細身は善の価値観【7歳児編】

先日41歳の誕生日を迎えました。ますいけです。
誕生日当日は姉宅で義兄の揚げた鶏のから揚げを頬張っておりました。皆様いかがお過ごしですか?
その際、姉が姪っ子の気になることを言っていたのでその事について考えようと思いこれを書いています。私なりの考えの整理でもありますので妄想、空想部分も多分に含まれますがお付き合いくださいますとうれしいです。

姪っ子のディスり

「最近、子が太った方をディスるようになって。」
と姉がポツリとこぼしたのです。ディスる=相手を否定する、侮蔑するという意味のネットスラングですが、今ではある一定の世代では当たり前のように使われる言葉です。

そうか、姪っ子太った方はお気に召さぬか。
実は私、39歳から40歳になるあたりで10キロいや、正直に言うとMAX時は12キロ太ったのです。仕事の忙しさと、メンタルの不調で食べまくって気づいたら12キロ肥えていたのです。現在はそこからマイナス4キロくらいですが、まだまだ太っています。
昨年秋、GOTOキャンペーンが行われていた時、色々厳重に警戒したうえで私、母、姉、姪っ子で旅行に行ってきました。その際にも姪っ子に「ますいけちゃん、デブぅー!!!」と面と向かって言われたので、姪っ子からしたらどうやら私もディスる対象になっているのでしょう。

元々私は一度だけ精神疾患で激ヤセしましたが、それ以外はどちらかというと骨太でがっちりしている体形でした。それを姪っ子も生まれた時から知っていますし、そこからさらにいきなりどーんと12キロ太って痩せられない事態に陥ってる私にどまどいもあるのかな?とも思いました。

太った事実

世間にはハンプティダンプティさん(不思議の国のアリス)のようなまるっこい体形の方もいらっしゃいます。私の場合そこまで行く前に気づいて減量している最中で体型的にもハンプティダンプティさんのようなまるっこい感じではなく、樽位で済んだのですが、あの時のあのままの食生活を送っていたら、今頃私もハンプティダンプティさんだったことでしょう。12キロですんでよかった…。今でこそそう思えますが、12キロ太った事実に直面した時、体重計壊れてるんじゃないだろうか。と自分よりも体重計を疑いました。私自身が12キロ太った事実を受け入れられなかったのです。

12キロ太った直後にコロナの緊急事態宣言が出されました。仕事も休みになり、外出する機会が減りました。それでも天気が悪くない時は、毎日ウォーキングをし、youtubeで動画を見ながら宅トレをしたのですが全然痩せませんでした。

ここで幸いだったのが、人と会わなくなったという事でしょう。会って「ますいけ、太ったね」と面と向かっていわれる機会を極限まで減らすことができた。この事だけはコロナの時期ありがたいです。

ほっそり姪っ子の人生は

姪っ子は、細身です。まだ7年の人生ですが、赤ちゃん時代を除いてずっとほっそりです。
身長が110センチを超えても90センチサイズのお気に入りのデザインの服を着ていました。もちろん丈はつんつるてんですが、細身なため着れるからお気に入りのデザインだったり肌触りだったりする服を繰り返し着ていたのです。
そして最近、「女子力UPシリーズ」の本にはまっています。おしゃれや、マナー、立ち居振る舞いなどいわゆる世間的に「女子力が高い」とされることを好み、それを姪っ子なりに実践しています。

私は、標準体形だった頃の自分と、現在の太った自分両方知っています。ですが、姪っ子はやせている自分しか知りません。確かに太っていると、体は重いし、お腹の周りに浮き輪の様に肉がつくし(体質によって違うかもしれませんが)、服は何を着ても決まらずかっこわるいですし、何より健康への害がある。ですが、その太った私を含めて「私」なのです。

成長期になってものすごい食欲がわいてきて、ご飯やおやつが美味しくて美味しくて仕方ない時期がこれからやってくることでしょう。義兄の体質に似た姪っ子は食べても太らないかもしれません。でも、太る可能性はゼロではない。もっと年を取って姪っ子が現在の私くらいの年齢になっていわゆる中年太りになるかもしれません。その可能性もゼロではない。

姪っ子が太ってしまった時、自分をもディスる対象になるのではないかと言うのを心配しています。太った自分を受け入れられず過激なダイエットをしたり、それを引き金に摂食障害になったりして苦しむ姿は見たくありません。摂食障害は私も経験がありますが、結構な地獄だったので。

