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おっぱい哲学

今日まで、私の思考の形成に最も寄与したものは何か。

そうそれは、おっぱいである。

2つの乳房の存在は、私のウチから湧き出る人間の本能的な何かを引き出そうとする。
これは能動的なものでも無さそうだし、受動的なものでもないと言える。

私はおっぱいを見た瞬間、「おっ!」となる時がある。(※わざわざ声は出していない)

しかし、この感覚は何だ。

おっぱいを見ると、これはスゴい!と唸るのは、能動的な私の振る舞いの1つと言えよう。一方、唸るのは分かっているものの、何か揺さぶられる感覚というのは、受動的でどこか「流される」行為なのではないかとも思っている。

ちょっと分かりにくいか。

おっぱいを見ると、目線がそこに集中してしまうだろう。ただ疑問に思う。「してしまう」という行為は、本当に能動的なものだろうか?

はっきり言って、そこに意思の存在はあるか?

なんかわからないのである。

#エッセイ



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