公務員を辞めたら人生詰んだ 結③

ちょうど就職氷河期のニュースが世間を賑わせていた。
宝塚市の公務員試験の異常な倍率の高さ。
面接でも「氷河期ですね」と言われることが増えた。
前述のとおり氷河期だから大学卒業後、非正規の仕事をしていたというわけでもないのだが、あえて否定もしない。

ある日、何気なくパソコンの画面に「氷河期採用」と打ち込んでみた。
続々とヒットする公務員の募集。給料は安くて前職の給与に全く満たないのに倍率だけが異常に高い。

すると、とある募集が引っかかった。
隣県にある外郭系社会福祉法人の募集である。
「35歳~44歳を対象とした試験」とある。
「最大8年間の職歴加算」もあり、給料は高くないものの住居手当もある。事務と支援員の募集だが、勤務条件に「夜勤ができること」とあり、どうやらどちかかというと支援員メインの募集だ。
「介護とかやったことないし、障碍児介助員は前職で見てるけど大変そうだし、事務職ならまぁいいかなぁ」ととりあえず応募。
筆記試験(記憶→小論文→記憶を思い出して回答という鬼のような試験)、面接(1対面接官7?)を経て結果が決まる。

12月の末、あっさりと翌年4月からの事務職採用で内定が出てしまった。正直、そんなに嬉しくなかった。
もう1つ、外郭系公益財団法人の選考が進んでいて、そちらのほうが給料も高かったし仕事内容も希望していたものだったので、初めてキープということをした。
回答期限は1月末。
だが、公益財団法人はとにかく試験回数が多く、最終試験は2月に入ってからだった。そして私は最終試験まで進んでいた。
1月の末、ギリギリで内定承諾書を出した。
最悪、内定承諾書に強制力がないことは知っていたので公益財団法人に受かれば詫びて蹴るつもりだった。
お茶をかけられたり土下座しろと言われたら嫌だなとは思ったが。

2月、公益財団法人の最終試験。
1対3の最終面接。
「もしこの法人に受からなければ4月からはどうしますか?」
1月からは3ヶ月の短期派遣で私立大学に勤めていた。
「実は、内定をもらっています。ですが、こちらが第一希望です」

この回答のせいか、最終面接は落ちた。
後々考えると社会福祉法人は県の外郭団体、公益財団法人は政令指定都市の外郭団体で、県と政令指定都市は仲が良くないのだった。

これを書いている現在、内定をもらった社会福祉法人で働き始めて2年弱経った。
社会福祉法人とはいっても私は医療施設への配属となったので、介護や介助は全くなく医療法人に勤めているような感じである。
通勤は片道1時間30分。
「引っ越し代が出る」と聞いていたが、蓋を開けてみると思った以上に引っ越し代が安く、家から通うことにした。
最初はしんどかったが、慣れとは怖いもので普通に通っている。
人間関係は、しんどい上司はいるが同僚は割とみな良い人たちだ。
外郭団体のため、診療収入が落ちても給料に影響はない。
特殊な医療施設なのでコロナ患者の受け入れはしていないが、医療従事者ということで一時金ももらったし、ワクチンも優先的に接種できた。
年間休日も120日以上あり、年休もそれなりに取れている。

だが、私は今また転職活動をしている。

1番の理由は給与だ。年収が約150万下がった。
基本給が安く、ボーナスは比較的良いのが特徴なのだが、毎月赤字で、ボーナスで補填をしている状況である。
それから事務から支援への異動があるのもしんどい。
県内転勤があるのもしんどい。
行きたくない部署が多すぎる。本部財務課、病院経理課、病院医事課・・・。私は人事や広報がしたいのだ。

いつの間にか私は40歳になった。
37歳で退職した時と同じく独身だ。
幸か不幸か自分のことだけ考えていれば良い。
(親の介護などはあるが・・・)
やっぱり死ぬまでに1度は東京で働きたいとも思う。
年収800万ぐらいは欲しいとも思う。
元教頭J子を見返してやりたいとも思う。

定年まであと20年(25年かも)。
某社が45歳定年説を唱えたけれども、私はまだまだチャレンジしたい。
チャレンジを諦めたとき、そこには後悔しか残らない。
大学受験の時、東京への進学を諦めたことをいまだに引きずっている。
失敗してもいいからチャレンジすれば良かった。
もう2度とあんな思いはしたくないのだ。

公務員を辞めたら人生詰んだけど。

詰んでも、まだ終わりじゃない。

チャレンジする気持ちがあれば。

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