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嫌いなモノも知りたいよ。

なんだか、「SNS上では好きなモノだけ発信しよう!」みたいな勢力がいますね。
んー…それ自体はいいと思いますけど、私はその人が嫌いなモノも知りたいです。
もちろん、嫌いなモノを知ることでメリットがあるからです。

今回はそういったお話です。

【好きなモノだけ発信する/されるデメリット】

人が好きなモノについて語っている様子はキラキラしていて微笑ましいですね。
しかし、人間関係を築く上ではそこで終わると危ないなーと思うのです。
好きなモノもあれば嫌いなモノもある。
これに異を唱える方は、いない or かなり少数ではないかと思います。
と、いうことは、です。
好きなモノだけしか知らないというのは、「その人の片面しか知らない」という状態なのではないでしょうか?
正直な感想を言うならば、「ネガティブな情報に触れたくないだけ」というネガティブアレルギーなんじゃないかとさえ思います。
つまり、人付き合いが浅いように感じます。
だから意図せず地雷を踏んでしまうのです。
なぜなら、知らなかったから。

食べ物に例えます。
仮にあなたが誰かに料理を振る舞うとしましょう。
せっかくなら相手に喜んでもらいたくないですか?
その一歩目は、「相手の嫌がることをしない」だと思うんです。
仮に、作りたかったからという理由で天ぷらソバを作ったとしましょう。
相手の方は、ソバ好きなんですか?
ソバアレルギーとかは大丈夫ですか?
天ぷらのエビはアレルギー大丈夫ですか?

「いや、そんなの作る前に聞くでしょ」と思いましたよね?

それなんです!
だから、嫌いなモノを知るのって大事なんです!

【嫌いなモノを発信する/されるメリット】

「嫌いなモノを発信する/される」という行為ですが、私はむしろ大きなメリットを感じています。
この項では、私が感じているメリットを 3 つお話します。

① 変な人を選別できる
私は口笛が大嫌いです。
黒板に爪立ててキィィィィィイ!を聞いたときと同じような感覚と言えば、どれぐらい嫌いかわかりやすいかと思います。
本当に耐えられないので、黒板の話も持ち出しつつ、お願いベースでやめてもらえるようお話します。
ところが、過去に 2 人いました。
今まで口笛吹いてるとこなんか見たことないのに、「あ、ごめん笑」とわざと口笛を吹いて、こっちの反応をニヤニヤしながら見てくる人…いや、奴。
嫌いだと伝えてあるにも関わらず、わざとそれをしてくるのは、幼稚なのか賢さが控えめなのかはわかりませんが、確実に離れたほうがいい方でしょう。
ちなみに、その後別件で揉めて、今はなんの繋がりもありません。
嫌がることをわざとやってくる奴を選別できるのは、大きなメリットだと思います。

② 人付き合いの濃度が倍になる
「好き」しか知らないのと比べて、「好き」と「嫌い」を知ってるなら倍、みたいな単純計算です。
人付き合いの濃度として考えると、間違いではないどころか、場合によっては倍以上になることもあります。
「話す」というのは、その人のことを「掘り下げる」という意味合いがあると思います。
(自分の話しかしない人は別)
「好きなモノ」と「嫌いなモノ」、「それぞれなぜそう感じるのか?」を考えたときに、好きなモノを好きな理由って突き詰めると「なんか…好きだから…」というのがほとんどだと思うんです。
聞いた側としても「そっかぁ、好きなんだねー」以上に広げるのが難しい話題です。

一方、嫌いなモノを嫌いな理由は根深いことがあります。
「なんとなく嫌い」なこともあるとは思いますが、嫌いになった原因となる過去の経験談を聞けることがあります。
まあまあ深めの話です。
こちらは広げやすいんですよね。
深い話を聞ける容量が必要にはなりますが、相手がボールを持っている時間が長いので、いろんなモノが見えてきます。

このようにより深いところを探らせてもらえることがあるのは、勉強にもなりますし、より深い関係を構築する材料になり得ます。

③ より快適な人付き合いができる
仮に、「みんなでホラー映画を観よう!」となったときに、普通はホラーが苦手な人をわざわざ誘わないと思います。
同じように、「みんなでカニ食べよう!」となったときに、甲殻類アレルギーの人は絶対に誘わないでしょう。
当たり前ですね。
でも、少し考えてみてほしいのです。
この「当たり前」が実践できてるのって、「嫌いなモノを知ってるから」じゃないですか?
世の中には一定数、「嫌いなモノがないほうが人生楽しい!」という信条のもと、本当に興味がないモノを押し付けてくる方々がいます。
1 番わかりやすいセリフは、「◯◯◯が嫌いなんて人生の半分損してるよ〜」です。
私はニンニクが苦手なので、まあまあこのセリフを吐かれます。
そんなとき私は「あぁ、この人は半分ニンニクなんだな」と思います。
こわい。
食べ物や流行りモノでよくこのセリフは聞きますね。
鬱陶しいです。

通常の人であれば、わざわざ嫌いなモノやコトをしつこく進めたりしないので、それを好きな人どうしで楽しむのが 1 番楽しめると思います。
同じように、それを嫌いな人をわざわざ誘うことはないと思います。
この 2 点を守ることは、お互いに快適な付き合い方ができる可能性を高められるのではないでしょうか。

【何事も掘り下げたほうが楽しい】

まとめです。
私にとって、「嫌いなモノ発信してもらう」ということは、「その人を掘り下げる」「その人とのより良い関係性を築く」といった行動の材料です。
ですから、話すのを嫌がるようなことを無理やり聞き出すことはしません。
その代わり、自ら話してくれた場合は、不謹慎ながら心の中では知的好奇心が抑えられません。
話してみると、「これ苦手な人いるんだ?!」とか「そんな嫌い方あるんだ?!」という話が聞けて、意外と面白いですよ。

これは人付き合いに限ったことではありません。
何事も掘り下げたほうが楽しいです。
「掘り下げるという行為を楽しめる自分でありたい」という願望も入っているかも知れません。
同じ漫画を読むにしても、「はぁ、◯◯くんかっこいい〜」だけで終わる読み方と、表現や伏線を考察する読み方であれば、後者の方と話したいです。
掘り下げている分、話に深みがありそうです。
前者の読み方も個人の自由なので否定はしません。
ただ、「浅そうだし、話しても面白くなさそうだから別にいいや」と思います。

何より、嫌いなモノ ≒ 深い話をしてくれるということは、私に対していくばくかの信用があるようで、嬉しいですね。


だから私は、嫌いなモノも知りたいです。



以上
今回はこの辺で!

ありがとうございました!

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