見出し画像

「升澤圭一朗」という男

ふと、思ったのです。

自分って、
何なんだろう、
と。

ここでは、
ハンドボールという軸で、
書き進めたいと思います。

絵文字も写真も
「!」や「?」
も使わずに書いてみました。

ゆっくりできる時に読んでいただけると幸いです。

読んでいただいて損はない仕上がりになったはずです。

それでは、
どうぞ。

僕は小学4年生でハンドボールをはじめました。

はじめた当初はチームすらなく、
仲間を集めて、
「光陽Jr」というチームができ、
最上級生の僕がキャプテンになりました。

そして、すぐにGKになりました。

不思議と、
GKというポジションは嫌ではなく、
どんどん没頭していきました。

そしてある日、
隣のコートで北陸高校のハンドボール部が練習をしていました。

北陸高校は県内屈指の強豪校で、
「インターハイ出場」ではなく、
「インターハイ優勝」を目標とするようなチームでした。

その姿は本当にかっこよかったです。

ハンドボールに没頭していた僕は、
北陸高校のハンドボール部でプレーしたいと思うようになりました。

そして家に帰って、
母親に、
「北陸高校でハンドボールがしたい」
と伝えました。

母親はこう答えました。

「絶対だめだし、絶対無理」

それには母親なりの理由がありました。

まず、
「絶対だめ」
の理由です。

北陸高校は私立高校で、
各学年に500人いるマンモス校です。

偏差値は、
42〜62という振れ幅です。

その理由は、
1学年に16クラスあり、
普通コースからスーパー特進コースというように、
コース分けされていて、
学力の振れ幅が大きいからです。

ハンドボール部のほとんどは、
この普通コース(偏差値があまり高くないクラス)にいました。

それに加えて、
北陸高校のハンドボール部は、
基本的にオフ日(休息日)がなく、
毎日7km離れた体育館まで走って行って、
夏休みのほとんどは遠征で、
毎年クリスマスは韓国遠征で、
などなど勉強することを遠ざける要因がたくさんありました。

