市販薬依存、最悪の現実逃避

どうも。現在は病院で処方される薬を容量正しく飲んでいるためすっかり縁のない市販薬ですが、過去に市販薬に依存していた時期のあるますいけです。今回は市販薬に依存していた時の話をします。(以前過食嘔吐として”行為”依存の話は書きましたがそれとは全く別物の話です。)

考えることに疲れつつある私

私が依存した薬は薬名は伏せますが、ドラックストアで簡単に手に入るものでした。それを飲むとふわふわしていられる。というのをネットの記事で読んで、試してみたいと興味本位で思いました。
元々酒飲みの私です。お酒飲んだ酩酊感の心地よさを知っていたのでこの薬がどんな酩酊間を味わわせてくれるのかが気になったというのも最初のきっかけの一つでした。
当時は働いておらず、(クビになったりなんだりで)一日の時間のほぼ全てを「病気とは…」や「自分とは…」と今思えば考えすぎてもどうしようもない事を考え続けていました。それに疲れてしまってはいたのですが、考えることはやめられなくて困っていた時にこの薬と出会ったのです。酩酊している間なら余計なこと考えなくてすむ。とも思いました。現実逃避です。今思えばリスクの大きすぎる現実逃避の方法だったなとも思います。

飲んでみると

ドラックストアで買ったその薬を一錠ずつちまちま飲んでみたのですが、全然効いてくる気配がありませんでした。気の長い方ではない私は、その薬をじゃらりと手のひらに何十錠も取り出すと一気に口に放り込んでお茶で飲み下したのです。
しばらくすると、頭にもやがかかり始めました。考え事をしたくたってできないくらい頭の働きは鈍くなりました。それでも考えようとしてみたら考えがとびとびな連想ゲーム状態になって一つの事を考え続けるのは無理な状態になりました。体はだるくなりました。足元もふらつきました。そして時間間隔もおかしくなっていきました。あれ?気づいたら1時間たってる。10分くらいしかたってないと思っていたのに。というように。
昼過ぎに薬を飲んだら、あっという間に夜でした。その薬はすっとキレも良く、キレた後は普通に家事をしたりご飯食べたりの日常に戻れるのです。

増え行く頻度と量

毎日時間を持て余して、考え事に煮詰まっていた私です。こんなに時間をショートカットできて辛い考え事から逃れられる薬と出会ってしまったらあとは坂を転げ落ちるように下っていきました。数十錠が百錠、最終的には瓶に入った薬を一回で全部飲み干すようになりました。一瓶飲む頻度も週に一度が三日に一度、二日に一度になりました。(毎日にならなかったのは、毎日だと耐性がついて1瓶飲んでもくらりとも来ない日が出てきて飲み損になるという理由からです。)

だるくなって、酩酊して、余計な事考えなくなって、眠くなって(でも眠れないで呆ける)しまうこの薬、私にはいいものかと思いましたが当たり前ですが困る副作用もありました。呂律が回らなくなって、口の中がガビガビに乾くのです。水分は必須でした。口が渇くから水分をたくさん取ってふらつく足でトイレに行ってこけそうになるのを何度も繰り返しました。
でも、「自分とは」とか考えてもどうにもならない問題と働けていない自分への罪悪感、病気への負い目で頭の中一杯にしているのが本当に辛くて、頭の中からっぽでいたくて私は酒も飲みましたが、薬もガンガン飲んでいたのです。もちろん、メンタルクリニックから出されている処方薬も一緒に。

体の悲鳴

そんな生活を半年以上過ごしていたら、先に悲鳴を上げたのは体でした。重たい着ぐるみを20着位着込んでいるかのようにだるくなったのです。必要最低限しか動けませんでした。当時飲んでいた抗うつ薬の副作用に「だるさ」とあったしうつ(当時の診断はうつ病でした)の症状ので、それとの区別がつかきませんでしたが、とにかく縦の物を横にもできない位のだるさでした。飲み初めの頃は薬がキレれば普通に動けたのですが、薬が効いていようと効いていないにかかわらずだるくなりました。だるくても、この薬を飲んでいないと余計なことを考え、罪悪感と負い目に引きずり込まれてしまうので私は薬を飲み続けました。体が「薬キレた!不快な症状が!!」と言うより前述の考えや感情に振り回されないために飲む。どちらかと言えば精神的な依存でした。
この頃は「身体的な依存の気は出ていないから、メンタルの調子さえ整えばいつでもこの薬をやめられる」と軽く考えていました。

