピオンシップを制しました。

ゼンノエルシドの馬主は地図会社ゼンリンの社長(当時)です。馬主の死後、「ゼンノ」冠名と馬主としての勝負服は彼の妻に引き継がれました。ゼンノロブロイゼンノエルシドの馬主の妻の方が馬主です。

33.タイキフォーチュン

タイキフォーチュンは、タイキシャトルと同じクラブ法人の所有馬です。
冒頭にリンクを貼ったマツウラさんのnoteではタイキブリザードが紹介されていました。

同世代はウマ娘だとエアグルーヴシンコウウインディ
90年代で唯一、牡馬クラシック戦線を走っていた馬たちがウマ娘に登場していない世代です。

タイキフォーチュンはアメリカ生まれ。
アイルランドで調教されたのちに来日。
外国産馬が出走できる3歳限定G1として新設された’96NHKマイルカップの初代王者となりました。
なお、第1回は18頭中14頭が外国産馬で、以降第6回まで外国産馬が制し続けるなど、しばらくはNHKマイルカップと言えば外国産馬向けレースのような印象でした。

タイキフォーチュン自身の産駒から重賞勝ちは出ませんでしたが、妹の孫にクラリティスカイ、別の妹の産駒にセイウンコウセイなど、近親にはG1馬が出ています。

34.ダイタクヤマト ○

ダイタクヤマトは、ダイタクヘリオス産駒唯一のG1馬。
条件戦のさざんか賞を父子三代制覇(祖父ビゼンニシキ、父ダイタクヘリオス)という珍しい記録を持っています。

タイキシャトルシーキングザパールと同じ’97クラシック世代の短距離・マイル馬ですが、出世は遅く、G1初挑戦はキングヘイローが制した’00高松宮記念でした(13番人気11着)。

同年秋の’00スプリンターズSを16頭中16番人気で優勝してG1初制覇をすると、次走スワンSも8番人気の低評価ながら勝利。’00最優秀短距離馬に選出されました。

35.ダイワエルシエーロ ▲

ダイワエルシエーロスイープトウショウと同じ’04クラシック世代のサンデーサイレンス産駒です。
ロンドンブリッジは、’98桜花賞で2着でした。

’04オークスを制した(2着スイープトウショウ)ほか、オークス以外にG3を3勝しています。

引退後、産駒からオープン入りする馬は出ていません。
ダイワエルシエーロの妹ブリッツフィナーレの産駒に、菊花賞馬キセキがいます。

36.タニノギムレット ○

ウオッカの馬主さんは冠名タニノを使用しています。
冒頭にリンクを貼ったマツウラさんのnoteでは「花の47年組」の一員としてタニノチカラに触れられていました。
さらに時代をさかのぼれば、ミホノブルボンと同じ戸崎厩舎で徹底的に鍛えられたダービー馬タニノハローモアや、タニノチカラの兄で皐月賞・ダービーの二冠馬タニノムーティエもいます。

そこまで遡らなくても、ウオッカの父タニノギムレットは、ウマ娘に登場する可能性があるのではないでしょうか。ウマ娘だとファインモーションと同世代です。

’02日本ダービーを制しているので、ウオッカとは「父娘日本ダービー制覇」を達成しています。「父娘日本ダービー制覇」は、このペアのみです。
そもそも日本ダービーに勝った牝馬が歴代で3頭、ウオッカ以外は戦前の馬ですが。

37.トウカイトリック ▲

トウカイトリックはG1勝利がありませんが、長すぎる現役生活と長距離戦ばかり戦い続ける姿により、ウマ娘に登場してもおかしくないぐらい特徴のある馬です。

ディープインパクトと同世代のエルコンドルパサー産駒で、’06阪神大賞典では同期のディープインパクトに次ぐ2着でした。

そこからトウカイトリックは12歳まで現役を続け、12歳でもレースで入着していました。ウマ娘のゲームで例えるならシニア級9年目です。
ディープインパクト産駒とも戦っていますし、次代の三冠馬オルフェーヴルが逸走した阪神大賞典や、ゴールドシップが勝った阪神大賞典にも出走しています。

