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おっちゃんと中学生が麻婆ナスを食べていたら家族になった話

11年前の夏。私と息子が暮らしていた築30年の木造アパート2階の部屋は、その日の夕方も昼間の熱を逃さずしっかり溜め込んで、床まで熱くなっていた。

「家の中の方が暑いやん!」

大きめの独り言が出た。仕事から帰ってきた私は、ドサっと雑に買い物袋をテーブルに置いた。

「アイス買うてきた?」

私の機嫌などお構いなしに、袋のなかを探り、アイスクリームを探す息子。8年前、離婚したばかりの頃毎晩泣いていた息子は、小学6年生になっていた。

夏休みもあと2週間。宿題は終わっていないけど気にしていなくて、朝から公園で遊んで、午後から校庭でサッカーして毎日元気に過ごすくらい、心も身体も逞しくなった。

やっぱり言うとかなあかんよな。はよ言う方がええやろな。

私は数日心に溜めていたことを、息子に言うことにした。

「あんな、再婚するねん」

アイスを探す息子の手が止まり、「え?」と驚いて私の方を向いた。

「えー! おれは、どうなんの?」

息子の頭からアイスの存在が消えた。心配で不満そうな顔をしている。

「来年には籍入れよう言うてるから。そしたら私は3月に今の仕事辞めて、横浜で相手のひとと暮らすねん。

あんたは、3月に小学校卒業したら一緒に横浜引っ越して三人で暮らすことにして、横浜の中学校通うのがひとつ」

「え、他におれの選択肢あんの?」

「どうしても大阪にいたいんやったら、あんたのお父さん(前の夫)と暮らすか、おじいちゃん(私の父)と暮らすか、やなあ」

「えーー、うーん、横浜行く」

数十秒真剣に考えた息子は、春から横浜で暮らすことを選んだ。生まれ育った大阪や、彼の父を選ぶなら仕方ない。息子のどんな選択も尊重すると思っていたけれど、彼の即答は嬉しかった。

「友だちと離れるん、寂しい?」

二学期が始まり、私と夫が結婚へ向かって走るなか、ふと立ち止まって隣にいる息子に聞いてみた。

「友達と離れて、横浜の知らんやつばっかりの中学行くのはさみしいけど」

「でもおれ、大阪で12年生きたから、もう飽きた。次は横浜や!」

そうか。飽きたのか、大阪。
生まれ育った土地に「飽きる」って初めて聞いたわ。

大阪に飽きたのがほんまかウソかはわからんけれど、私は息子の言葉をありがたく信じることにした。


年が明け2月、立春の日。息子と私は大阪から飛行機で羽田空港へ向かった。空港まで迎えに来てくれた夫と、バスと地下鉄を乗り継ぎ、横浜の新居へ。息子に留守番を頼み、私と夫は区役所へ行った。

「おめでとうございます」

婚姻届けを提出し、私の職場へ提出する証明書を交付してもらったとき、窓口のひとに笑顔で言われた。

夫は恥ずかしそうに「ありがとうございます」と軽く会釈していた。隣で私も微笑んでいた。

だが心の中では、「役所でおめでとうございますって言うてもろたん、何年ぶりやろ?」と思っていた。

離婚してから各種様々な手続きで役所へ行くと、言うてもらう言葉は「お母さん、頑張ってはるね」だった。

区役所を出たら、暗い空から雪が降り始めていた。駅前のスーパーで肉や野菜を買い、急いで帰った。新居で初めて3人で食べた晩ご飯は、焼き肉だった。


3月になり、小学校の卒業式翌日、私と息子は住み慣れた大阪を離れ、横浜での新しい暮らしが始まった。

横浜といえば海の街。大阪にいた頃はそんなイメージを抱いていたけれど、私たちの新居から海は見えない。だがベランダに出ると、遠くにみなとみらいのランドマークタワーと、富士山が見えた。

大阪で生まれ育った私にとって、富士山はテレビのニュースで見るくらい。実物を見るのは、東京行き新幹線に乗った時。運が良ければ見えるが、それも人生で数えるほど。

そんな珍しい富士山が、家のベランダから見えるのが嬉しかった。

オレンジ色の空に佇む富士山を見た時、初めて見るその姿に見惚れてしまった。引っ越してしばらくは、夕方になるとベランダでずっと富士山を眺めていた。

日常の家事、引っ越しの荷物。片付かない、終わらないことはいろいろあるが、まずは区役所へ行かねば。引っ越し前日、大阪のT市で転出手続きをした時にもらった書類を見ながら、ふと考えた。

「息子と夫の関係ってどうなるんやろ」

息子と夫は養子縁組をしなかったので、ふたりは親子の関係ではない。

「親子ではないけれど、一緒に暮らすし、夫がうちら親子を養ってくれる。そしたら、どういう関係になるんやろ?」考えても答えが出なかったが、その後も、折にふれ思い出していた。

