正義感の使い方は二種類ある
正義感という言葉があります。
手元にあるポケットプログレッシブ国語辞典(第一版)によると、
「不正を憎み、正義を尊ぶ気持ち」
とあります。
いい意味で使用されるはずのこの単語。
「正義感が暴走する」や「正義感を盾にする」といったように、使い手次第で意味とは攻撃性をはらむものになります。
事件や事故が起こったり、企業や有名人の不祥事などが発覚したときに、攻撃性を持つ正義感が生じやすいと思います。
良くないことをした人への憤りを覚える気持ちは私にもあります。
でも、客観的に判断しても、私の正義感はあまり攻撃性をはらむことはないように思えます。
では、攻撃性をはらむ正義感の持ち主と、そうでない正義感の持ち主は何が違うのか?
この約1年、新コロのせいで「自粛警察」や「他県ナンバー狩り」など新しい種類の、攻撃性をはらむ正義感にたくさん触れ、いろいろと考えました.
「表にそれを出さないということは、自分には正義感が欠けているのか」や「自分は冷たい人間なのか」とまでも考えました。
結果、私の正義感は己を律するものであるということに気づきました。
「こういう事件や事故を起こさないようにしよう」や「他人様の信頼を失うようなことのないように気をつけよう」という気持ちです。
攻撃の刃が他人ではなく、自分へと向いているのだと思います。
世界的規模で見ても、個人的にも(個人事業主になったからね)大変な1年でした。
それでも、大きく心を乱さず、なんとか今年も生き延びれたのは、己を律し続けることができたからだと思います。
来年もそういう自分でありたい。
……ってSNSでクソリプ(へりくだって行ったアドバイスに見せかけた的外れな攻撃性正義感というかマウンティング)っぽいものを頂き、己を律する気持ちで書きました。
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