祈り 藤原新也①インドと死

画像1 1/27金曜日。期間終了前ギリギリにようやく観に行った。祈り・藤原新也。横浜の自宅から微妙に遠くて不便な世田谷美術館。電車とバスの乗り継ぎよく、スムーズに到着した。撮影可能な展示の一部を撮影した。
画像2 入場してすぐ始まるのはインド。人の弔い。
画像3 私が父に母に、祖父母に線香を手向けるとき、こんな美しい手をしているだろうか。
画像4 写真は撮らなかった。この言葉から、写真が蘇る。煙が見えてくる。
画像5 この写真も心に残ったが撮影せず。『死が人を捉えるのではなく、人が死を捉えた。』私もその時は、その時は、自分で捉えたい。
画像6 川を渡った人を見送る人たち。美しかった。
画像7 川に投げ入れるは骨。それって声が聞こえてくる。
画像8 写真に添えられた言葉。
画像9 離れて見る。近づけるギリギリまで近づいて見る。強い強いエネルギーだった。写真にするとエネルギーが希釈される。だから、足を運び、観に行ってよかったと改めて思う。
画像10 大きなハスの写真。境界線のようにも見える。
画像11 信じることは、その両方。
画像12 神様たちが笑いかけてくれていた。
画像13 写真は撮影せず。この写真を見たとき、私はどこで死にたいか、考えた。
画像14 ここも撮影せず。そうなんだ。死んで自由なら、今も自由だ。
画像15 今ここに存在し続けると、重さを感じず自由になれるのかもしれない。改めてこの言葉を読んでいて、出てきた私の言葉。
画像16 自分の制限や思い込み。スイカの食べ方に正しいも間違いもない。スイカの食べ方以外も。
画像17 この写真の前に立った時、熱気を感じて喧騒が聞こえてくるようだった。写真の世界に意識がいった。こんな体験は初めてだった。
画像18 インドの路上で。
画像19 たくさんの眼がこの書にエネルギーを注いでいたんだ。
画像20 書かれたのは大地。なんだろ。書いたのは藤原新也氏なのだが、書かせたのはその土地とひとのエネルギーとか神様のような感覚。これも、離れてみて、近くでじっと見た。
画像21 穏やかな絵のような写真。ちょっとホッとした。
画像22 喧騒と熱気にくらくらして、ちょっと座って休憩した。
画像23 祖母と父は、骨になった時、内容していた仏を私たちに見せてくれた。火葬場の職員さんが驚くくらい、きれいな仏様だった。

美味しいはしあわせ「うまうまごはん研究家」わたなべますみです。毎日食べても食べ飽きないおばんざい、おかんのごはん、季節の野菜をつかったごはん、そしてスパイスを使ったカレーやインド料理を日々作りつつ、さらなるうまうまを目指しております。