立場の違い

12キロ太った時、私は最初こそショックで受け入れられませんでしたが、その後何とか自分を受け入れています。かろうじてメタボ診断もクリアし、血液検査の結果はオールクリア。酒と薬でやばいかもと思っていた肝臓もクリアしたので安心したのもあります。
また、私は職場で雑談をするタイプではないので、職場の人に「太ってしまって。」という事もないですし、職場の人もそこを突っ込んでくることもなく淡々と仕事を振ってきます。
太ったの、太らないのと大騒ぎする友人もいましたが、コロナ可禍で会う事もできなくなりました。会う事も無ければにやにやしながら「ますいけちゃん、太ったんじゃない?」と言われることもありません。
そして、多くの友達はLINEやツイッターでつながっており、文字でのやり取りを主にするので私が太ろうが痩せようが文字には現れず分かりませんし、まず、多くの友達が私が太ったからと言って距離を置いたり、からかってくるようなタイプでもありません。もちろん「ますいけ太ったよね。」と陰で言うタイプでもありませんし、陰で言ってたとしても私の耳には入ってこないので、私からしたら言われてないも同然なのです。

対して姪っ子は「女子力upシリーズ」の本をねだるほど見た目を気にする年齢に差し掛かっています。シリーズのタイトルだけを見ても、モデルのようになるのに必要な食生活や運動について書かれている巻もあります。おそらくダイエットについても書かれているでしょう。それを読んでいたら、いや今の世の中の風潮からしたら、これらの本を読んでいなかったとしても「細身=善」の価値観の種が姪っ子の脳内に根付いていることでしょう。
また、私のように日中主に過ごす会社で雑談をしないし、職場でどう思われてようと気にしないのと違って、姪っ子は小学校や、学童で多くの友達と触れ合い話をし人付き合いをします。仲のいい子も大して仲のよくない子とも。そうなるとお年頃な女子たちの間では、体形に関する話も出てのおかしくなくて、あの子は太ってる。あの子は痩せている。私も痩せなきゃ。と面と向かってだったり、陰で体型のことをからかったりという場面にも遭遇してきます。そんな中に身を置かれると「細身=善」の考えを得てしまった姪っ子が太った方をディスるのもなんとなくわかるのです。

まだ7年しか生きておらず、太った自分を知らない姪っ子ですが、おそらく太ることに対していいイメージを持ててないのかな。と思います。私ももちろん現状太っていることに関して良いイメージはモテてませんが、私の場合根底の所に「私が太ったからと言って、離れていくような奴はこちらから願い下げである。」とか「私が太ったからと言って、友も家族も私を見捨てない。」という太っても友愛や、家族愛が変わらない安心感があるのです。
ですが、小学校、学童など親しい友達だけとではなくその他大勢も含めて集団生活を送らなくてはならない姪っ子は、体型が変わって大して仲のよくない人たちの間で噂話の種になったり、クラスメイトにからかわれたりする恐怖と闘っているのでは?と。コソコソ噂話をされるのが怖い。からかわれて傷つくのが怖い。だから、そうならないためにもこちらから攻撃を仕掛ける。と言う意味合いもあって太った方をディスっているのではないかな。と思うのです。

分からないことは怖い事

人は、分からないことに関して恐怖や不安を抱きます。どうしてそう思うのかが分からない、どうしてそんな行動をとるのかわからない。そういう分からない人に出会った時、「なんだか分からなくて薄気味悪い」と思った経験が誰しもあると思います。
良くある話としてですが、主観でよく分からない障害を持った人や、よく分からない考え方を持った人に対してや、よく分からない状況に置かれている人に対して、「分からないから怖い」と思ったことのある方は多くいるのではないでしょうか。
もちろん、分からないから怖いと言ってやみくもに否定していいというわけではありません。ですから分からないものは分からないで、恐怖不安を感じてしまっても、それを否定につなげないで、その人の立場や辛さを想像して自分ができる声掛けや、接し方を考えるなどのほうが美味い関係が作れるのではないかと思うのです。

おそらく姪っ子のディスりの中にはこの太ったことが無いから「分からないから怖い」もあって、否定する。ディスるにつながっている部分もあるんだろうな。と勝手に私が想像しているのです。

帰ったら体重測らなきゃ。

先日姉と姪っ子と、誕生日以来に会いました。ポテチをバリバリと食べた姪っ子が「帰ったら体重測らなきゃ」と言っていて、背筋が寒くなりました。ああ、「細身=善」の価値観に姪っ子が苦しみだしてしまった。と思いました。価値観を得てその矛先が外部に向かっていただけではなく、己に対してもその価値観の矛先が向かい、がんじがらめになってしまっていることに、姪っ子はまだ気づいていません。今、成長期だし、体重増えても身長が伸びてるだけかもしれないし、体重だけの話で言うなら、水飲んで浮腫んでも体重増えます。おばとしては、「美味しくポテチ食べたというその幸せな経験を大事にしてほしい」のですが、中々難しい事です。

体形なんて関係ないよ。姪っ子は大事な姪っ子だよ。と言いたかったのですが、過去に私自身もこの「細身=善」の価値観にがんじがらめになっていて苦しんだ経験があり、がんじがらめになっている間は外から何を言われても受け入れられないという事も経験から知っているので、何も言えませんでした。

願わくば、自分で自分を否定しディスることがないように。と思っております。誰に何と言われようとも、自分の一番の味方は自分なのですから。

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