"人間偏差値"とでも言うべきか
前回の記事にて、私なりの"バカ"の定義をお話させていただきました。
一時期ネット上では、「IQが20違うと会話が成立しない」という説が流布されていました。
私の肌感では、IQを知能指数という意味で使っているならば、半分正解/半分ハズレといった印象です。
前回の記事でお伝えしたように、頭の良し悪しは「知識/社会経験/対人関係」の3つで構成されると思っています。
これら3要素を合計した点数を"人間偏差値"と呼んだほうが、今回私が話したい内容が伝わりやすいと思うので、そう表現させていただきます。
"人間偏差値"があまりに開いていると、確かに会話は成立しないと思います。
正確には、一方が合わせてあげる必要が出てきます。この"人間偏差値"を上げるために、私たちは勉強や努力をするわけです。
そのこと自体が目標の方もいれば、収入を上げるための手段のひとつという方もいらっしゃるでしょう。
なんにせよ、私は努力を惜しまない方が大好きです。
人間偏差値。
厄介なことに、時間の経過と共に勝手に下落します。
理由は簡単で、みんな大人になるからです。
敢えて極端な例を出します。
あなたは30歳女性です。
小学校の同窓会に出席することになりました。
懐かしい顔ぶれ。
そんな中、クラスで1番足が速いという理由で人気があった男子がいます。
なんとなく会話をしていて、お互い独身であることがわかると、その彼が得意げにこう言いました。
「俺、会社で1番足速いんだよね!」
さて、あなたはどう思いますか?
本当に極端な例です。
私はそもそも足の速さなどは興味を持てませんでしたが、小学生の頃は足の速い男子は人気がありましたね。
30歳になっても足の速さを自分の武器として異性にアピールしているというシチュエーションです。
「会社で」と言っているので、オリンピック選手などのアスリートというわけではなさそうです。
逆に言えば、会社員として誇れることが「足の速さ」。
もし私だったら、30にもなって足の速さが武器になると思っている感覚は、ちょっと合わなそうだなと思ってしまいます。
一例として男性ver.を出しましたが、女性も同様で、大人になるにつれて必要なステータスやスキルは変わってくると思います。
この例だと、そもそもステータスやスキルの種類自体が問題ですが、種類が合っていたとしても求められる熟練度は変わってきます。
それが、人間偏差値が自動で下落する原因です。
例えば、高校の頃に仲良くしていたクラスメイトと、30歳になったときに同じノリでいけるかというと、そうとも限らないということです。
なぜなら、みんな大人になるからです。
高校の頃は、昨日見たテレビの話で盛り上がっていたとしても、大人になるにつれて話題が仕事の話や自分磨きの話、人によっては子育ての話などに変化していきます。
つまり、仮に20歳の頃に人間偏差値が高かったとしても、そのままの人間偏差値で30歳になった場合は、相対的には確実に下落していることになってしまいます。
「そうは言っても、努力するって難しくない?」
「あいつに当てはまるなぁ…でもあいつは何もしないだろうなぁ…」
わかります。
そこで、(私から見ると)悲惨な実例を挙げてみます。
現在30代男性、Sの話です。
彼がどんな人物だったかというと、まず徹底的に責任から逃れているため、決断力が皆無です。
仕事でもそうですが、プライベートでも異常なレベルでした。
私「そろそろお昼だね、何か食べに行く?」
S 「…どうするぅ?」
私「まだ時間あるね、カフェで時間潰す?」
S 「…どうするぅ?」
彼の言う「どうするぅ?」の宇宙規模で情けないイントネーションを伝えられないもどかしさに、憤りを感じています。
Yes/Noで答えられる形でも決められない………。
交友関係について。
同年代の友人はほぼゼロ、ネットで知り合った10歳以上の年下ばかりと関わっていたようです。
彼の後輩に聞いてみたところ、仕方なく先輩扱いしていたようで、「いやー、Sさんって中身スッカスカなんですよね!」と言っていましたwww。
どういうことかと言うと、同年代と比べると人間偏差値が低いのがバレるので避け続けた結果、まだ人間偏差値が高まっていないような年下しか相手にしてくれなくなる、ということです。
話題は、ネットで話題になっていることばかりでした。
例えば、2ちゃんねるのコピペであるとか、バズった(炎上した)Twitterであるとか。
間違っても「最近読んだ本」などの話は出ませんでした。
とうとう私は気付きました。
「…こいつは…"バカ"だ…!」
知識はネット。
社会人経験はアルバイトレベル。
対人関係も絶望的。
ある揉め事をキッカケに、彼とは絶縁しました。
その後の詳細は知りませんが、逃げるように地元を出たと聞きました。
そっちでも友人はできていないらしい、とも。
その情報を教えてくれた方の表情からは、憐れみや心配といった感情は読み取れませんでした。
「無感情」です。
あらゆる責任から逃げ続けたために成長せず、結果的に周りに置いていかれ、最終的には孤立する………悲惨ですね。
「逃げてもいいんだよ。」
なんと耳触りのいい言葉でしょう。
数年前からやたらと目にする機会が増えたように思います。
私はこの言葉を、とても柔らかく、それでいてとても無責任な言葉だと思っています。
確かに逃げることが有効な場面もあります。
しかし、逃げることによって、進路も退路も狭まると思います。
必要なら「逃げる」という選択もアリだけど、ギリギリまで取っておいたほうがいい
私はそう思います。
さて。
人間偏差値の下落を食い止めるには、どうしたらいいでしょう?
答えは、"バカ"にならないということ。
それに尽きます。
知識+社会経験+対人関係、それぞれの経験値をしっかり積んで、レベルを上げ続けることです。
その努力をしないのであれば、人間偏差値がどれだけ低くても気にしないヤサシイ方にすり寄るしかなくなります。
最悪の場合、逃げてもいいです。
超人になる必要もありません。
ただ、相応の経験と努力を重ねて、周りに置いていかれない程度に人間偏差値を保っていればいいんです。
つまり、"バカ"にならなければいいんです。
以上、人間偏差値についてでした。
「ちょうどいい文章量」も気にしていこうと思います。
読んでいただいた方、ありがとうございました!
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