公務員辞めたら人生詰んだ 起③

働くことになったのは隣の駅にある個別指導塾の教室だった。
担当は小学生から高卒生までの文系科目。
希望は国語だったが、国語を受講している生徒が少なく英語や社会もやることになったのだ。

講師は30名ほどいたが、7割ほどが近くの旧帝大の学生だった。学生じゃないのは私ともう1人、30代の主婦だけだった。
仕事自体は割と楽しかった。そんなに子どもが好きなほうではないと思っていたが、生徒が担当制ということもありやはり愛着が湧く。テストの点が上がったら一緒に喜び、受験の時はまるで親のようにずっとドキドキしていた。「先生、来年も担当してね」と言われ、結局3年勤めることになった。

25歳になっていた。さすがにそろそろ正社員にならなくてはいけない。
人気講師なのでコマはたくさん入れてもらっていたが、月収は週5日働いても10万前後だった。
個別指導講師の仕事にも不満が出てきた。まず、とにかく休めない。1年目に祖父が他界したため休みを取ったのだが、その時でさえあまりいい顔はされなかった。3年目にどうしても就職説明会に行きたくて休みを申請したら「今回限りにしてください」と言われた。
営利主義丸出しなのも嫌だった。私が勤める3年間の間に教室長は4人変わった。全員、異動ではなく退職だ。それぐらい入れ替わりの激しい業界なのである。
最後の室長は営業大好きな人で、仲は良かったが、ちょっとついていけないなと思うことが多々あった。
講習の際に、あまり受講しないという生徒に「取らへんと絶対落ちるで」と説いているのを見て、本当に嫌だった。
傍から見ても、その子にそんなに講座は必要ないのに。
(ちなみに室長は営業成績が良かったらしく本部に栄転していった)

実は優秀な講師だった(過去形)私は半年ほどで正社員への誘いを受けていたが、上記のようなこともあり断っていた。
ただ、教育の仕事に面白さを感じていたのも事実だった。
教師は嫌だが事務はしてみたい。
「やっぱり大学職員にもう1度挑戦しよう」。
体調もだいぶ良くなっていたため関東圏の大学も受けた。
でも、やっぱり受からない。
そんな時に、よく見ていた掲示板に「こんな仕事もあるよ」と紹介されていたのが「公立学校事務職員」だった。
今まで全く考えたこともなかった。公務員なので、全く勉強していない私には無縁なものだと思っていたのだ。
とりあえず、と見てみると教養試験だけでいけるらしい。
もしかしたら行けるかも、と何気なく応募した。

2007年1月。採用通知が届いた。倍率は約14倍。
こうして私は2007年4月、地方公務員(学校事務職員)になった。

つづく。

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