2月に婚姻届けを出した区役所で、今度は息子と私の転入届を出した。手続きを済ませて、新しい住民票を受け取ったら、そこに答えがあった。

息子からみた夫は『母の夫』とあった。夫からみた私の息子は『妻の子』と書かれていた。

『父』でも『子』でもない。初めてみる続柄だ。こんなんあるんかと驚いたが、無駄がなく的確な表現。「うまいこと言わはるなあ」と感心して、住民票を見ながら口に出してしまいそうになった。


4月。入学式を終えて、息子の中学生活が始まった。家の中も外も、学校も、慣れないことだらけ。

ストレスからか、息子は家に帰ると私に喋りまくっていた。そんな頃、二人で晩ごはんを食べていると、息子が夫の椅子をチラリと見て、話し出した。

「仲ようなってほしいって気持ちはわかるねんけどな。そもそも3回会うただけの、よう知らんおっちゃんといきなり暮らし始めて、すぐに仲ようなるのも無理な話やで」

夫は出張が続いていて、入学式の日も地方で仕事。家族三人そろう日はあまりなかった。三人で食卓を囲むのは貴重な時間だった。

夫と息子に、少しでもコミュニケーションを取ってもらおう。

そう思った私は、がんばった。食べながら、私と夫が話す。息子にも話をふる。ふり続けても、息子の口からは、

「うん」(YESの意)
「うううん」(NOの意)
「わからん」

のほぼ3つしか出なかった。

それでも、ふたりにコミュニケーションを取ってもらおうと頑張る私に、息子が「無理な話やで」とストップをかけてきたのだ。

「おれ、人見知りってわかってるやろ。中学校のクラスでもまだ友達できてへんねんから」

続けて言われた。そうか。そうだわな。家族やと言われても、息子にとっては「3回会うただけのおっちゃん」なのだ、私の夫は。

私は、大好きな息子と夫に、仲良くしてほしいと思っていた。『家族』になってほしいと頑張っていた。

「夫と息子は、父でも子でもないけど、うちらは家族になれる!」って、勝手にむりやり、家族というカタチを作ろうとしていた。

だが、息子に言われて気がついた。

夫と息子が仲良くなることは、二人のためではなかった。自分のためだった。

『子連れ再婚してしあわせで、さらに夫と息子も仲いいめっちゃしあわせな家族』という、私のエゴにまみれた『しあわせな家族のカタチ』にこだわっていたのだ。

私はそれに気がついた。そして、あきらめた。二人を無理やりくっつけて、『家族』にするのをあきらめた。

仲良いかどうかは置いといて、息子と夫はいがみ合うわけではない。

お互い嫌いなわけでもなさそうや。
ふたりにとって居心地いい距離感は、ふたりがつくる。

それに、私のエゴにまみれた『しあわせな家族』をつくったところで、誰もしあわせにならん。

自分のエゴに気がついた私は、夫と今まで以上に仲良くなることを決めた。ケンカになっても思ったことはとにかく全部言い、どんどん距離を詰めていった。

息子と私はこれまでと変わらず、お互いやりたいことやって、時々近づきすぎてぶつかって、また距離空けてを繰り返していた。

夫と息子は一定の距離を保ち続けながら、暮らしは続いていった。

縮まらない夫と息子の距離に変化が出始めたのは、夫が休日に晩ごはんをつくるようになった頃だった。


夫は料理が好きで、長い独身時代に腕を上げ、ホームパーティをすると毎回大勢の友人たちが集まっていた。凝った料理を10品近く仕込んで、ふるまっていた。

なかでも、毎回振る舞っていたチキンカレーと麻婆豆腐は評判が良かったと、自慢げに話してくれた。


ずっと忙しかった仕事がひと段落した週末、夫が夕食にチキンカレーをつくると言った。鶏もも肉を前日からヨーグルトに漬け込み、丁寧に玉ねぎを炒めて、スパイスでつくる夫のチキンカレー。

リビングにスパイスのいい香りがしてきた。「できたで」と夫に言われて、用意してもらったチキンカレーを食べた。

美味しい。

美味しいのだが。

辛い。

ホームパーティで友人たちにふるまうときは、この辛さが人気やった、と言われたが。辛い。息子も一口食べて、

「辛い」

とつぶやいた。

「そうかー。辛いんかー」

自信作だったチキンカレー。夫はちょっとさみしそうに生クリームやヨーグルトを加え、辛さを調整してくれた。

次にチキンカレーをつくってくれたときは、最初から辛さを抑えてくれていた。今度は息子も私も、美味しく食べた。

夫は「ぼくはもうちょっと辛いほうがええんやけどなあ」と言いながらも、私たちに合わせてくれた。


「ぼく、週末また晩ごはんつくろかな」

数週間後の平日夜、晩ごはんの片付けをしながら夫が言った。「やった!ありがとう!」私は先にお礼を言った。

自分がつくらなくてもいい上に、美味しい晩ごはんが食べられる。私は週末を楽しみにした。

土曜日の夕方、チキンカレーと同じくらい得意な麻婆豆腐をつくってくれた。

大好きな花椒をかなり多めに入れた、夫の麻婆豆腐。チキンカレーのことがあったので、夫は最初から辛さを抑えてくれたが、それでも十分辛かった。

「いただきます」と言って食べ始めた息子をちらりと見た。

あれ? 食べてる。

辛いと言わずに食べてる!