生涯戦績63戦9勝。
出走は全て芝コースで、2500m以上のレースへの出走が46回。
阪神大賞典と天皇賞(春)には、2006年から2013年まで8年連続で出走しています。
これはJRAの同一重賞最多出走記録であり、最多連続出走記録でもあります。

冠名トウカイの内村正則氏の所有馬のなかでは、トウカイテイオーに次ぐ生涯獲得賞金2位(約5億5000万円)です。

引退後は誘導馬になることになりました。
しかし誘導馬の訓練期間の放牧中に、骨折して亡くなってしまいました。

38.トウカイポイント

トウカイポイントトウカイテイオー産駒として初のG1制覇馬です。
テイエムオペラオーなどと同じ’99クラシック世代ですが、出世が遅かったため同世代の有力馬とはあまり戦っていません(シンボリインディメイショウドトウとは対戦経験あり)。

地方の盛岡でデビューし4戦1勝、クラシック戦が始まる前に中央に移籍しましたが、重賞に挑戦できるような結果はなかなか出ませんでした。

気性が荒いため、5歳春に去勢。
そこから成績が上向き、6歳秋に’02マイルチャンピオンシップを制しました。

39.トウカイローマン

トウカイテイオーと馬主が同じトウカイローマンは、シンボリルドルフと同世代のオークス馬です。

’84オークス勝利後も活躍を続け、ジャパンカップや有馬記念にも出走しています。
牝馬としては史上2頭目となるJRA10競馬場出場を果たしました。

同期の7冠馬シンボリルドルフ引退に際し、初年度種付け権を取得した馬主の内村氏はトウカイローマンとの交配を考えていましたが、トウカイローマンがまだ現役を続けられる競走成績を残していたため、ローマンの妹で脚が悪くデビューできなかったトウカイナチュラルが代役の形で交配し、トウカイテイオーが産まれました。

引退後のトウカイローマンは、シンボリルドルフを始め様々な種牡馬と11頭の産駒を出産しましたが、重賞に出走する馬は出ませんでした。

40.トーセンラー

トーセンラーディープインパクトの初年度産駒で’11クラシック世代。同世代のウマ娘はいません。オルフェーヴルの世代です。

勝ったG1は’13マイルチャンピオンシップ(1600m)ですが、’11菊花賞3着(3000m)、’13天皇賞(春)2着(3200m)と、長距離でも好成績を残しており、直近10年くらいでここまで距離適性の幅が広い印象のある馬はなかなかいません。

「内枠だと100%好成績。大敗は、ほぼ大外枠のときのみ」というデータから、引退レースとなった25戦目の’14有馬記念について筆者の友人が「トーセンラーが最内枠に入ったら大勝負する」と言っていたところ1枠1番。
「トーセンラーは内枠だと強い」という情報は、ある程度知られていたこともあってか、公開枠順抽選会では歓声が上がったことを覚えています。
上記の筆者の友人とは一緒に’14有馬記念を見に行き、友人はトーセンラーの単勝に◯万円賭けていました。

41.バンブーアトラス

バンブーアトラスは、ミスターシービーの前年、’82日本ダービー馬です。

この年のクラシック戦線はハイレベルになると言われていましたが、ダービーまでに重賞を勝っていた馬のほとんどが骨折や疲労でダービーに出走できなくなってしまいました。

ゆったりめのローテーションで皐月賞には間に合わなかったことも幸いしたのか、重賞未勝利で7番人気ながら、混戦模様の’82日本ダービーを当時のレコードを1秒近く縮めて優勝しました。

