充実した1日が充実した人生につながるとは限らない
5ヶ月も続いたほぼ無職期間が残り20日となった。
目の前の小さなゴールを追っていても日々の小さな達成感を味わうだけで人生の達成感は味わえないかもしれない。
忙しそうにして充実感を偽造する日々
無職といえど日々はそれなりに忙しくして、1日のタスクを並べてそれをこなすことに気持ちの良さを感じている。
書類の記入、読書、写真の整理などなど。
でも、今やっていることって本当に自分のやりたいことなんだろうか。
今は時間があるのでなんでも目の前のことに飛びついてこなしているけれど。
暇が耐え難いから、手軽にやれることを無難にやっているだけかもしれない。
気付けばそんなにチャレンジングなことはしていないし、自分から飛びついてやっているようなこともない。
読む本は図書館やKindle Unlimitedで無料で読める本だけだし、コミュニティスペースのお手伝いもその辺に転がっている仕事を事務的にこなしているだけかもしれない。
目の前にある選択肢の中では優先順位をつけるけど、それが人生の優先順位とリンクしているかはわからない。
今日一日は自分の理想の人生に近づくための一日だったか
一生懸命にやっているとは思うけども、これは自分の人生を歩んでいるんだろうか。
自分の理想には近づけているのだろうか。
自分の理想ってなんなんだろうか。
こんな気持ちがもやもやになって生まれてきている。
こっちがゴールだよー!という人やものが周りには溢れていて、ついついそこに全力疾走したくなる。
自分の体力は少しつくのかもしれないけど、それが自分の目指すゴールに近付くとは限らないのだ。
転職活動が終わって安心している場合じゃない。
忙しさで気を紛らわさずに自分ともう一度向き合おう。
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