チキンカレーの辛さは苦手だったが、花椒のきいた麻婆豆腐は気に入ったようだ。黙々と食べ、お代わりをよそっていた。

「ごちそうさまでした。美味しかった」

息子がうつむきながら、ぼそっとつぶやいた。

「ぼく、美味しかった言うてもろたん、うれしかったな」

洗い物をしながら、夫は嬉しそうに私に言った。

それからも、夫は夕食をつくってくれた。最初の頃は「ぼく、週末あれつくる」と自分の好奇心と挑戦欲で献立を選んでいたが、すぐに変わった。

「ぼく、週末晩ごはんつくるけど何がいい?」

と息子や私にきいてくれるようになった。

麻婆豆腐、チキンカレー、天ぷら。

最初は、選ぶ料理も味付けも夫の好みだった。それが、少しずつ息子と私に合わせてくれるようになり、改良されていった。

私たちが夫の料理に慣れてきた頃、再び夫の好奇心と挑戦欲がちょっと顔を見せてきた。


「麻婆豆腐って言うてたのに、しげさん(夫)ナス切って揚げてるやん」

夫が晩ごはんをつくっていた週末の夕方、息子が「ちょっと」と自分の部屋から手招きをして私を呼んだ。部屋に入ると、不満そうな顔で、つぶやいた。

「おれ、ナス嫌いやのにな」

好き嫌いは少ない息子だが、幼いころからナスはどう料理しても食べなかった。

ぼくの麻婆豆腐は、揚げたナス入れて麻婆ナスにして食べても美味しいねんで。

以前夫がそんなことを言っていた。天ぷらが得意な彼が揚げたナス入り麻婆豆腐。「それ食べてみたい!」と私がリクエストしたのだ。

「できたで」という夫の声で、私と息子はテーブルについた。

夫が実の父なら「おれ、ナス嫌いやから」で箸を伸ばさなかっただろうが、息子にとっては『父』でなく、『母の夫』。その距離感から生じる気遣いから、息子は揚げたナスを麻婆豆腐に入れ、おそるおそる一口食べた。

「え…麻婆ナス…うまい」

「そやろ」

夫が嬉しそうにちょっとドヤ顔になった。

ナス嫌いだった息子は、夫の麻婆ナスを食べてから、ナスが好きになった。

私も料理にナスを使うようになり、どれも息子は「うまい」と食べるようになった。

「おれ、ナスはあの食感が嫌い」と言っていたのに、今は「ナスのとろっとした感じが好き」と言う。

おれ、しげさん(夫)のごはんで麻婆ナスが好き。

大学生になった息子は、今も変わらず夫の麻婆ナスが好きだ。映画を観に行った夜やバイトで帰りが遅い夜も、夫の作る麻婆ナスの日は、真っ直ぐ家に帰ってくる。


なんや、うちら家族になってたやん。

自信作だったチキンカレーを「辛い」と言われて、息子と私に合うようにちょっとずつレシピを変えてくれた夫。

「ナス嫌いやけど、食べてみよかな」とナスに箸を伸ばし麻婆豆腐に入れた息子。

うつむきながら「美味しい」とつぶやく息子。その言葉を聞いて喜ぶ夫。

夫が料理し、息子が食べる。それを重ねていくことで、ふたりは少しずつ近づき、つながっていったのだ。

一緒に暮らすなかで、お互い不満を持つこともある。

「なんでこうなんやろ」

私と夫が互いにそんな不満や苛立ちを抱いたように、息子と夫も、互いにそんな思いを抱いただろう。

いや、今だってささいなことで抱いているだろう。私が抱くように。

それでも。

夫の麻婆ナスが、私たちをゆるやかにつないで、家族という輪を紡いでくれたように思う。相変わらず、息子と夫の会話は少なめだけれど。


今年の母の日。息子は家族三人分のケーキを買ってくれた。

「え? ぼくの分もあるの? 母の日やのに? ぼくってお母さんみたいな存在なんかな」

夫の言葉に、「なんでやねん」とは返さなかった。

夫と息子。正式な親子でないまま、11年ともに暮らし、息子は大人になった。

来春、息子が大学を卒業して家を出たら、家族のかたちはまた変わる。次は、彼がいつでも帰ってこれるような実家を、夫と私でつくっていこう。

そして。息子が帰ってくる週末には、夫に麻婆ナスをつくってもらおう。

美味しいはしあわせ「うまうまごはん研究家」わたなべますみです。毎日食べても食べ飽きないおばんざい、おかんのごはん、季節の野菜をつかったごはん、そしてスパイスを使ったカレーやインド料理を日々作りつつ、さらなるうまうまを目指しております。