普段用の柄が礼装に?

また暑い日々が続いていますが、みなさんお元気ですか?暑さだけではなく雨も心配ですが、そのうち生きているだけでもよかったと思えるくらいひどい気候になるのかなと思います。そうなったらと不安な日々ですが、少なくとも、働けば全ては良くなるか?とは思えない世の中になりそうな。
さて、今回は、夏着物には、ほんとによくある話で、いずれは袷の着物も、そうなるんじゃないか、と不安に思っていますお話。
皆さんは、着物というと、もう、必要ないものと思っている方がほとんどだと思います。なかには、仕事などで着物が必要になり、二部式にしたりしてきている方もいるかもしれません。よほどの事情がないかぎり、日常着として着ている方はほぼないでしょう。でも、最近、着物に興味持ってくれている方が、Twitterなどを開くと増えて来ているようで、なんか仲間が増えて嬉しいなあという気がいたします。
そんなときに浮上してくるのが、
「着物、振袖を着てくる事自体がすでに礼装なのだから、どんな着物でも構わない。」という人たちの存在。
これには、賛否両論あると思いますが、私からしてみると答えはNOです。
皆さんは、洋服でも、礼装と普段着で同じものを着ることは、まずないですよね?
着物もそれと同じ。それぞれの種類がありまして、それぞれ着る目的が違うんです。
例えば、小紋は、気軽な外出着として、食事会などに着ますが、訪問着は改まった外出着として、コンサートや講習会などに着ます。
最近、なんでも色無地で通そうとか、何処でも小紋でいけるとか、そんな記事をよく見かけますけど、それは絵に描いた餅だと思ってください。
例えば、国立能楽堂などにいきますと、着物を着て当たり前だけではなく、着物のことを知っていて当たり前という、意識の高い方々と出会うことがあります。そういう方方は、非の打ち所がなく着物を着こなしていて、それで当たり前だと考えていますので、容赦なく着物の格のことや着方などを注意してくれます。いわゆる着物ポリス。言われる側にしたら、うるさいなと感じるんですが、いう側も、着物のことはしっかりしたいという思いがあるんですよ。
だから、全部の場所に、同じ着物を通して着られるということは絶対にありませんし、着物を着ること自体が礼装であるというのも、間違いなのです。
特に夏に着物きると、やたら言われます。夏場は絽や紗など特殊な生地を使うので、その使い方や、浴衣と着物の違いなど、やっぱり注意したくなるんでしょうね。だから、夏の生地は良く研究しないとだめだなあってことがよくわかりました。
次によくあるのが、振袖の問題。今の時代は、振袖は何でもありで、昔は縁起がよくないとされていた、蝶やさくら、椿などの柄が、平気で使われています。そして、よく議論されるのが、絞りの問題。絞りは、使っていた人の身分が低い、紋を入れられない、凸凹が多いため高級品ではない、とみなされていましたが、いまは、総絞りも部分絞りも平気であります。こんな感じの中振袖、絞りが高級品とみなされてなければ、登場しないだろうなあ。

いまでは、絞り=高級品という意識がしっかり根付いてしまっているので、この用な振袖が登場してもだれも文句は言わないと思います。
振袖を着ることがすでに礼装で、色々奇抜な柄の振袖が登場していますが、なかには、ちょっとちがうのでは?と思われる振袖もあります。
それってどうなんだろう?逆を言えば、止める人がいないということになるよね。
着物も、進化しているといいますが、進化とは、廻りに適応して自分を変えることです。
だから、変な柄の振袖をつかうのは、おかしいのですよ。
それを注意する人がいない、というのもまた、問題だと思います。
振袖ばかりではありません。
訪問着などにも、絞りが登場して、訪問着の格を下げてるケースはこんなふうにあります。

本来、絞りは礼装には使うものではないのだ、ということを、もう少し認識してもらいたいです。Twitterに、有松絞りと他の浴衣は、わけて考えるとツイートされていた方がいましたが、本人はどう考えているのかわかりませんけれども、有松絞りは、豪華で、色んな用事に、着ていきたくなるが、本来は庶民的な普段着だったと考えるのかなと思います。
着物は、普段用から、礼装用まで様々。ちゃんと着たいのであれば、一枚で通すことは絶対できないし、本来であれば礼装にならない柄もあるのです。
それはやっぱり伝統だよね。
本日のお話はここまで。とっぴんぱらりのぷう

拝読有難うございます。何かの参考にしてくだされば嬉しくもいます。