生徒のほとんどは、
ハンドボール推薦で大学に行き、
勉強で大学に行く生徒のほうがマイノリティです。

母親は、
僕が北陸高校に入るとすれば、
勉強しないまま入学して、
勉強しないまま卒業する、
と考えました。

だから、
愛を持って、
「絶対だめ」
と僕に言いました。

次に、
「絶対無理」
の理由です。

北陸高校のハンドボール部は、
全国から優秀な選手が集まります。

その名も、
志々場連合。

原則として、
推薦された選手しか入部することができません。

1学年約10人。

GKは1、2人。

まだ、
ハンドボールをはじめたばかりの小学4年生の僕が、
北陸高校のハンドボール部に入ることは、
かなりのハードルだと、
母親は感じたのでしょう。

だから、
愛を持って、
「絶対無理」
と僕に言いました。

この、
「絶対だめ」
「絶対無理」
という言葉を分解すれば、
「勉強の努力」
「部活動の努力」
で解決できると、
当時の僕は思ったのです。

つまり、
高水準の努力をすれば、
僕の目標に到達できると確信しました。

小学校を卒業した僕は、
地元の「光陽中学校」に進学しました。

築け伝統、躍進光陽。

これが中学校のスローガンでした。

まずは部活動の話。

中学校の顧問の先生はハンドボール未経験者で、
細かい指導はしてくれませんでした。

これに僕は危機感を感じました。

「このままでは北陸高校へはいけない」

そう思った僕は、
知り合いの方に紹介していただき、
県内No.1の社会人チームの練習に週に1回通いました。

そこで僕は、
GKの動きを細やかに教えていただける師匠に出会いました。

師匠のおかげで、
僕はさらにハンドボールに、
GKというポジションに没頭しました。

家にいる間は、
YouTubeで海外の選手の動画をひたすら見て、
それを次の日の練習で真似して、
なぜできなかったのかを分析して、
また次の練習で工夫する。

このように、
自分から学ぶこと、
師匠から教えてもらうこと、
この2つの学びで、
僕はとうとう、
北陸高校のハンドボール部から声がかかりました。

これで、
「絶対無理」
をクリアしました。

しかし、
これだけではまだ、
北陸高校に行くことはできません。

そうです。

勉強です。

僕にはなぜか、
塾に行くという選択肢はありませんでした。

授業でどれだけ吸収できるか、
それを常に意識していました。

努力の甲斐もあってか、
学年トップを取ることもありました。

これで満を辞して北陸高校に行ける。

僕はそう思いました。

しかし、
現実は真逆でした。

周りからは、
「なんで北陸高校に行くの?」
「県立のトップの高校に行ったほうが良いよ」
と、
言われました。

クラスメイトや先生、
校長先生までもが僕を引き止めようとしました。

しかし、
僕は事情を説明して、
周りが「良し」とする方向の逆を進むという選択をしました。

晴れて北陸高校に入学することができました。

そこで待ち受けていたのは、
地獄のような日々でした。

入学する前から、
ハンドボール部の練習がきついことは知っていましたが、
いざ入って、
実際に体感してみると、
想像以上にきつく、苦しいものでした。

その中で勉強も継続しなければなりませんでした。

なぜなら母親との約束だからです。

勉強をした上でハンドボールをする。

そういう約束を交わしました。

しかし、
入学して予想以上に練習は厳しく、
勉強もどんどんとおろそかになっていきました。

そこで、
担任の先生に、
こう言われました。

「勉強ができない理由を、
大好きなハンドボールのせいにして良いのか?」

この言葉が僕の胸に突き刺さりました。

大好きなハンドボールを盾にして、
勉強をしない言い訳を作ってしまっている。

そんな弱い自分がいることに、
僕は恥ずかしくなりました。

そして、
僕は決心しました。

絶対に勉強ができないことの、
言い訳をしない。

部活動に休みはなく、
毎日きつい練習で、
その中で、
勉強でも成績を残す。

今思えば、
とても苦しい3年間でした。

おそらく皆さんが想像している、
100倍は苦しかったと思います。

いま100億円あげると言われても、
あの瞬間には戻りたくはない。

そう思うぐらいです。

しかし、
僕はハンドボールが大好きでした。

大好きだから、
それぐらいの苦しさは乗り越えることができました。

僕にハンドボールの楽しさを教えてくれた、
小学校の恩師には本当に感謝しています。

その方がいなければ、
僕はこの瞬間にドロップアウトしていたかもしれません。

苦しい思いもしましたが、
それ以上に得られた対価は、
かけがえのないものでした。

そんな僕も高校3年生になり、
いよいよ進路選択の時期になりました。

前述の通り、
基本的に北陸高校のハンドボール部は、
スポーツ推薦で進学します。

しかし、
僕は学業にも3年間、
力を入れてきました。

そんな僕に、
慶應義塾大学の選択肢が与えられました。

慶應義塾大学のハンドボール部は、
関東学生リーグ2部に所属していました。

正直に言えば、
もっと高いレベルでプレーする、
という選択肢もありました。

僕はこのチームを1部に引き上げたい。

そして、
最高の環境で勉強をしたい。

そう思って、
慶應義塾大学への挑戦を決意しました。

しかし、
これまでインターハイに出場するような学校から、
慶應義塾大学に入ったという例はありませんでした。

しかも、
北陸高校から。

前述の通りですが、
北陸高校のハンドボール部はオフがなく、
夏休み、冬休みなどの長期休暇のほとんどは遠征で、
勉強を続けるためには非常に厳しい環境でした。

僕は、
一般受験ではなく、
AO入試を受けることにしました。

AO入試とは、
2000文字の志望理由書と、
成績表、
課外活動の実績(僕ならハンドボール部での実績)、
などを送り、
合格すれば、
30分間の圧迫面接、
という入学試験です。