ついに出た肉体的禁断症状

それでも薬を飲み続けた私についに禁断症状のようなものが出始めました。それは、音でした。実際は音なんて鳴っていないのに、頭の中で金属(フォークとナイフ)やお皿がキンキンカチャカチャ言ってその金属音が頭の中で響き渡るのです。とても不快でした。頭の中でうるさくなる音を止めるために私はさらに薬を飲みました。頭の中がキンキンカチャカチャ金属音が鳴るたびにそれを止めようと薬を飲んだのです。肉体的にも依存が始まりました。
しばらくすると、金属音以外もダメになっていきました。大きな音自体が駄目なのです。いきなり大きな音が鳴ると口から心臓出るんじゃないかって位びびりますし、気になる音(音の種類は体調等によって異なる)で頭がおかしくなりそうでした。聴覚過敏の始まりでもありました。

余談ですが、この時の音が原因で、私はそれ以来金属のカトラリーが駄目です。パスタやさんに行こうと、洋食屋さんに行こうと「すいません、お箸お借りできますか?」と箸借りますし、家で使うスプーンとフォークは行楽用のプラスチック製のスプーンとフォークです。そして、聴覚過敏も治らず、外出する際はイヤフォンをして出歩いています。

これは生活に支障が出る。やばい。薬を止められない。と思った私は当時同居だった姉に助けを求めました。メンタルクリニックに一緒についてきてもらって医者に話をする場に同席してもらいました。すると医者も「うちではもう見切れません。」と言い、入院施設のある精神科単科の病院への紹介状を書いてくれました。

母の反応

精神科に入院するかもしれないとなった時、母がこっちに来てくれました。母の前では薬は飲まないぞ。と思っていたのですが、禁断症状なのか頭の中で金属音がひっきりなしに鳴り響きます。薬飲めないかと思うともうパニックです。そんな時、母は「ほら、その変な薬飲みなさい。」と薬を渡してくれました。

後に聞いた話ですが、母の友人にオプタリドン(鎮痛剤)でラリっている人がいて、私くらいの禁断症状、らりりっぷりなら、何回も見たことがあるから平気だ。とのことでした。

一度目の入院

初めての精神科への入院は閉鎖病棟へ3か月という物でした。病院で血液検査をしたら成人女性の上限が50前後位のγGTPが600を超えていました。明らかに薬の影響です。だるいわけです。

そして金属音が鳴り響いたらナースセンターに駆け込み頓服をもらう。というのを繰り返しました。ドラックストアが怖くて仕方ない場所になりました。というのも、私は自分を一番信用できていなくて、せっかく入院してやめられている薬にまた手を出してしまうのではないかという恐怖があったからです。ドラックストアの前を通るだけで冷や汗と動悸が押し寄せてきました。(今は普通に買い物できます。)
入院中、外泊が可能になったらNA(ナルコティクス アノニマス、AAの薬物版のようなものです)も通いました。NAでは「生きているだけでいい!!最高!」と言われてほっとしたのも覚えています。

現実逃避の方法として

市販薬ODでの現実逃避、確かに辛い現実からかなり逃れられます。ですが、代償が大きすぎます。健康、時間、感情、感覚、信用などなくしたものはたくさんあります。
あの現実逃避をしている間に本を読めていたら、どれだけ読めただろう。と思います。(本なんて読める脳みその状態ではありませんでしたが)

今は、その薬に再び手をだそうだなんて微塵も思いません。今の私は、ちゃんと現実と向き合う力をもっていますし、薬以外の現実から逃れる方法を知っています。ですが当時の私にはそれしか方法がなかったのも事実です。だからこそ、その後試行錯誤をして現実に向き合ったり、市販薬ではない方法で現実から逃れる方法を得たりすることができるようになったのかと思います。

辛い現実、どうやって健康的に逃れるかの方法を一つでも多く持っておくのは大切なことだと思います。過去の私のようにならないためにも

※市販薬、処方薬問わずは用法・容量を守って正しく使いましょう。

私に言われたくないですね。(はい。)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?