左脳は詩人、右脳はロックンローラー

この時間帯を待っていた。
静寂な空気が頭の中の雑音を鎮めてくれる。日中、左脳では詩人となり、右脳ではロックンローラーとなっていた私の脳たちはこの時間帯になると、阿吽の呼吸の如く、静まり返って、安寧の舞台を整えてくれる。日中の心のざわめきは形容しがたいもので、語彙を求めて左脳を動かし、情熱を求めて右脳を動かすものの、やはりどちらも別の意思を持った生き物みたいなものなので、私が飼い慣らすことは到底できないことを知った時、さほど絶望することはなかった。

この時間帯は夢を見ているようだ。寝ていない。瞼も閉じていないのにだ。酒もタバコも吸っていないにもかかわらず、頭がぽーとする。詩人とロックンローラーは手を繋いでどこかへ行ってしまったようだ。残ったのはこの私。私だけ。両脳よ、しばらく戻ってくるな。今は私だけでいい。

はて、雑念が消えた今、文字を打たせているのは誰だ?誰がここまでして私に文字を打たせる?

そもそも、脳は誰のもの?心は誰のもの?

脳が意識せずとも心拍数は上がり、心が意識せずとも脳は勝手に汗をかいている。どうしたお前たち? 主人の命令は聞けないのか!?

主人とは何なのだ?
この人類永遠の至上命題の証明図を書け。
カリカリカリカリ。
その証明図をかいているのは誰だ?
脳か?心か?

―主人なんてありゃしないありゃしない。お前を決めるのは脳と心。お前は皮を被った器であればいい。脳と心が指示を出す。それを黙って聞いていればお前はお前でいられるのだ。

お前は脳みその細かなシワの合間には入れない。お前は心に入ってもポンプに押し戻されるだけ。お前の居場所なんてどこにもない。

この時間帯で私は今、夢を見させてもらっている。しかし、日中となると、また戻ってくるのか。脳たちよ。また私の体で暴れ回るのか。嫌だ嫌だ。来るな!雑念は嫌いだ!私の判断で私は行動したいのだ!やめろ、お前たちが来たら、また私は悩んでしまう。

カンカンカンカン。登校のチャイム。
左脳と右脳が戻ってきた。

「はい。手土産です。」
差し伸べた先には悩みの種。
私はそれを飲み込み、悶絶する。
ザワザワザワザワと雑念の助長。

「はい、舞台は整いました!」と言わんばかりに左脳は筆を取り、右脳はバチを握る。安寧はただの序幕に過ぎなかったようだ。

カキカキカキカキと左脳は言い訳を用意する。
ドンドンドンドンと右脳はエゴイズムを打ち鳴らす。

日中の雑念を構成する2つの要素。
言い訳とエゴイズム。
私の体なのに、今日も私の居場所はないのです。嫌なこって!


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?