つまり、
「オリジナル」で「ユニーク」な人間が合格する、
ということです。

これは僕にぴったりだと思いました。

なぜなら、
高校時代の強烈過ぎるほどの原体験が、
僕にはあったからです。

そして、
決して学業を怠らなかった、
という強い自負があったからです。

たくさんの方々に支えられ、
見事、
慶應義塾大学に合格しました。

実は、
このことは合格するまで、
周りの友人や部員には伝えていませんでした。

僕は心の底から喜べる。

そう思っていました。

しかし、
「もっと上でプレーできるんじゃない」
「勉強についていけるのか」
と、
またも僕の選択が不正解だというような声が上がりました。

合格通知から3ヶ月。

晴れて僕は、
慶應義塾大学に入学することができました。

そこで待ち受けていたのは、
僕の理想とは対照的な現実でした。

まず、
ハンドボール部のレベルの低さです。

僕は高校時代、
死に物狂いでハンドボールを追求してきました。

しかし、
いざ大学での練習に参加すると、
目を疑うぐらいのレベルの低さでした。

ハンドボールを大学から始める選手もいれば、
高校から始めた選手もいます。

僕ははじめ、
彼らを受け入れることができませんでした。

やはり、
強いチームに行けばよかった、
と思うようになりました。

僕と同じ意識レベルでプレーしている選手がいないんじゃないか、
そう思うようになりました。

圧倒的にマイノリティの僕は、
入部して1ヶ月でハンドボール部を辞めたくなりました。

心が火が消えかけました。

このことを誰にも言わず、
僕は黙々と自問自答しました。

「どうして慶應義塾大学に入ったんだ?」
「環境を言い訳にして良いのか?」
「自分がこの組織を変えるという気はないのか?」

そして、
僕は消えかけていた心に火を点け直しました。

そうすると、
ひとつのことに気がつきました。

このチームのレベルが低いのではなく、
このチームを受け入れられない自分のレベルが低いんだ、
と。

それからは尊敬の念を持って、
彼らに接することができるようになりました。

4年生に上がり、
僕は主将を任されることになりました。

目標は達成できなかったものの、
それ以上に得られたものは一生の財産になりました。

後悔は一切残っていません。

話は変わります。

入学前、
仲間から心配されていたことがあります。

それは学業です。

慶應義塾大学の授業。

聞いただけで、
とても難しそうだ、
と思う方も多いかもしれません。

僕もそう思っていました。

ここにも理想と現実のギャップがありました。

それほど難しくはないのです。

むしろ、
真面目に授業を受けている人のほうが少ないです。

これには驚きました。

それでも卒業はできてしまうのです。

このことに僕は恐怖を感じました。

僕が入学した、
環境情報学部という学部は、
何でも学ぶことができます。

スポーツ学、経済学、物理学、心理学、
など、
何でも学ぶことができるのです。

しかし、
それは裏を返せば、
何か目的や目標がないと、
何も学ばないまま4年間が過ぎていくという、
恐ろしい学部でもあるのです。

僕は、
スポーツビジネスを専攻することにしました。

そこで、
僕の人生を大きく変える2人の親友に出会いました。

その2人はとても対極的で、
とても尊敬できる2人でした。

1人は、
大学で野球部をドロップアウトし、
いろんな分野のことを、
かじっては、すぐに辞め、
またかじっては、またすぐに辞め、
というジェネラリスト(広く浅く)な人物で、
筋トレが大好きで、
体が大きな男です。

もう1人は、
なでしこジャパンに選出されていて、
サッカーという、
一本の道を極めていて、
まさにスペシャリスト(狭く深く)な人物で、
体が小さな女の人です。

この2人とは、
同じゼミで知り合いました。

この2人がいなければ、
今の僕はいない。

そう断言できるぐらい、
大きな大きな存在でした。

対極的な2人からは、
それぞれの良さを学ぶことができました。

「どっちが良い」とかではなく、
「どっちも良い」んだと思いました。

僕は、
大学ではスポーツビジネスというものを4年間学びました。

その集大成が、
「ますトレ47都道府県行脚」です。

それを卒業論文としてまとめあげて、
無事に卒業することができました。

またここでも進路選択をすることになります。

ハンドボールを続けるのか、
それともここで辞めるのか。

僕の答えは、
後者でした。

なぜなら、
ハンドボールを愛しているからです。

ハンドボールを愛しているから辞めるのです。

これには理由があります。

ハンドボールというスポーツは、
まだまだマイナースポーツです。

僕がこのまま、
マイナーなハンドボールという枠の中でプレーしていても、
一向にハンドボール界は良くなりません。

僕はハンドボールを愛しています。

だからこそ、
ハンドボールをより良くしたいと思っています。

だから、
辞めたのです。

この選択をするときも、
多くの人から、
「もったいない」
「日本リーグに行ってほしい」
など、
お言葉をいただきました。

しかし、
これが僕の決断です。

これが僕の選択です。

最後に、
これだけ伝えたいです。

「正解を選択するな。
 選択を正解にしろ。」

僕の半生は、
進学などの節目で、
多くの人に、
色々なことを言われてきました。

そして、
周りの人たちは、
なんとなく、
正解はこっちだよ、
ということを言ってくれます。

周りは、
正解っぽいことを言います。

もちろん、
その意見も聞きます。

しかし、
正解は一つとは限りません。

そして、
正解は自分の中にあります。

大事なのは、
選択をした後なのです。

その選択を正解にできるかできないか、
それは自分次第なのです。

僕はそれを体現してきました。

そして今、
社会人になって3ヶ月が経ちました。

選択が正解だったのかどうかは、
誰にもわかりません。

この文を、
未来の自分が読んで、
自分ださいな、
と思えるぐらいに成長したいです。

最後にもう一度、
言わせてください。

「正解を選択するな。
 選択を正解にしろ。」

この文を読んだあなたにとって、
この文があなたのターニングポイントになることを願って。


2019.07.11.

升澤圭一朗


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?