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大人になればわかる

子供のころ「大人になればわかる」と言われるのが嫌だった。子供の私は、科学的に解明できていないという類のこと以外は、この世にわからないことなどないと思っていた。わからないのはわかるように説明できていないか、説明が足りないかだと思っていたのである。

同じように、わからないのはその人の人生に何かが足りないからだという考え方は今も好きではない。そういうこと言う人多いんだよな、酒が飲めなければわからないとか、人を好きになったことがなければわからないとか。

大人になればわかるという言い方が好きでないのは、両親がそう言うときは決まって自分たちに対する感謝を求めている文脈だったからでもあると思う。結婚して子供を持てば両親の苦労もわかるという文脈だ。

そんなことを弟と話していると、弟はそもそもあの二人は夫婦として幸せだったのだろうかと言い出した。母はいつも、父という一人の男性ではなく、地元では旧家である父の実家が結婚を決めた理由だと露悪的に語っていた(嫁いでみたら貧乏だったと続くのがいつものパターンだった)。それはある程度は事実だったと思う。喧嘩が絶えなかった父と母は、もともとあまり相性が良くなかったのだろう。

「それでもほらアレ、長年一緒にいる夫婦にしかわからん、何か心が通じるようなんはあったんちゃう?」なんとか話をまとめようとする私に弟は「いや、そういうのありそうやったか? 僕はそんなん思われへんわ」といつになく真剣である。

私たちはもう亡くなった父の孤独を思った。父は外面だけはよかった。客が来れば舞い上がってるのか声のトーンが上がるようなところが、卑屈な感じがして嫌だった。優しく親切な人だと思われていた父は家庭では気難しいところがある難儀な人だった。そういう父の難儀なところを、母はまったく理解できていなかった。父が死ぬまで。

父と母は毎日のように喧嘩をしていたけれど、それはお互いの鎧を壊し、諦めたり歩み寄ったりする類の喧嘩ではなかった。ますます丈夫な鎧を作ってますます距離を取ってしまうような、そんな喧嘩しかしていなかったと思う。家庭では父は鎧だけでなく要塞の中に籠っていたのだ。そして外でもまた、誰かを愛していたわけでもなかった。父が愛していたのは人当たりがよく優しい「自分」だけだっただろう。

そんなことを思うと悲しくなってきて「せやけどお父さんは、子供のことは愛してたやろ」と話を変えると、弟は「いやあれは、ただ可愛がってただけや、犬の子とおんなじや」という。「子供が生まれたということ自体、ようわかってなかったと思う。なんやポコポコできよるわ、っていうぐらいしかわかってなかったで」

無駄に鋭いな弟。いつこんなこと言う子になったんや。そう思って気がついた。これが大人になればわかるということではないだろうか。こういうことがわかってしまったのも、私たちが結婚して何十年も一人の相手に向き合い、子供を育ててきたからだろう。言い換えれば大人になったからだろう。

たぶん父と母があまりわかってほしくなかった微妙なところを、大人になった私たちはしみじみわかるようになっていたのである。

ありがとうございます。