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何をしていたのだろう今日は。

今日ほど生産性の無い日を送ったことは無いだろう。と思う。

結論から言うと、洒落た書店を見つけ、洒落たカフェで優雅にコーヒーと読書を嗜み、そのあと勝手にスマホを無くしたと勘違いして、慌てふためくという虚しさ全開の日であった。

前半は良い時間を過ごしたと思う人もいるだろうが、とんだ間違いである。
私の住む街は基本、駐車場がない。つまり、車を運転することのできる私にとって、この上ないほど優しくない。
そのため、ずっと「どっか駐車場ないかよ…」とブツブツ言いながら、やっと駐車するも、コンビニに停めてしまったので、目的地に着いてもいい気分がしないのである。

そんな気分の中、私はカフェに入る。いやーこれは良い店であった。

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ブルジョアしか入れなさそうな雰囲気だったが、私もエセブルジョアとして、そこに馴染もうした。ある本を読みながら。その本とは、


である。

ブルジョアとは正反対。色々と逆ではないか。ブルジョアとプロレタリアの格差について考えている筆者はこういう本を手に取っている。

「高い店には入るのに、貧困者には寄り添うってか?冗談も大概にしろ!」と言われそうだが、世の中には形容し難い二項対立の狭間に悩む人が多いのである。

カフェに行く前、流石にコンビニで長時間駐車するのは…と私の良心が働いたので、コインパーキングに停め直した。

ここからが悲劇の始まりであった。
不器用な私はコインパーキングから出ようとお金を払った際、お釣りを取りこぼしてしまったのだ。

1000円-200円=800円

100円玉3枚が宙に舞う。嗚呼。
小銭に目がない私はすぐさま拾う。
フゥ……良かった全部ある。

実はその時、駐車券を私の手帳型スマホに入れていたのだが、その駐車券を払い口に入れた瞬間、スマホが私の目の前から消えていた、、、ことはまだ知る由もない。

しかし、令和の鼠小僧である私の脳内の8割方は宙に舞った3枚の100円のことで埋まってしまった。

そして、最近再開した「街の人にインタビューして文章を書くトレーニング」をやろうと車を気持ちよく飛ばした。

ただ、方向and人生オンチの私は、目的を遂げようとするも、次第に疲れ始め、やっぱりいいかなと感じ始める。

そこから、じわじわと脳内が「あれ、スマホどこかいな?」と考えだす。

増幅する不安と不満。
キャパーオーバーの脳を休めるべく、田舎のどでっかい駐車スペースに車を停めた。

車内を見渡す。



ヤバイじゃないか。



無いのである。私のスマホ。

ぬぉおおおおおあおおお

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こいつはヤバイ。そこからの私は必死に過去を振り返る。スマホを利用した過去を振り返るのではなく、俺はこの世界にバチが当たるようなことをしてしまったのだろうかと何故か考える。

そして、答えは?
いや、無い。コンビニで無断駐車とか。カフェの店員さんのお勧めを無視して、インドネシア産マンデリンを飲もうとしたとか。それでも、その報復にスマホ紛失ですかい。これはあんまりだ。

次第に思考のスケールは広がり、私は未来を考える。スマホが無くなった未来を。

そう言えば、農業の先生が言っていたな。昔の牛は肉牛ではなく、共有して使う役牛だったと。

スマホの無い未来。連絡手段も何か「共有」することが大事になるんじゃないかな。

落合陽一氏も、資源が無くなるこれからの社会は、色々と共有する「シェア経済」が大事になるだとか本で書いていたな。

スマホの無い未来。悪くないじゃないか。



虚しい気持ちで帰宅。
親のスマホを借りて、私のスマホに電話をする。

音は
鳴った。





肩をトントンと叩かれる。
「スマホは必要だろ?」
ジョニーが話しかける。

「ジョニー…」
私は彼をゆっくり抱きしめた。

#エッセイ #生産性だけが全てじゃない


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