![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/19422238/rectangle_large_type_2_a518466258bd60a2e42739247b81cf1e.png?width=800)
おっぱい哲学
今日まで、私の思考の形成に最も寄与したものは何か。
そうそれは、おっぱいである。
2つの乳房の存在は、私のウチから湧き出る人間の本能的な何かを引き出そうとする。
これは能動的なものでも無さそうだし、受動的なものでもないと言える。
私はおっぱいを見た瞬間、「おっ!」となる時がある。(※わざわざ声は出していない)
しかし、この感覚は何だ。
おっぱいを見ると、これはスゴい!と唸るのは、能動的な私の振る舞いの1つと言えよう。一方、唸るのは分かっているものの、何か揺さぶられる感覚というのは、受動的でどこか「流される」行為なのではないかとも思っている。
ちょっと分かりにくいか。
おっぱいを見ると、目線がそこに集中してしまうだろう。ただ疑問に思う。「してしまう」という行為は、本当に能動的なものだろうか?
はっきり言って、そこに意思の存在はあるか?
なんかわからないのである。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?