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キロク#22-04:私だってわがままに生きたい
こんにちは、4月のキロク。
4月も下書きには書いていたものの結局公開がギリギリなっちゃった。反省。
余裕を持った行動をしたいと思っていてもなかなか難しいですね。反省。
今年は花見を5回ぐらいしました。こんなに桜を堪能して、花粉と戦った春は初めてです。
今回は、1年前にあった出来事をふと思い出して書き残しておこうと思ったことがあります。ちょっぴり棘のある文章になってしまうかも、と不安に思いながら書いていきます。
とある梅雨が明けていよいよ夏がやってきそうなある日、仕事終わりの先輩を待っていた時のこと、
「真面目そうですね。」
いきなり声をかけてきた少し酔っ払っている人に言われたとき、なんだか寂しい気分になった。
それって「あなた、つまんないね。」と言われているように当時の私は思っていたから。別にその酔っ払いは意図的にそう言ったのではないということは理解している。ただの酔っ払いに絡まれただけだから。ただ、その時の私にとってその言葉は私の中の劣等感を刺激するには十分だった。
ただ、その時何よりも感じたのは、私が私自身を「つまらない」と思ってしまっていたのだ、と。
そう思っていた自分がいたからこそ、見ず知らずの、今後会うこともないただの酔っ払いに言われたひとことが強く自分の心を突き刺したのだ、と。
ということが昨年あり、ふと思い出したので心の消化をするためにもnoteに残しておこうかなと。
今思えば、見ず知らずの酔っ払いに絡まれて反応していること自体がまずおかしい状況だけど、それでも何故か反応してしまった1年前。
それを思うとこの1年、たくさんの価値観に触れ、世界が広がって、自分自身を「つまらない」なんて思うことがなくなった。
それはきっと私の人生、私がいちばん楽しめないともったいない。
と感じることができるようになったからだと思う。
もちろん日々、他人からどう見えているのか、私の心はヘルシーな状態で判断をできているのか、とか気になることもある。
それでもやっぱり、私の人生は私のものだ。
誰かに評価されるものではなく、誰かの評価を基準に生きるのではなく、私が私を幸せにする。
心が揺らぐ時がたまにある。でもその心の波ですら楽しめる自分でありたい。
私はどこに向かっているのだろうか、向かっている先を、道中を楽しめているのだろうか。
自分の胸に手を当てて心の声を聞いてみる。やっぱりそれしか自分と向き合う方法はないのではなかろうか、とふと思う。
少し感傷に浸るような文章になっちゃったけど、自分が自分のことを「つまらない」なんて思うの寂しいなと思う。
自分だけでも自分を信じて、心の声を聞いて、自分と向き合う時間を日々意識してとること。
大志だなんて、大それたことは抱いていないけど、この世界がちょっぴり豊かになるような、そんな事業を積み上げていきたいなと思う。
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