たこ焼き屋になりたい

会社勤めとか公務員とかいう安定した職業に就かないで、芸術家とか研究者とかを目指す人生はキツイものだ。いま思うと、大卒で就職するつもりが大学院に進んで人生を棒に振った私も、院を受けることを決めたときは妙な高揚感に包まれていた。テンション高かった。平たくいえば、頭おかしかったと思う。

頭おかしかったとはいえ、常勤の研究職に就けなかったときのことは考えていた。研究室では、就職できなかったらどうするかがよく話題になった。琵琶法師になると言っていた人は、現在、有名大学の偉い先生になっている。琵琶法師の方が専業非常勤講師より食べていけなさそうだが、こういうところに研究に対する背水の陣の姿勢というか、不退転の決意というかが現れているのである。

私はといえば、駄菓子屋になるつもりだった。駄菓子屋なら、すぐに始められるし、自分一人は食べていけそうだと思ったのだ。このように、なまじ食べていけそうなプランがあると、(ええんや、いざとなったら駄菓子屋やったらええし)と思ってしまってよくないことに私が気付くのは、ずっと後のことである。

人生は思い通りに進まないもので、私の研究時間はアレとかコレとかあって年ごとに減っていった。それに対して少子化はいよいよ進んでいく。私の不幸の大きさと日本の少子化は負の相関を示していた。あかん。駄菓子屋では商売が成り立たん。

しかし、駄菓子屋がダメならたこ焼き屋がある。というか、たこ焼き屋こそ本命。店番しながら本を読める駄菓子屋と違って、たこ焼きを焼きながら本が読めないのは辛いが、いたしかたない。たこ焼き屋は、誰でも手っ取り早く始められ、まあ一人分くらいの食い扶持にはなるだろうという商売なのだ。多くの大阪人が陽気なのは、「人間、いざとなったらたこ焼き屋になればええんや」と先祖から伝えられているからだ。知らんけど。

ここでいうたこ焼き屋とは、観光地にあるチェーン店や立派な店舗ではなく、自宅の軒先をちょっと改装して、めっちゃおいしいと言われなくても、まあまずくもない安いたこ焼きを売る方のたこ焼き屋である。

大阪人は6個300円もする有名店のたこ焼きを食べることはあまりない。自宅でたこ焼き器で焼くこともあるが、日常的には近所のたこ焼き屋の6個100円くらいのたこ焼きを食べている。特に安かったり、おいしかったりする店は地元民にとっては知る人ぞ知る店となっている。知らんけど。


こういうたこ焼き屋でたこ焼きを焼いているのは、たいてい年寄りか主婦だったが、昔近所にどう見ても20代の青年のたこ焼き屋があった。たこ焼き屋をビジネスとして成功させるぞ! などという覇気はまったくなかった。自宅の通りに面した部分をちょっと改装しただけのたこ焼き屋だった。

そこそこおいしかったので、まだ小さかった子供を抱いてよく買いに行った。子供はいつも目を見開いて、金串でくるくると丸いたこ焼きができあがっていく様子を見ていた。「おもしろいか?」と青年が聞くと、子供は頷いた。「たこ焼き屋になりたいか?」「なりたい」

青年は、まだ歩くのもおぼつかないような子供に真剣に語り続けた。「そうか、たこ焼き屋になりたいんか。兄ちゃんみたいにたこ焼き屋になりたいんか。」独り言みたいに金串でくるくるとたこ焼きをひっくり返しながら続けていた青年は、顔を上げた。
「でもな、初めからたこ焼き屋になったらあかん。たこ焼き屋はいつでもなれる。何かなりたいもん頑張って、あかんかったら、たこ焼き屋になり。」

しばらく経ってそのたこ焼き屋は閉店した。近所の人の話によると、酷く痩せていた青年は病気に罹っていて、退院してたこ焼き屋を始めたが、また入院することになったということだった。数年後その町から引っ越したが、その時まで、たこ焼き屋が再開することはなかった。

最近よく、小さな子供に語りかけていた青年の言葉を思い出す。まるで私に語りかけていたような気がする。いまこそ、たこ焼き屋になりたい。実家も失ってしまった私には、たこ焼き屋を始めるすべもないのだが、本気でたこ焼き屋になりたいと思っている。

ありがとうございます。