秋には菊花賞を目指していましたが、骨折して引退。種牡馬となりました。

42.バンブービギン

すぐ上で紹介したバンブーアトラス産駒。
オグリキャップの1年下、メジロマックイーンの1年上という、ウマ娘に登場する競走馬がいない’89クラシック世代。

初勝利は父より遅くダービーの2週前。
夏に2連勝して秋の京都新聞杯も制し、菊花賞には1番人気で臨むことに。
菊花賞前に引退した父バンブーアトラスと馬主だけでなく調教師、主戦騎手も同じだったため「父の無念を晴らせ!」という周囲の期待を背負い、快勝。

翌1990年は天皇賞(春)出走を予定していましたが骨折。復帰を目指す過程で屈腱炎になり、結果として菊花賞が最後のレースとなりました。

43.ヒカリデユール

ミスターシービーが19年ぶりの三冠馬となり年度代表馬となる前年の、’82年度代表馬がヒカリデユール
父はDuel、ヒカリデユールのアルファベット表記もHikari Duelなので、現在の感覚だとヒカリデュエルという登録名になりそうです。

ヒカリデユールは、マルゼンスキーより3世代下、ミスターシービーより3世代上の地方馬でした。
地方から中央へ移籍した活躍馬というと、ハイセイコーオグリキャップのように地方で圧倒的な成績をおさめた馬がイメージされますが、ヒカリデユールは地方で38戦7勝の成績で、5歳秋に中央に移籍します。

中央移籍初戦の朝日チャレンジカップは、11頭中7番人気で出走するも、最後方から直線一気の追い込み勝ち。
芝適性の高い馬だったのでしょうか。

次走の’82天皇賞(秋)ではレコード勝ちしたメジロティターン(メジロマックイーンの父)の2着。
これで評価が高まります。

中央3戦目の’82第2回ジャパンカップでは、日本馬最先着で、1着と1馬身差の5着。
前年の第1回ジャパンカップでは、日本馬は海外勢に手も足も出ませんでした。前年よりは「行けるかも」とファンに思わせてくれたレースだったようです。

続く’82有馬記念では最後方からの追い込み勝ち。
地方出身として史上2頭目の有馬記念制覇。
地方出身として史上2頭目の年度代表馬になりました。

翌年は大阪杯を制して臨んだ天皇賞(春)で故障発生し競走中止。引退して種牡馬となりました。

中央で光輝く活躍を魅せた期間は、わずか8ヶ月でした。

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栄光の数よりも、
栄光への道のりが、人生を語る。

君は、
ヒカリデユール。

いつか。いつか。父の名でここへ帰ってこい。

「JRAポスター ヒーロー列伝12 ヒカリデユール」
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44.ビワハイジ

ビワハイジは、エアグルーヴの初期ライバルと言える存在です。
デビューから2連勝して臨んだ’95阪神3歳牝馬Sではエアグルーヴに勝つものの、翌年の’96チューリップ賞はエアグルーヴの2着でした。

’96桜花賞は歯変わり、発情、熱発など体調不良の状態で出走するも15着。
次走は’96日本ダービー。13年ぶりの牝馬によるダービー挑戦も13着。そして骨折。

1年以上の休養を経て復帰し、2年以上ぶりの勝利・重賞3勝目を達成するも骨折して引退しました。

産駒たちがとても優秀で、重賞勝利産駒6頭はグレード制導入後の日本記録です。
産駒の中には史上最強レベルの牝馬ブエナビスタもいます。

45.プレストウコウ

プレストウコウは、エルコンドルパサーの馬主の父親の所有馬です。マルゼンスキーと同世代。

’77日本短波賞ではマルゼンスキーに7馬身差をつけられ2着。
マルゼンスキーが直前まで出走予定だった’77有馬記念では、一世代上の3強TTG(トウショウボーイテンポイントグリーングラス)に差を付けられ4着。
など、強豪馬との比較に名前が出てきがちですが、1977年はセントライト記念、京都新聞杯、菊花賞と3連勝していたこともあり、同年の最優秀4歳(現在の馬齢表記だと3歳)牡馬に選出されています。

