印象
更新料が引き落とされていたので今のマンションの契約をして1年だということに気付いた。前の住まいからの立ち退きで、実際に住み始めたのは8月1日、引っ越したのは7月8日。七夕の夜に徹夜してなんとか荷物を纏めた。悲しみと怒りでいっぱいの、ロマンチックの欠片もない夜だった。
引っ越しをきっかけに、自分を苦しめていたさまざまなものを叩きつけるように捨ててきた。中には今でも尾を引いていて対応に時間を割いているものや、幼いころから心に影を落としていて完全にふっきれることはたぶん一生ないだろうということもある。
けれどそれまで抱えていた大きな問題はだいたい片が付いて、自尊心をガリガリ削られる環境ではなくなって、心配してくれた方たちに治療を勧められていた不眠症もあっさり治った。引っ越しがなければ、ずるずると自傷行為のように不快な場所に居続けただろう。素晴らしい、引っ越し。ビバ引っ越し。立ち退きありがとう、である。
こう思えるのも去年の今ごろ引っ越しを控えた時期の自分のスナップ写真を見て、すごく老けてたのでびっくりしたからだ。iPhoneをいじっていたらその写真をサジェストしてきたのである。髪につやがなくボサボサで、ぜんぜん似合ってないヨレヨレの洋服を着ている。なにより笑顔が卑屈である。
例年今ごろは超忙しい時期で、今年もボサボサのヘロヘロのヨレヨレである。しかし、引っ越し後のスナップ写真では、少なくとも、こういう卑屈な表情はしていない。今の自分はこういう笑顔は作らなくてもいいところにいる。
どんな髪型にするか、どんな服を着ているか、どんな鞄や靴やお財布といった小物をもっているかは確かに人の印象を左右する。けれど心の有り様というものもまた、ここまで印象に影響するのだ。あの情けないスナップ写真のころ、私はおそらく人生で一番(であってほしいよ)ハードな時期で、諸々の判断力が落ちていて、本来の自分なら一瞬で切り捨てる状況からもずるずると抜け出せなくなっていたのである。
自分の周りにいるのが自分のことをきちんと尊重してくれる人であること、お互いに対等な関係であるということは、とても大切だ。自尊心がガリガリ削られるところにいると、知らず知らずのうちに僻みっぽくなっていく。どうせ自分はブスだと思ってボサボサの髪でも平気になり、お洒落をする気持ちもなくなってテキトーにあるものを身に付けるようになる。片付いていない乱雑な部屋も自分に似つかわしいような気がしてくる。そしてそのうち、仕事に関する能力にも自信が持てなくなっていく。
対等に扱われない人間関係に慣れてしまうと、「ブスで無能の私」像が定着して、ブスで無能が加速する悪循環に嵌まってしまうのだ。判断力が落ちてきて、ブスで無能だから大切に扱われなくても仕方ないと思ってしまい、けれど完全に仕方ないと諦めきれないので僻みっぽくなり、なによりその状況から脱出する気力を失ってしまう。
引っ越しは面倒で疲れるものだけれど、それをきっかけに自分の置かれている状況を無理矢理にでも変えることができるのはいいことだと思う。周りは基本的にお互い尊重しあう人間関係で、もし不当な扱いを受けたら抗議する元気もあり、問題があれば良い方向に進めるための話し合いができる(これを勝ち負けと捉える人は最悪だ)――100%そうだとはいえないけど、今の私は引っ越し前から一歩進んでそういうところに身を置いている。
明日からまた嵐のような忙しさである。今日は仕事をしながら関係する古い書類を整理、少しでも部屋をきれいにして、眠る前にはネイルする。週明けは仕事帰りに美容院に寄る予定だ。
ありがとうございます。