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指は頭があまり良くない

少し前にThe Game of Sisyphusというゲームの実況配信を見た。(とても面白かった)

シーシュポスが巨岩を坂の上まで運ぶのが目的のゲームで、「繊細な操作が要求され」、「一つのミスで進捗が大きく戻され」、「セーブポイントが無い」という特徴を持つ。
つまりGetting over it(壺おじ)やJump KingやOnlyUP!と同ジャンルのゲームだ。

今回の記事は別にこのゲームや配信の魅力を伝えたいとか、そういう話ではない。
この巨岩を押すシーシュポスが、文章を書いている私と重なって見えたのだ。

読む人に伝えたい内容が山の頂上にあり、スタート地点がその麓にある。
少しでも言葉のコントロールを失うと話があらぬ方向に向かってしまう。
そして、重力と傾斜によって坂を転げ落ちる危険が常にすぐそばにある。
私が文章を書くときのイメージはこんな感じだ。

では、この話における重力と傾斜とは何か。
それは「安直な結論」であり、「借りてきた思想」であり、「定型的な言い回し」だ。
指の赴くままに文章を書こうとすると、大体この3つが顔を出す。
そして、せっかく浮かんだアイディアを、他の誰かが言ってたことに落とし込んでしまう。

この3つを避けるように頭を使って慎重に書いていくと、文章は自分だけの言葉になる。

奇抜なアイディアや深い考察は無くたって構わない。
そうでなくても人間1人の頭の中はそれぞれに多様だ。
私はそれを見たいし、見てほしいのだ。

巨岩を押して坂を登るように、既存の言説が放つ重力に絡め取られないように、慎重な言葉選びで文章を書く。
この姿勢さえあれば、そこから生まれる文章はきっと、読む人に何かを残すことができる。

世に溢れる言葉のうち、そんな姿勢の言葉が少しでも増えたら嬉しいと思う。
私はそんな姿勢の言葉を少しでも増やすためにこれからもnoteを書いていこうと思う。

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