翌78年は天皇賞(春)で2番人気になるも鞍ズレで競争中止。騎手がいつも使っていた鞍を忘れ、別の鞍を使用したためでした。

秋は毎日王冠に勝って、’78天皇賞(秋)に出走し、抜群のスタートを決めて逃げ始めるも1頭ゲートが開かずにスタートがやり直しに。

運がない。
でも’78天皇賞(秋)は2着と健闘。

’78有馬記念は一番人気で出走するも12着と大敗。故障が発覚しました。

人気馬を負かしたことにより、当時の悪役レスラーのニックネームを模して「銀髪鬼」などと競馬新聞に書かれたこともあったそうですが、かなり温和な馬で、引退後に初対面のファンを背に乗せても落ち着いていたそうです。

プレストウコウ産駒にマーチトウショウがいます。笠松時代のオグリキャップに唯一勝った馬で、『ウマ娘 シンデレラグレイ』ではフジマサマーチとして変名で登場しています。

1990年から韓国で種牡馬となることが決まり、最期は韓国で亡くなりました。

46.マーベラスクラウン

マーベラスクラウンはBNWと同じ’93クラシック世代です。
デビュー2戦目でビワハヤヒデに負け、その後2戦も負けた敗因が「(騎手を振り落とすほど)気性が荒かったため」と判断され、去勢されます。

10か月の休養を挟み復帰すると3連勝して重賞戦線へ。
重賞で好走を続けるなかでG1初挑戦となる’94ジャパンカップで優勝(有力馬とされていたマチカネタンホイザが直前で出走回避となった回です)。
前年のレガシーワールドに続き、2年連続セン馬のJC制覇となりました。

セン馬がG1に勝つこと自体が2回目で、2022年現在もセン馬によるJRAのG1制覇は5頭しか出ていません。

なお、勝ったジャパンカップには、アメリカ代表としてマーベラスクラウンの兄のグランドフロティラも出走していました。

冠名メジロ

メジロアルダン、メジロマックイーン、メジロライアン、メジロパーマー、メジロドーベル、メジロブライトが既にウマ娘に登場しており、ウマ娘界の一大勢力です。
キャラクターデザインは出ていませんが、牝馬三冠メジロラモーヌもウマ娘のなかで名前は登場しています。

他の冠名メジロの競走馬も、まだまだウマ娘に登場する可能性があります。
冒頭のマツウラさんのnoteではメジロデュレンメジロダーリングの名前が出ていたので、それ以外の競走馬を紹介。

メジロは古い時代まで遡ると、名馬が大量にいますが、マルゼンスキーより前の世代については、一言紹介に留めます。
メジロオー’61日本ダービーで鼻差2着
メジロボサツ’65朝日杯に勝ち、引退後は優秀な産駒を次々輩出して一大牝系を築いた。牝系としての子孫にメジロドーベルモーリス
メジロタイヨウ’69天皇賞(秋)制覇。
メジロアサマ’70天皇賞を制したマックイーンの祖父。
メジロムサシ:メジロオーの弟で’71天皇賞制覇。
他にも障害競走で活躍したメジロが何頭かいます。

47.メジロティターン

メジロティターンミスターシービーの2つ上の世代にあたります。

メジロティターンの父メジロアサマは天皇賞を勝って種牡馬となりましたが、初年度28頭に種付けして受胎なしという結果に。
授精能力の低さが疑われるも、馬主はどうにかメジロアサマの血を繋ぎたい一心で、フランスから輸入した高価な牝馬シェリルに種付けしてメジロティターンが産まれました。
なお、メジロティターンの1つ上の姉メジロチェイサーの産駒にメジロライアンがいます。

メジロティターンの仕上がりは遅く、春はクラシックに無縁でしたが夏から本格化。
セントライト記念を勝って菊花賞を目指すも骨折。
半年の休養を挟んで復帰し、日経賞では10馬身差圧勝したものの、その後は5着以下が続いたなかで挑んだ’82天皇賞(秋)で優勝。父子天皇賞制覇を成し遂げました。

