公務員辞めたら人生詰んだ 承④ 北の小学校編①

私が赴任した小学校、市内の北にあるので「北の小学校」という名前にしておく。
市内でも2、3番目に児童数の少ない学校で(とはいっても約300人)山を切り開いて作った学校だ。学校にもよく虫(トンボ、スズメバチなど)やムカデが入ってきたが、驚くべきはその大きさ。自然たっぷりなせいか都会で見るより数倍大きい。虫は好きなほうではないが、清々しいまでに大きいので嫌いなことを忘れてまじまじと観察してしまうほどだった。ハクビシンが出たこともあったし、私は見たことがないけれどマムシも出たらしい。

小さい学校で何が良かったかというと、職員の仲が良かったことだ。
一言でいうと「アットホーム」。
4月には職員みんなで近くの神社の境内でお花見ランチをしたり、職員が少ない分仕事はいろいろやらされることがあったけど(余興とか・・・)、そういうのが好きではないタイプの私でも楽しかった。
女性が8割を占め、校長も教頭も女性ということもあった。男性が2割ほどという環境も女性が得意な私には良かった。男性もおっとりしたい人が多く、仲が良かった。

よくわからない仕事は色々あったが、事務作業自体は少なくなったし慣れてきたこともあり、正直暇な時間も割とあった。
そんな時に「市教研の部長をやらない?」という話が来た。

市教研=〇〇市教育研究会の略で地域によっては学研とかいうところもあるらしい。
月に1回、教科や職別に市内の全員が集まって研究をするのだ。
部長は研究テーマを決めたり、当日の準備や運営をしたり、会議録を作って教育センターに報告するのが仕事だ。

基本的に企画が好きな私は「自分の好きなテーマを考えられていいかも」と思い、OKすることにした。

ただ、この市教研には課題があった。
出張としてきちんと旅費も支払われるのに
参加率が6割程度なのだ(教科によっては2割とかいうところも・・・)。
だいたい出てこないのはベテラン勢で「出ても意味がないから学校で
仕事をしているほうがいい」というのが彼ら彼女らの言い分だった。
出張なのだから校長が命令すればいいのに、と思うがなぜか校長も命令しない。「自主組織だから」らしい。未だによくわからない構造だ。
私は部長になるからには全員出席をさせたいと思った。
毎回、会議録とともに手紙を書いて送ったり、参加しやすいテーマ設定にしたり・・・。
今考えるとなんであんなに燃えていたのかさっぱりわからないが。
部長時代には10年以上放置されていた事務マニュアルを教育委員会と協同で作成し、府の事務研究大会で発表もした。
そこで、今度は府の研究会のメンバーに誘われた。
府で20名ほどが集まる運営メンバーの一人にならないかと
府の研究会の会長から声をかけられたのだ。
会長は女帝カズコ(仮名)と呼ばれる人だったが、なぜか私はかわいがってもらった。

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