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私の記憶と私が出会ったあの人たちの家族の話 映画『スープとイデオロギー』

映画アプリでこの映画を見つけた時から、気になっていた。
あらすじを読んで、自分の記憶との接点を見つけて、そこを入り口に観に行ってみようかと思ったが、なかなか行けずにいた。
時間のせいではない。
観る前から、その内容の重たさがずんと胸にのしかかったのだ。

あーさん、これ好きなんちゃうん?
行かへんの?

最近映画好きになった息子もチェックしていたようで、勧められた。
行くならこの日しかないっていう日、チケットを予約して、渋谷ユーロスペースへ行ってきた。

この映画を知ってから、そして映画が始まるまで。
私はずっとあの人たちを思い出していた。
小学5、6年の時仲良しだったY子ちゃん。
昔働いていた職場で出会った、Pさん、Kさん。
もう一人がどうしても名前を思い出せない、Pさんと私の職場の先輩。
地元大阪生野の街を案内してくれた時、ポツリとつぶやいた一言と声、その表情だけは、何故か鮮明に思い出せたのに。

この辺はな、チェジュド(済州島)の出身者多いんや。

家族のこと、親の老い、遠距離介護。
少しずつ薄れていく親の記憶。
この数年で経験してきたことを思い出す。

そして、それまでと全く違う表情と声でオモニが語り始めた、
『済州4・3事件』。

私はこの映画で、初めて知った。
その悲劇が、映画の主人公であるヨンヒ監督の母『オモニ』の人生や、思想、生き方、その家族たちにどれほど深い影響を与えていたのか。映画にのめり込みながらその重たさを感じた。
そして、あの人たちのことを考えていた。考えていたら、ずっと忘れていた記憶が蘇った。

小学校の同級生Yちゃんは、ある日、自分の『本当の名前』をクラス全員の前で話してくれた。その日の放課後、彼女の家にいつもの仲良しグループで遊びに行くと、彼女のお母さんが床下からこっそり、キムチの入った壺を出してくれた。
初めて食べたキムチは美味しくて、お母さんは嬉しそうだった。

Pさんには、私が辞めるまでの1年ほど、慣れない職場でお世話になりっぱなしやった。カラオケに回転寿司、居酒屋と、仕事終わりにみんなでよく飲みに行っていた。

Kさんは大阪の大きな在日コリアン系団体で働いておられた。たまにお会いすると、いつもにこやかで明るくて、かつ男前だったので、私と女性の先輩は密かに彼のファンだった。「本場の韓国の鍋をごちそうする!」と言って、私と夫、職場の同僚たちに、初めて食べるけど名前は忘れたお鍋をごちそうしてくれた。

Qさんは私が心身崩して自宅療養していた時、お見舞いにとエゴマの葉とニンニク、醤油を漬けたものを作って持ってきてくれた。仕事を辞めた後も、元職場の人たち、私と元夫と交流は続き、息子が1歳になった時、家族で2泊3日済州島に行ってくるというと「韓国はな、小さい子に優しいしてくれるで。チェジュドは特に親切な人多いで」と、楽しそうに話してくれた。

済州島で出会った人たちのことも思い出した。
海辺の食堂で隣に座っていた、同世代のご夫婦。
息子とそのご夫婦のお子さんが、なんとなく一緒にいるのを温かく見守っておられた。
食堂では、お店のおばさんたちが息子をあやしてくれた。
「いいから、今のうちに食べなさい」ということを言ってくれた。
道に迷った私たち家族に「どこに行きたいですか?」と日本語で話しかけてくれた年配の男性。お店の地図を見せると、こっちこっちと、店の前まで案内してくれた。

これは、あの人たちの家族の話でもあるんや。
これは、あの人たちの歴史の話なんや。

スクリーンに映る、オモニの『済州4・3事件』、ヨンヒ監督と夫でエグゼクティブ・プロデューサー荒井氏が済州島に渡り参列された『済州四・三事件70周年』、海を眺めるヨンヒ監督とオモニ。
同時に私の頭の中に浮かぶ、あのひとたちの顔と、私の記憶のシーン。
その二つが私の中に広がり、混ざり合い、涙が止まらなかった。

あの時、もっといろんな話をしたらよかった。
とりわけ、同じ教室で過ごし、一緒に仕事をしていたあの人たちとは、
もっともっと、いろんな話をしたらよかった。
それぞれの思いや、家族の話。聴ける自分やったらよかった。
いや、「ちょっと聞いてほしい」って思ってもらえる自分やったら、よかった。

悲しいのか、情けないのか、申しわけないのか。
よくわからないまんま、ずっと泣いていた。

映画の中のオモニが、あの人たちひとりひとりのオモニに思えて仕方なかった。

映画チラシその1。
オモニのやわらかいお顔。

タイトルにもある「スープ」。こちらも映画の中で重要な役割だった。
ヨンヒ監督のご実家に、結婚の挨拶に来られた荒井氏。
オモニが作る丸鶏とたっぷりのニンニク、棗と朝鮮人参が入ったスープを美味しそうに食べてはった。済州島で食べた自分史上いちばん美味しかった参鶏湯を思い出した。
荒井氏が、オモニと商店街を歩き買い物して、一緒にスープを作られるシーンがあった。
お二人が楽しそうで、空気感がとってもあたたかくて。観ていて幸せな気持ちに包まれた。
荒井氏のおっきな愛はヨンヒ監督とオモニを包み込んでいるみたいだった。
そのおっきな愛にもこっそり入り込んでいた。
私は号泣した。
嗚咽漏れるんちゃうかって思うくらい泣いた。

あまりに美味しそうで、手羽元ともも肉使い、朝鮮人参抜きで作ってみた。

記憶のなかのあの人たちを思い出しながら観ていた映画だが、一つだけ、私の父を思い出したシーンがあった。
監督のアボジ(お父様)の写真の前に添えられた、ダルマ(サントリーオールド)とキリンビール。

あ、うちのお父さんと一緒や。

ちょっと微笑んだ。
父の葬儀の日、スーパーでダルマとキリンビールを買い、紙コップに入れて棺に入れたことを思い出した。
やっぱり私は、泣いた。

チラシその2


目の腫れが引かないまんま帰宅すると、この映画を教えてくれた息子が「どうやった?」と聞いてきた。
絶対観た方がええ。でも、ちょっとでも歴史も知っといた方がええ。
買ってきたパンフレットを渡しながら、息子に言った。
翌日、息子は観に行った。
帰ってくるなり、今度は私が「どうやった?」前のめりに感想聞き出そうとした。

言葉にできん。

そう言うたあと、ぽつりとこう言った。

無知は罪であり暴力。

私は思い出せなかったあの人の名前を思い出した。
この映画も、あの人たちの名前も思い出も、忘れることはない。

美味しいはしあわせ「うまうまごはん研究家」わたなべますみです。毎日食べても食べ飽きないおばんざい、おかんのごはん、季節の野菜をつかったごはん、そしてスパイスを使ったカレーやインド料理を日々作りつつ、さらなるうまうまを目指しております。