馬主が脳溢血で倒れる前日に「3代目も自分の牧場の牝馬で天皇賞をとれたら」という希望を「最後の夢」として話したことで、これを遺言として、残された関係者は天皇賞の父子三代制覇を目指していくことになります。

48.メジロベイリー

メジロベイリーメジロブライトの半弟で、メジロには珍しいサンデーサイレンス産駒。
アグネスタキオンマンハッタンカフェなどが同世代です。

デビュー戦は、後のダービー馬ジャングルポケットに敗れます。
4戦目で勝利し、1勝馬として10番人気で臨んだ’00朝日杯に勝利してG1馬となり、最優秀3歳牡馬(馬齢は当時)にも選ばれました。

朝日杯後は脚部不安で1年以上の休養。復帰後は結果が出せないまま屈腱炎となり、引退しました。

49.ヤマニンシュクル ○

ヤマニンシュクルスイープトウショウと同じ’04クラシック世代で、トウカイテイオー産駒です。

’03阪神JFを後方からの追い込みで制してクラシック有力候補となると、翌年は桜花賞3着、オークス5着、秋華賞2着と安定した成績を残しました。

秋華賞後に屈腱炎となり、1年以上の休養を挟んだ復帰戦の’05エリザベス女王杯で4着と存在感を示すと、その後も重賞戦線で活躍しました。

’06エリザベス女王杯ではカワカミプリンセスに進路を妨害され、初の2桁着順となる11着(12位入線)となりました。
カワカミプリンセスは、この妨害行為により1位入線も12着に降着。ヤマニンシュクルは、進路を妨害された際に体勢を崩したことで競走能力喪失の故障を発症し、引退しました。

50.ヤマニンパラダイス

ヤマニンパラダイスはアメリカ生まれで、同世代にはマヤノトップガンなどがいます。
同期のフジキセキが無敗の3連勝で’94朝日杯を制した年に、牝馬路線で圧勝を続ける活躍を見せていました。

デビュー2戦ともレコード勝ちで、’94阪神3歳牝馬Sでは単勝1.2倍の大本命。ここもレコード勝ちしてフジキセキヤマニンパラダイスは最優秀3歳馬に選出されました。

外国産馬なので元々クラシックには出られませんでしたが、2度の故障もあり翌95年は1戦0勝。

1996年に復帰してからは重賞戦線を歩みますが、1年3か月前のような圧倒的な強さは失われていました。

娘のヤマニンアルシオンは、ヤマニンシュクルが勝った’03阪神JFで2着に入っています。

ウマ娘と本note内紹介馬 世代別一覧

●●●●年生まれ ▲▲▲▲クラシック世代
1行目:ウマ娘に既に登場
2行目:本note内で紹介
3行目:その他同世代の競走馬
上記の区分で、世代別に馬名を並べています。

