公務員辞めたら人生詰んだ 承② 中学校編2

配属初日の話に戻る。
私は学校事務の仕事内容を「お茶くみと電話番」と思っていたので、初日は軽いオリエンテーションで定時の16時50分、もしかしたらもっと早く上がれるかなぁと考えていた。
しかし、Oさんの説明は定時を過ぎても続く。

「手当類は15日以内だけどシステムの入力期間があるから7日までに入力して。ショコージョキンの書類は明後日までだからね。あと来週、予算委員会が入ってるから予算案作って。チョークも各クラス少なくなってきたから買って配って。校長が今年変わったから銀行の名義変更してね。通帳は金庫にあるから。シキンゼントもね。入学式のお花は○○ガーデンに頼んでるけど前日もう1度確認して・・・」

業務内容以前に言葉がわからない。ショコージョキンって何?(=「諸控除金」といって、給食費など給与天引きのもののこと)、シキンゼントって何?(=資金前渡。学校の代表口座。私たちはゼントと呼んでいたが正確にはマエワタシ?)。
意味がわかっても今度は書類の場所がわからない。
Oさんも前任者がやっていたから書類の場所がわからないという。
前任者のTさん(市内でも一番僻地の小学校に転任した)はOさんがいるからと思ったのか引き継ぎ書を作っていない。仕方がないのでTさんの学校に電話するが、ずっと会議中でつながらない。先にシステム入力をしようと思ったら、聞いていたはずのユーザー名とパスワードでログインできない。
21時過ぎまで連日残業が続き、土曜になった途端熱が出た。

1校目の学校は市内でもやや「浮いた」学校だった。
いわゆる同和推進校。不透明な人事も多かった。
私がこの学校に配属されたのも後に聞くと「他の人が誰も行きたがらないので新人を充てよう」ということだったようだ。
中学校ということもあり職員の平均年齢が高く、25歳の私は3番目に若いこともあり、年配の職員からはきついことをけっこう言われた。全体的に職員の仲はそんなに良くなく、会議中に喧嘩したり、責められて泣き出す人もいた。

職員の王座に君臨していたのは「般若」と呼ばれる50代の人権担当の女性教諭だった。正確には「首席」という職名だ。まとまりかけていた会議の案件が彼女の一声でやり直しになることもあった。校長も彼女には逆らえない。

この中学校は組合加入率が高く(いわゆる日教組。市内での組織率は4割ほどだったが、この学校は8割以上あった)、当然のように私も勧誘された。
元々、私は人とつるむのが好きではないので当初はやんわりと断っていた。安い給料から組合費が引かれるのもきつかったし、特定の思想もないので休日にデモなんか行きたくなかった。そして何よりも一番嫌なのが人事の不透明さだった。

「組合に入らないと出世できないよ」

私が勧誘の際に言われた言葉だ。
校長や教頭は組合出身だったし、事務の中で一番職位が高いIさんは仕事が全くできないことで有名だったが、組合の事務職員部の部長だった。

私は思った。

「出世のための組合なんて入らない。私は自力で出世してみせる」と。

般若(当然組合出身)からは「組合に入らないのだったら年休(有給休暇)を使うな。非組(組合に入っていない非組合員)には権利がない」と怒鳴られたっけ。私は態度を硬化させる一方なのに。

この時素直に組合に入っていれば人生は詰んでいなかったのだろうか。
それでもいまだに私は間違っていたとは思っていない。

※補足しておくと、勤務した3校の中で一番ひどい学校ではあったが神戸の教師カレーいじめのようなことはなかった。あれは異常である。




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