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【日記】 筆者、ニュースを見る

筆者はほぼ毎日、新聞を読む。
地元の新聞と朝日新聞それぞれの朝刊を読むのが日課となっている。
特に朝日新聞は書評欄が素晴らしいため、読者をする際の参考にしている。
おかげで筆者は以下の本を大学図書館を通じて手に入れた。

「ドヤ顔で腕を組む人がうつる表紙の本が幅をきかすご時世、この本は大変素晴らしい」
筆者は得意げに言うが、1ページも読んでいない。めんどくさいからである。「そういう日もある」

筆者はニュースを読むまたは見る。
ある日、医療ボランティアの人たちが過疎地域で活躍するというニュースを見ていた。だが最後に、「こういう人たちを後押ししていきましょう」といった美辞麗句で語られており、大変な違和感を覚えたのである。本来、医療は行政が主導するもので、ボランティアの主体性に任せていても限界があるのではないか。スガ氏の言うところの、「共助」はできていても「公助」が不足しているのはまずいと考える。医療なら尚更であろう。

筆者も何度か経験したことがあるが、間違い無くボランティアは素晴らしい。知らないことが分かるし、色々な人とも出会うことができる。やって損することがほとんどないだろう。

しかし、それが本来、行政や町全体でやらなければならない場合だったとしたら、どうであろうか。必要な施設・制度に対する不足を「慈善」で覆い隠されてしまったら、それは大変危険である。

こういうことを考えると、ひねくれた目線でしかボランティアを見れなくなるため、注意が必要だが、筆者は今後も警戒しながらニュースを見ていくつもりである。




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