1974年生まれ 1977クラシック世代
マルゼンスキー
プレストウコウ
インターグロリア、カネミノブ、テンメイ

1975年生まれ 1978クラシック世代
ウマ娘なし
note内紹介なし
サクラショウリ、ホウヨウボーイ、プリテイキャスト

1976年生まれ 1979クラシック世代
ウマ娘なし
アグネスレディー
ビンゴガルー、カツラノハイセイコ

1977年生まれ 1980クラシック世代
ウマ娘なし
サクラシンゲキ、ヒカリデユール
モンテプリンス、アンバーシャダイ、ハギノトップレディ、キョウエイプロミス

1978年生まれ 1981クラシック世代
ウマ娘なし
メジロティターン
カツトップエース、テンモン、モンテファスト

1979年生まれ 1982クラシック世代
ウマ娘なし
バンブーアトラス
アズマハンター、ハギノカムイオー

1980年生まれ 1983クラシック世代
ミスターシービー
スズカコバン
カツラギエース、ギャロップダイナ、ダイナカール、ニホンピロウイナー

1981年生まれ 1984クラシック世代
シンボリルドルフ
トウカイローマン
スズパレード、ビゼンニシキ

1982年生まれ 1985クラシック世代
シリウスシンボリ
note内紹介なし
ミホシンザン、サクラユタカオー、クシロキング

1983年生まれ 1986クラシック世代
メジロラモーヌ(名前のみ登場)
note内紹介なし
メジロデュレン、ニッポーテイオー、ダイナガリバー

1984年生まれ 1987クラシック世代
ゴールドシチー、イナリワン、タマモクロス
note内紹介なし
サクラスターオー、メリーナイス、マックスビューティ

1985年生まれ 1988クラシック世代
サクラチヨノオー、オグリキャップ、メジロアルダン、ヤエノムテキ、バンブーメモリー、スーパークリーク
note内紹介なし
サッカーボーイ、ダイユウサク、ミヤマポピー

1986年生まれ 1989クラシック世代
ウマ娘なし
サクラホクトオー、バンブービギン
オサイチジョージ、ロジータ

1987年生まれ 1990クラシック世代
メジロパーマー、メジロマックイーン、アイネスフウジン、ダイタクヘリオス、メジロライアン、イクノディクタス
アグネスフローラ、エイシンサニー
ハクタイセイ、ダイイチルビー、トウケイニセイ

1988年生まれ 1991クラシック世代
ツインターボ、ナイスネイチャ、トウカイテイオー、ヤマニンゼファー
シスタートウショウ
レオダーバン、イソノルーブル、リンデンリリー

1989年生まれ 1992クラシック世代
ライスシャワー、サクラバクシンオー、ニシノフラワー、ミホノブルボン、マチカネタンホイザ
note内紹介なし
シンコウラブリイ、トロットサンダー、レガシーワールド

1990年生まれ 1993クラシック世代
ビワハヤヒデ、ウイニングチケット、ナリタタイシン、ユキノビジン
マーベラスクラウン
ベガ、ホクトベガ、ノースフライト、ネーハイシーザー、サクラチトセオー

1991年生まれ 1994クラシック世代
ビコーペガサス、ヒシアマゾン、ナリタブライアン、サクラローレル
オグリローマン、オフサイドトラップ、シンコウキング
タイキブリザード

1992年生まれ 1995クラシック世代
ヒシアケボノ、マヤノトップガン、フジキセキ、マーベラスサンデー
ヤマニンパラダイス、サクラキャンドル
アブクマポーロ、ジェニュイン、フラワーパーク、ライデンリーダー、ダンスパートナー

1993年生まれ 1996クラシック世代
エアグルーヴ、シンコウウインディ
タイキフォーチュン、シンコウフォレスト、ビワハイジ
バブルガムフェロー、フサイチコンコルド、ダンスインザダーク

1994年生まれ 1997クラシック世代
タイキシャトル、シーキングザパール、サイレンススズカ、メジロドーベル、メジロブライト、マチカネフクキタル
ダイタクヤマト
サニーブライアン、ステイゴールド、ブラックホーク、メイセイオペラ、シルクジャスティス

1995年生まれ 1998クラシック世代
グラスワンダー、エルコンドルパサー、セイウンスカイ、キングヘイロー、スペシャルウィーク
アグネスワールド
エアジハード、ウイングアロー、ファレノプシス、マイネルラヴ

1996年生まれ 1999クラシック世代
テイエムオペラオー、アドマイヤベガ、ナリタトップロード、メイショウドトウ、ハルウララ
トウカイポイント、シンボリインディ
トゥザヴィクトリー、アドマイヤコジーン、トロットスター

1997年生まれ 2000クラシック世代
エアシャカール、アグネスデジタル
アグネスフライト、イーグルカフェ、エイシンプレストン、ゼンノエルシド
タップダンスシチー

1998年生まれ 2001クラシック世代
マンハッタンカフェ、アグネスタキオン
メジロベイリー
ジャングルポケット、クロフネ、テイエムオーシャン、カルストンライトオ、ビリーヴ、タイムパラドックス

1999年生まれ 2002クラシック世代
ファインモーション
アドマイヤマックス、タニノギムレット
シンボリクリスエス、デュランダル、ヒシミラクル、アドマイヤドン、ゴールドアリュール、イングランディーレ

