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天国行きエレベータ

2023年の2月。父方の祖母が亡くなった。
葬儀のため、忌引きをとって京都へ戻った。

祖母は1927年(昭和2年)生まれの95歳。いろいろな意味でエネルギッシュな人だったが、晩年は脳梗塞で半身不随となり、病院で息を引き取った。

京都市内で告別式ののち、霊柩車に先導されて、火葬場へ向かう。

京都市中央斎場は、中心部から国道1号を山科方面へ向かう東山の山中の目立たないところにある。京都生まれのわたしの親族の火葬はいつもここだった。

霊柩車から棺が降ろされる。最後の読経が行われ、エレベータの入り口のようなところへ棺は吸い込まれていった。これから、遺体は火葬される。

1995年に母方の祖父が亡くなって、ここでお別れをしたことを思い出す。63歳と早い最期で、いつも「あのじいさんは浮気者で」と悪口を言っている祖母が、最後に涙しながらありがとうと言っていたことを覚えている。
これは天国に行くエレベータなんやな、と幼いわたしが言ったのか、誰か大人が言ったのだったか。煙になって故人は天へ昇っていく。

京都市中央斎場は、全国的にもめずらしい「ロストル式」という火葬場で、火葬をするのに通常60分くらいかかるところを、40分程度で完了できる。フル稼働で1日に100体以上の遺体を火葬する能力があるという。

40分の待ち時間、親族と共に待合所で待つ。コロナ禍もあり、正直疎遠になっていた父方の親族ととくに話もせずに待つ。会うのは人生最後かもしれない。

すれ違う別の遺族の方々が持っている遺影も、歳を召した方のものばかりで、深い悲しみに包まれているような人たちはいなかった。歳を重ねるほど、ひとはきっと葬儀に慣れていく。

火葬が終わり、骨になった祖母と対面し、骨壷に骨を収める。
キリスト教式の結婚式が流行って一神教の神様に永遠の愛を誓って、日常は西洋風の暮らしをしていても、故人の骨を拾って骨壷に収めるという儀式は変わらない。肉体がなくなることを、視覚で、嗅覚で、触覚で理解する。

鉄の扉の向こうからは、大きい機械が動いている、工場の音がした。「いかに効率よく遺体を焼くか」を仕事にしている人達がここにはいる。きっとヘルメットをかぶって作業着を着て日々仕事をしているのだ。一人一人の人生の終わりも、ここの人達にとっては日常の仕事である。

みんないつかこうして人生を終わっていく。そのあとの人生が続く人にとっても、それを思い出す機会がある。これからも葬儀に呼ばれる機会があれば、こうして向こう側を垣間見ていこうとおもった。

よい旅を。また会いましょう。


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