公務員辞めたら人生詰んだ 承③ 中学校編3

入職から2週間。予算委員会で私は美術教師に怒鳴られていた。
「何や、この予算案、作り直してこい!」
連日残業して作った予算案だ。どうやら美術の予算が少ないのが気に入らなかったらしい(彼はわがままで有名だった)。
悔しさをこらえて
「じゃあ、作り直すので来週もう1度会議を・・・」
「はぁ?そんな暇ないわ。今すぐ何とかしろ」
「ちょっとH先生、言い過ぎちゃいますか」
見かねた教頭が助け舟に入る。

会議が終わったあとトイレで泣いた。悲しくて悔しかった。
「3年で辞めよう」
「石の上にも3年」と言うし、1年以内の離職は再就職に響きそう。私の中で3年間は続けないといけないという気持ちがあったのだ。

給料の少なさにもびっくりした。約19万(手取りはなく総支給額)。
前歴加算があるかと思ったがアルバイトだったせいか、それもないらしい。
何かの間違いかと思い教育委員会に確認の電話をしたほどだ。
当時も公務員叩きが激しく、「闇の手当をもらっている」と若林亜紀らが執拗に攻め立てていた。私がもらっていたのは地域手当と通勤手当、時間外手当だけだ。地域手当は基本給の10%、それを入れて約19万だ。だって基本給は約17万なのだから。本当に給与明細を見せてやりたかった。

ただ4月から年休(有給休暇)が20日もらえたこと、17日(給与支給日)には1か月分先払いで給料がもらえたこと、ボーナスが6月には約10万(3割)、12月には約40万(満額)もらえたことは良かった。


3年目に入り、仕事には慣れてきたが人間関係の悪さは改善されない。
やはり退職しようと思っていたとき校区の小学校の事務O田さんから「Mさん(私)、小学校に異動しない?」ち持ちかけられた。
「小学校は全然雰囲気も違うし、私も7年いるからそろそろ異動願を出そうと思ってるからMさんも異動願出しなよ」
もちろん異動願を出したからといって希望が叶えられるとは限らない。組合に入っていると希望が通りやすいらしいが、私は非組、O田さんは日教組とは別の組合に入っている。それに初任の異動は4年が基本だ。とは言っても事務の場合はほぼ一人配置ということもあり、それから外れることも多いのだが。
校長に「早いうちに小学校でも経験を積みたい」と異動願を出した。校長も私が学校でうまくいっていないことには気づいていたと思う。異動がなければ本当に退職だな、と思った。

3月下旬、異動の発表があった。私はO田さんの勤めている小学校に異動が決まり、O田さんは私が勤めているのとは別の中学校に異動が決まった。

この異動は結果的には正解だった。
もし中学校だけで退職していたら、おそらく私の中で学校事務職員は嫌な記憶しか残らず黒歴史となっていただろう。
ただ、今になって思うのだ。ここで退職しておけば人生は詰まなかったかもしれないと。私は28歳になっていた。

つづく。

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