2000年生まれ 2003クラシック世代
ゼンノロブロイ
エイシンチャンプ
スティルインラブ、アドマイヤグルーヴ、ネオユニヴァース、ブルーコンコルド、オレハマッテルゼ

2001年生まれ 2004クラシック世代
スイープトウショウ
スズカマンボ、ダイワエルシエーロ、ヤマニンシュクル
キングカメハメハ、ダイワメジャー、ハーツクライ、コスモバルク、カンパニー、ダンスインザムード、シーキングザダイヤ

2002年生まれ 2005クラシック世代
ウマ娘なし
エイシンデピュティ、スズカフェニックス、トウカイトリック
ディープインパクト、カネヒキリ、ヴァーミリアン、ラインクラフト、エアメサイア

2003年生まれ 2006クラシック世代
カワカミプリンセス
アドマイヤジュピタ
メイショウサムソン、アドマイヤムーン、マツリダゴッホ、キンシャサノキセキ、フサイチパンドラ、テイエムプリキュア

2004年生まれ 2007クラシック世代
ウオッカ、ダイワスカーレット、アストンマーチャン
エイジアンウインズ
ドリームジャーニー、ローレルゲレイロ、スクリーンヒーロー、フリオーソ

2005年生まれ 2008クラシック世代
スマートファルコン
note内紹介なし
ディープスカイ、アーネストリー、サクセスブロッケン、エスポワールシチー

2006年生まれ 2009クラシック世代
トーセンジョーダン、ナカヤマフェスタ
note内紹介なし
ブエナビスタ、トランセンド、ロジユニヴァース

2007年生まれ 2010クラシック世代
エイシンフラッシュ、カレンチャン
エイシンアポロン
アパパネ、ヴィクトワールピサ、ローズキングダム

2008年生まれ 2011クラシック世代
ウマ娘なし
アドマイヤラクティ、トーセンラー
オルフェーヴル、ロードカナロア、サダムパテック、リアルインパクト、スノードラゴン

2009年生まれ 2012クラシック世代
ゴールドシップ
note内紹介なし
ジェンティルドンナ、ジャスタウェイ、フェノーメノ、ヴィルシーナ、ストレイトガール、スピルバーグ、ホッコータルマエ、サンビスタ、カレンブラックヒル

2010年生まれ 2013クラシック世代
ウマ娘なし
note内紹介なし
ロゴタイプ、キズナ、エピファネイア、ラブリーデイ、メイショウマンボ、ラキシス、コパノリッキー、コパノリチャード

2011年生まれ 2014クラシック世代
ウマ娘なし
エイシンヒカリ、サトノアラジン
オジュウチョウサン、モーリス、イスラボニータ、ミッキーアイル、ゴールドアクター、レッドファルクス、ビッグアーサー、トーホウジャッカル、マリアライト、ショウナンパンドラ、ハープスター

2012年生まれ 2015クラシック世代
キタサンブラック、サトノクラウン、シュヴァルグラン?
note内紹介なし
ドゥラメンテ、リアルスティール、ミッキークイーン、ノンコノユメ

2013年生まれ 2016クラシック世代
サトノダイヤモンド
アドマイヤリード、セイウンコウセイ
マカヒキ、ファインニードル、ディーマジェスティ、レインボーライン、ミッキーロケット、ヴィブロス、ケイティブレイブ、ゴールドドリーム

2014年生まれ 2017クラシック世代
ウマ娘なし
サトノアレス
スワーヴリチャード、レイデオロ、アルアイン、モズアスコット、ウインブライト、キセキ、リスグラシュー、ディアドラ

補遺1:紹介しなかった馬名25

(1)同馬主・同冠名の競走馬が、既にウマ娘に登場済み。
(2)G1級競走優勝馬。
(3)マルゼンスキー(1974年生まれ)以降の世代の競走馬。
の条件を満たしながら、
追加:(4)上記のマツウラさんのnoteで紹介されていない。
の条件を満たさず、本記事内での紹介を見送った馬名は以下の通りです。

