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幸田露伴の語録に学ぶ自己修養法

幸田露伴といえば、明治から昭和にかけて活躍した小説家です。

有名なものとしては寺社大工の芸術家魂を描いた『五重塔』でしょうか。

僕が露伴を知ったのは小説ではなく自己啓発書からでした。

渡部昇一さんの著書『幸田露伴の語録に学ぶ自己修養法』という本で知りました。ここで有名な「努力論」や「靄護精舎雑筆」とであいました。

幸田露伴の同期には、夏目漱石がいます。
中学も同じクラスにいたそうです。

渡部昇一さんいわく、この二人はとても対照的だったようです。

夏目漱石は出世街道まっしぐら、かたや露伴は中学を中退し、電信技手の資格を取るための学校へ行った後、北海道の電信局に務めます。

いつまでもこんなことをしてはいられないと、仕事をやめ、連絡船に乗れるだけのお金を持って青森に渡り、青森から歩いて東京へ帰るという壮絶な体験をしています。

餓死寸前のところまでいったと『突貫紀行』という本に詳しく書かれていますが、このとき野宿をして梅雨を伴って寝たと言うので露伴とつけたのだそうです。

漱石の書いたものからはいかに修養したかという話はない、だが露伴はこのような壮絶な体験をしたからこそ、修養の重要性を知り、説いたのだろうと渡部昇一さんはいっています。

さらに、出世街道をまっしぐらの人は全体の数パーセントしかいないから、多くの人に修養法が役に立つに違いないということで、露伴は「努力論」を執筆されたのだそうです。

なるほど、僕なんかも出世とは程遠い人生を歩んでいるからこそ、幸田露伴の修養に惹かれるのかもしれないと思いました。

この本で印象に残ったのは、自己犠牲の精神について書かれている箇所です。

露伴は、自己犠牲の精神はとても尊ばれるべき精神ではあるけれども、いい自己犠牲と悪い自己犠牲があると述べています。

家庭でも、夫が出世するように支えようと自らの意思で仕えるのはいいけれども、「女は夫の犠牲になるべきである」と、夫に強制されたものであったならば、これは悪い自己犠牲だというのです。

これを受けて渡部昇一さんは、第二次大戦の特攻隊は、国のためといって、強制的に特攻に行かされた人たちは、悪い自己犠牲だだと。

もちろんその中には、心から国のためと思って自ら死んでいった者たちもたくさんいたから、それは非常に尊ばれるべき自己犠牲ではあると述べています。

では上層部ではどうだったかというと、和平交渉をしたくないから、国のためと言って前途ある若者を特攻させたというのです。それは国のためでもなんでもなく、自分たちの保身のためだったと渡部昇一さんはおっしゃっています。

なるほど、そう考えると、今の日本も国のため、将来の子孫のため、社会福祉のためといって、不景気の中増税を断行しました。仕方ないよねという空気を作って、国民に自己犠牲を強いているようにもみえます。私達が率先して自己犠牲をするのならば尊いですが、強いた時点で悪い自己犠牲だと感じました。

日本はまだそう考えると、先の大戦の大敗からまだ立ち直っていないし、学んでもいないのかもしれないなと考えさせられました。

渡部昇一さんの解説がとても面白いし、深く考えさせられる一冊です。

機会があれば是非、この本を読んでみてください。

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