<50音順>アドマイヤグルーヴ、アドマイヤコジーン、アドマイヤドン、アドマイヤマーズ、エアジハード、エアメサイア、エスポワールシチー、カレンブラックヒル、サクラショウリ、サクラスターオー、サクラチトセオー、サクラユタカオー、シンコウラブリイ、シンボリクリスエス、タイキブリザード、ダイワメジャー、タップダンスシチー、テイエムオーシャン、テイエムプリキュア、ヒシミラクル、マックスビューティ、メイショウサムソン、メイショウボーラー、メイショウマンボ、メジロデュレン

補遺2:全ての事情を無視した場合、ウマ娘への登場が検討されていそうなその他の名馬50選

本note内では紹介せず、上記「補遺1」にも記載していない馬名の中で、実績や既存ウマ娘との関係的に、今後のウマ娘への追加登場が検討されていそうだと感じる名馬たちです。
下記馬名の競走馬たちの馬主さん(クラブ法人含む)の所有馬は、現在のところウマ娘に登場していないかと思います。
※変名で登場している場合はあります。

<~’84クラシック世代>アンバーシャダイ、カツラギエース、ギャロップダイナ、ダイナカール、ニホンピロウイナー
<’85~’89クラシック世代>ミホシンザン、ダイナガリバー、ニッポーテイオー、ダイナアクトレス、サッカーボーイ、ダイユウサク
<’90~’94クラシック世代>ダイイチルビー、レガシーワールド、トロットサンダー、ベガ、ホクトベガ、ノースフライト、フラワーパーク
<’95~’99クラシック世代>ダンスパートナー、バブルガムフェロー、サニーブライアン、ステイゴールド、ウイングアロー、ファレノプシス、トゥザヴィクトリー
<’00~’04クラシック世代>クロフネ、ジャングルポケット、デュランダル、ネオユニヴァース、スティルインラブ、キングカメハメハ、ハーツクライ
<’05~’09クラシック世代>ディープインパクト、シーザリオ、カネヒキリ、ヴァーミリアン、アドマイヤムーン、アパパネ、ブエナビスタ
<’10~’14クラシック世代>ヴィクトワールピサ、オルフェーヴル、ロードカナロア、ジェンティルドンナ、ジャスタウェイ、キズナ、エピファネイア、モーリス
<’15~’19クラシック世代>ドゥラメンテ、リスグラシュー、アーモンドアイ

補遺3:サムネイル写真について

本記事のサムネイル写真は2015年末の有馬記念後、中山競馬場で行われたゴールドシップの引退式で撮影したものです。

めちゃめちゃ寒かったですが、北島三郎さんが「まつり」を歌ってくださったり(キタサンブラックは3着でした)、ゴールドシップ引退式で横山典騎手が「宝塚記念では、すいませんでしたっ!」とおっしゃって、笑いや笑い含みの野次が起きたことを覚えています。
前年の有馬記念後のジェンティルドンナ引退式のときより観客席に残っていた人数が見た目にも明らかに少なく、ゴールドシップは人気があると思っていたので、少し不思議に感じました。

この時点ではプロジェクトとして発表されていなかったウマ娘が、2021年2月のアプリリリース後に大ヒットし、ゴールドシップも大人気になったことに、時の流れを感じます。

参考文献

監修=井崎脩五郎『60YEARS名馬伝説 上 スーパーホースたちの栄光と遺産 1994-2014』トレンドシェア、2014年
監修=井崎脩五郎『60YEARS名馬伝説 下 スーパーホースたちの栄光と遺産 1954-1993』トレンドシェア、2014年
サラブレ編集部『ザ・サラブレッド・ヒーローズ 名馬最強列伝』エンターブレイン、2007年
檜垣立哉『哲学者、競馬場へ行く』青土社、2014年
netkeiba.com https://www.netkeiba.com/

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